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鳴神シオン×鈴 『オレを見ていて』

 控室の前を通りかかった鈴は、そこによれよれのシャツの後ろ姿を見つけた。身体を曲げるようにして新聞を読み、ベリーショートの黒髪をガシガシと掻いている。


「お疲れ様です、越智さん。休憩ですか」

「んー? ああ、石川か。お疲れ」


 越智は『KISSME』の霧森孝司と鳴神シオンの担当マネージャーだ。鈴とは彼が『KISSME』担当マネージャーになったときからの知り合いである。

 越智は手の中で空のプラコップを遊ばせながら、鈴を振りかえった。銀縁のメガネをした目はしょぼしょぼと瞬きを繰り返しており、不精ヒゲが伸びたままだ。

 普段はコンタクトであり、きっちりとヒゲを剃っている越智の珍しい姿に、鈴は驚いた。徹夜で仕事でもしていたのだろうか。


「コーヒー、おかわり入れましょうか」

「んあ、たのむー」


 差し出されたコップを受け取り、鈴は壁際のケータリングコーナーに移動した。三つ並べた机の上に、飲み物とお菓子が数種揃えてある。コーヒーは2リットルペットボトルに入っているものしかない。


「それで、石川は何か? 俺の貴重な休み時間を邪魔しに来たのか?」


 越智の冗談めいた口調に、鈴は笑いながら「違いますよ」と否定した。


「ちょうど姿が見えたんで、ご挨拶をと思っただけです」

「いやいや、いやいや、いーのよ。邪魔しても? あるんでしょ? 用事が」

「ないですってば。もう、越智さん、眠くて適当なこと言ってるでしょう。はい、コーヒーです」

「うぃーさんきゅー」


 鈴から手渡されたコーヒーを一口飲み、越智はやはり眠たそうに目をぱちぱちと瞬かせた。


「本当に眠そうですね」

「うーん。もうね、今日はダメだね。ちょっとゴタゴタがあってその調節がうまくいかなくて」

「ゴタゴタ?」

「あー、まだ情報行ってないか……」


 越智がメガネを取り、眉間を指で揉むような仕草をした。足をだらりと投げて座り、背もたれにぎしり、と体重を掛けた。余程疲れているのだろうか。

 鈴がどう声を掛けようか迷っていると、背後でコンコン、と何か硬いものを叩くような音がした。


「んん? あー、どうしたシオン」

「え?」


 越智が短い髪の毛を掻き、目を細めるようにして、担当しているアイドルの名前を呼んだ。メガネ無しでも見えるらしい。

 鈴が振り向けば、そこにはたしかに、手の甲をドアに当てたままのシオンが立っている。アレンジシャツに、既製の細めのタイをして、細身のジーンズを履いている。今日のVTR撮影用に鈴が選んだ衣装そのままだ。


「お疲れ様です、シオンさん。早いですね」


 撮影終了予定時刻はもっと遅かったはずだ、と鈴は不思議に思う。

 先ほどまで行われていたのは、今度発売される新シングルの告知VTRの撮影だ。音楽ショップ・音楽ダウンロードサイト・公式サイト・街頭大型広告ビジョンでそれぞれ異なる『限定』コメントVTRが使用されるという宣伝企画で、撮影する種類も多かった。


「うん、早く終わったんだ」

「そうだったんですか。わたし、途中で見学を抜けてしまったので。こんなに早く終わるんですね」


 シオンは鈴と越智の顔を見比べた。鈴はまっすぐシオンを見ていたけれど、越智は鈴の視界に入っていないのをいいことに、思い切り大口を開けてあくびをしている。よれよれのシャツを着て、不精ヒゲを生やしているくせに、女の子の前で格好をつけたいらしい。


「今、平気? 取り込み中だったりするの?」

「ああー? シオン……お前が俺の平穏を破りし者だったか」


 牽制の一言を放つと、芝居がかった口調で越智がそう言った。「平穏」が指すものは、越智の休憩か、越智と彼女の会話なのか、どちらとも取れるイヤな答えだ。

 シオンは眉を上げて、ふふ、と笑った。


「……何言ってるの、越智、お前じゃないよ。彼女に聞いてんの」

「へ?」

「わたしですか?」


 シオンにちらと視線を送られ、鈴はひどく驚いた。予定時刻よりも早く現場が終わったのなら、マネージャーにスケジュールの確認をし、空き時間を調節したいだろうと思っていたからだ。


「そう。きみを探してたんだよ。スタジオにいないからさ」

「え! そうだったんですか、すみません……」

「そんなにしゅんとしなくても大丈夫、なんてったって一番最初に見に来たところがここだから」


 ついでにマネージャーに終了報告しようと思って、とシオンが笑った。


「それじゃ結局俺にも用事あったってことじゃねーか」

「ついでに、ね」


 再度シオンが強調すると、越智の顔が引きつった。「俺が誰のために寝る間も惜しんで」と愚痴めいた説教が始まりそうになったが、シオンは華麗に無視して鈴に向き直った。


「それで、鈴ちゃん。どう、オレにきみの時間をくれる? 三時間くらい」

「はい、大丈夫です。次も一緒の現場ですから」

「そう、よかった。ランチは奢るから」

「え! それは申し訳な――」

「じゃ越智。外出て来る。何かあったら電話ちょうだい」


 慌てた鈴の言葉尻に被せるように、シオンが言うと、越智は深くため息をついた。様々な感情が入り乱れた、ため息だった。


「あー、まあいいいけど。気ぃつけろよ」


 言いたいことを全て飲み込んだ複雑な表情で、越智はシオンに忠告する。分かってるよとシオンは小さく頷き、鈴を伴って控室を出た。


「シオンさん。あの、外って、どちらに行かれるんですか?」

「うん、ちょっとね。きみと行きたいところがあるんだ」

「は、はあ……?」


 楽屋までの廊下での会話で、シオンが説明してくれたことはそれっきりだった。

 シオンが荷物を楽屋に取りに戻っている間、鈴は他のメンバーの楽屋から衣装を回収した。確かにもう撮影は終了していたようで、霧森孝司の姿は楽屋にもうなく、秦宗佐の楽屋では、園山マネージャーと眠そうな顔の宗佐が打ち合わせをしていて、美有貴がその横で暇そうにマンガを読んでいた。

 三人との世間話もそこそこに、鈴が帰り支度を終えてシオンの楽屋に行けば、シオンは私服に着替え、楽屋の鏡で髪型を整えていた。


「お待たせしました。こちら、失礼します」

「うん、どうぞ」


 きっちりと折りたたまれた衣装を手に取り、抜けがないのを確認する。服はハンガーラックに掛けてビニールのシートを被せ、靴は箱詰めをして小さめのカートに乗せた。

 今日用意した衣装は、借りものもあれば、買い取りのものもあるし、鈴がデザインした一点ものもあるが、どれも等しく服であるのは変わりない。破れや汚れ、崩れがないように保たなくてはいけない。


「ありがとうございます。大丈夫でした」

「そう。じゃあ、行こうか」


 シオンがそう言ってドアを開けると、鈴は立ちあがり、ショートパンツの裾を払う仕草をする。七分丈のレギンスが脚の肌色を隠しているが、柔らかそうで細くてキレイな脚線はその上からでもよくわかる。残念なような気持ちと、そそられる気持ちのどちらともが同時に沸き起こり、シオンの自制心を揺らした。

 シオンは断る鈴を丸めこみ、その荷物の半分を持った。これだけはと譲らないハンガーラックだけは鈴に任せ、その歩幅に合わせてゆっくりと歩く。


「オレの車で行きたいなと思うんだけど、構わないかな」


 エレベーターに乗り、駐車場のある地下一階のボタンを押し、シオンがそう切り出すと、鈴はうろたえたように視線を泳がせた。いつものように二つ返事で返ってくると思っていたシオンは、様子のおかしい鈴に首を傾げた。顔を覗きこんでも、髪の毛で隠れて顔色は覗けない。


「鈴ちゃん?」

「え、……あ、その、ええっと、わたし、自分の車があるんです。それで、この荷物もありますし……。ほらっ、シオンさんの車、こんな大荷物、乗せられないですよね」


 仕事のことか、とシオンはがっかりした。彼女が車で二人きりになる状況を意識してくれたなら、シオンはどれだけ安心することだろう。

 自分と同じ女性を狙う男がいたとして、無様に焦ったりなどしないのがシオンのやり方だった。女性は必ず彼を選ぶから。

 鈴を意識してからはシオンはどうしても、同じように余裕を持つことができない。鈍感で幼い彼女が考えていることが分からないからだ。


「それに……次の現場の衣装もあって置いていけないですし」


 言い訳に追加された台詞を聞いて、あれ、とシオンは声を上げた。


「次の現場の衣装って……なに?」

「え?」

「もしかして、きみ、聞いてないの」

「……え、聞いてないって、なにを」


 鈴はぱちくりと目を瞬かせた。

 越智からさ、とシオンにヒントをもらい、考えてみれば、越智マネージャーは一目見ただけで徹夜したと分かる風貌で、何かトラブルがあったと言っていた気がする。ただ、そのトラブルが具体的にどんなものなのかは、シオンの登場によって聞けていなかった。


「なるほどね。鈴ちゃんに情報まだ行ってなかったか」

「はい……」

「今日、次に予定されてた番組撮影がバラシになってね。スケジュールが変更されたんだ。というわけで、きみに用意してもらった衣装も用無しってわけ。……ごめんね、せっかく用意してもらったのに」

「いえ、シオンさんのせいではないですから、謝らないでください。また次の機会がありますよ」


 鈴が首を振ってそう言うと、シオンは苦虫を噛み潰したような表情をした。どうかしたのだろうか。鈴が聞こうかどうしようか迷っているうちに、エレベーターが地下に到着し、ガコンッとドアが開いた。

 ほら、行くよと背中をポンと押されて、ハンガーラックを転がしながら駐車場を歩き出す。さきほどまですぐ隣にいたはずのシオンが、一歩先を歩いていた。そのせいで彼がどんな顔をしているか、鈴には分からない。

 鈴の乗ってきた車に、大した会話もないまま、荷物を全て詰めおえた。


「オレの車に乗ってくれるの?」


 鈴が車に再度鍵を掛けると、シオンがこちらの顔色を窺うようにそう言った。自信家の彼には珍しいと鈴は思った。


「え、だって、さっき仰いませんでしたか。乗って、って」

「言った。言ったけどさ。きみすごく嫌がってたじゃないか」

「ち、違います。荷物どうしようかって思ってたんですっ」

「オレの車に乗るのが嫌だったわけじゃないの?」


 シオンはわざとトボけた質問を繰り返した。


「嫌じゃないです。……は、恥ずかしいですけど」

「恥ずかしい? なんで」

「わたし、仕事着のままですし、シオンさんの車に乗っててこう、浮かないかなとか……」


 頬を赤らめた鈴の表情は、シオンが想像していたよりも何倍もかわいらしかった。語尾が聞き取れないくらいに声を小さくして、恥じらっているのもいい。


「服って重要ですよねー、TPOに合わせた服装しないとです。お仕事着にこれを選んだのは、お仕事のときにしゃがんだりしても恥ずかしくないようになんですよ。敢えてしてるんですよ。だから、ええと、シオンさんの脇にいるときの服はコレジャナイ感が強いっていうか!」

「ああ、やっぱりちょっとだけズレてた」


 彼女らしいとシオンは笑った。

 シオンがこれまでの恋愛法を捨てて彼女に意識してもらうように、その時々に合わせたアピールをしているのは、彼女らしさを尊重しているからなのかもしれない。鈴の鈍感で幼いところも、また好ましいと思っているのだ。


「これはシオンさんの為に選んだ服装じゃないんです」

「分かった、分かったよ。でも、いいんだ。きみはどんな服でも、オレの車に乗っていいんだよ」


 鈴はシオンに手を取られ、彼の愛車のもとまでエスコートされた。何度か遠目で目にしたことはあったが、こんなに近くで見るのは初めてだ。スマートなブラックボディで、車高が低めで、ハンドルの位置が逆で、よくわからないエンブレムがついていて、すごく高級な車だということが分かる。つまり、鈴にはその価値がさっぱり分からない。


「……し、シオンさん」


 尻ごみする鈴を、シオンが助手席のシートに押しこむようにして座らせると、不安そうな顔が見上げてくる。


「そんなに不安そうな顔しないで。誘拐するわけじゃないのに」

「そんな、シオンさんに怖がってるわけじゃないです。自分にも自信ないしっ、服にも自信ないしっ、あああ、ここ、ここ、こわい」


 言外に信用していると宣言されて、シオンは困ったように肩をすくめた。信用されちゃ、何もできないじゃないかと思う。

 運転席に回り、シートベルトを締め、エンジンを掛けてゆっくりと発車させる。

 駐車場を抜け、街路を抜けて国道に出ると、隣の席では鈴がショートパンツの裾を握って震えていた。運転に不安があるわけではないのだろう。まだ、自信がどうのと考えているのだろう。


「大丈夫だよ、街で見かけたところで、こんなの普通でしょう? 勝手にオレの車に価値づけなんかしなくていいんだ。きみだって、おかしいわけじゃない。かわいいし、オレがきみを選んで乗せているんだから」


 鈴はぎゅっと、ショートパンツの裾を握る手に力を込めた。どういう文脈で、何を言われたのかは分かっている。シオンは鈴に自信をつけさせようとしただけなのだ。

 だから、勘違いしてはいけない、と鈴はぐるぐるする頭で思った。先ほどから顔が熱くて、頭がパンクしそうだ。

 鈴が顔を伏せて考えこむ姿に、ちらり、シオンは一瞬だけ目を向け、すぐに運転に戻った。


「鈴ちゃん」

「は……はい!」

「きみには、まっすぐに――変な色眼鏡もかけずに――、オレを見ていて欲しいんだ」


 話の流れが分からず、鈴はどう返事をしていいのか戸惑った。曖昧に相槌をうち、運転に集中する横顔を眺める。シオンの顔はいつ見ても華やかで、きらきらと輝いている気がした。ほとんど南中の位置にある太陽の光に照らされて眩しい。


「スケジュール変更は、オレのせいなんだ。週刊誌に撮られてね。共演者のひとりだったものだから、トラブルになって、その人が出てるCMのスポンサーとももめてね。話題作りとか言って、共演させたってよさそうなもんだけど、うちの事務所も向こうの事務所もNGだったからさ。事実無根だしね。――でも、オレのせいってのは変わらないからね。ちょっぴりヘコんだんだ。これでもね」


 一気に喋りきり、ふっと一息ついた。鈴からの返事はなかった。自嘲するように、口の端を上げて笑った。


「あの記事は嘘だって言っても、嘘にならない。オレのイメージってやつが邪魔して、――ほら、今回はウソだけど、ウソじゃないのもあったわけで、言うこともアレだし、信用されないんだよね」


 鈴はシオンの目の中に、燃え上がる炎を見たような気がした。その目は、自分の価値はこんなものじゃない、と訴えているようだった。


「シオンさん」

「……」

「たしかに、アイドルとか、タレントさんっていうのは、他人に評価されて、それで初めて、成り立つものかもしれないです。価値づけされてくかもしれないです。でも、それって、わたしを含め、スタッフ全員で作りあげたイメージです。シオンさん自身のことを言われているんじゃありません。『セクシーな衣装を着ているシオンさん』っていうイメージを作ったのは、わたしですよ」


 だからわたしも同罪ですよね、と鈴はくすりと笑った。


「シオンさんがつらい思いをされたのは、わたしのせいでもあります。お仕事をひとつ、無くしてしまったのは、わたしのせいでもあります」

「……鈴ちゃん」

「シオンさんのイメージがどうであれ、シオンさんは、素敵ですよ。わたしは、シオンさんが努力をして、その身体を維持しているのも、好きなことを魅力的に語る話術を手に入れたのも、知ってます。でも、わたしはそれを知らなくっても、シオンさんを素敵だなって感じると思いますよ。そして、また、絶対、シオンさんにわたしの服を着せたいって思うと思います」


 それは、鈴の服に対する情熱を思えば、これ以上ない嬉しい言葉だった。

 対向車線の白いバンが光を反射して眩しい。シオンは思わず涙しそうになって、ぐっと力を込めて耐えた。


「ありがとう」

「いいえ。さっき、わたしもシオンさんに元気づけてもらいましたから。あ、まだお礼言ってなかったですね。ありがとうございました」


 シオンの視界の端に、ぺこりと頭を下げる鈴が見えた。見ていない時にしても意味がないだろうに、と思わず笑ってしまう。


「シオンさん。それで、どこまで行かれるんですか? もう教えてくれてもいいですよね」

「……実は考えてなかったんだ」

「ええっ!?」

「きみとドライブがしたかっただけなんだ」


 シオンがなんでもないような顔をして、「その辺のホテルのレストランにでも入る?」と言ったので、鈴は顔を引きつらせた。ディナーじゃないからカジュアルでいいとか、そういう問題ではない。

 名前を上げたのは、OLでにぎわっていそうなランチバイキングの有名店だ。『鳴神シオン』を知っているであろうと予測されるところにどうして入ることができるだろう。鈴はちょうどいいところを探すのに、しばらくスマフォで検索を繰り返すのだった。

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