偽りの食材、なれの果て
隠れ井戸。白滝の山に伝わる社の井戸を指す。
古い時代に掘られた井戸が、この大穴入街全体に水を通し、その井戸から湧き出る水には、社の神主が霊山から賜った白き岩を奉納し、その岩が井戸に沈められ、霊水として、街を潤している。
しかし、いつの頃だったか。
霊水に邪気が混じり、徐々に街の民衆の心は乱れ、殺戮が起きた。
それを鎮めるために、霊峰の山々で修行した六道院幸治が社の神主と共に社の井戸の白石にもう一度清めの儀式を行った。
結果。
幸治と社の神主であった、当時の井戸の巫女、浅瀬れいこが結婚した。
幸治がれいことの婚姻を望み、井戸の巫女がその婚姻を受け入れたのはあとにも先にもなく。
爛れた結婚は、井戸の巫女の死で何も無かったかのように終りを告げた。
井戸の巫女が社の神主としてのあってはならない出来事が、今のこの状況に繋がっている。
浅瀬れいこは、山の神と婚姻し、その身を山に捧げた身。それをただの人とよりによって霊峰の山々を練り歩いた男と再度結婚した。
それを山々は見ていたし、人と比べものにならないほどの怒りが、大地に降り注いだ。
れいこは、今も山に抱かれその魂が天に還されることもなく、永遠の呪いの中で生きている。
一方で、六道院家も呪われ、その子々孫々はこの地から逃げ出せない。
愛桜は裕樹の家に戻ると、昴が暢気に寝ていた。昴が今も変わらず、凜々しい顔をしており、整った顔が他の女性にめまいを起こさせるほど、素敵なのは言うまでも無い。
「昴。」
愛桜は昴を揺さぶる。
「・・うん?愛桜か・・・。」
昴は身体を起こし。
「ねぇ?佐代子さんって・・・。この場所に来たかしら?」
「来てないよ。それより・・・。愛桜。せっかく来たんだ。今日は俺と一緒に語らってくれるか。」
昴は愛桜のぷっくりした唇をそっと人差し指で撫でる。
「今日は駄目よ?裕樹が・・・。」
昴は強引に愛桜を抱きしめ、キスを体中にふらせる。
「・・・・・」
裕樹は、母親が父親と抱き合い絡め合う姿を、冷たい目で見つめていた。彼女はキッチンから、包丁を抜き取ると、二人の半裸の姿を見ながら、くすくすと笑う。
ーーどうせ、死ぬのよ。私も、死んだから・・・
愛桜の背にぶすりと刺さる。愛桜はそれすら気づかずに、昴の愛を受け入れようとしている。昴もまた、死者であり、それすらも忘れた何かだ。
呪いが成就するまで、あとすこし。
浅瀬れいこは六道院に受けた仕打ちを許さなかった。山々はれいこが行った仕打ちを許さなかった。
二つの重なった呪い。
この地に住む妖怪は、その呪いがいつか解かれるように少しずつ、少しずつ、人を通し、同じ妖怪を呼び寄せていた。
陽華がこの土地に来たのは、秋山芳雄という妖怪と話しをするためだった。いかにも不可思議な状態にあるこの地に興味がある子鬼と秋山との遭遇が彼女を変えることになる。
変わらない。だから、この世界が素敵なんだと陽華は笑った。
天羅には彼女の笑顔が眩しくうつる。妖怪同士での婚姻なんてよくあることだ。けれど、天羅は陽華のように笑うことが出来ない。
天羅は自分に自信がない。妖怪という区分にいて、されど名のある有名どころだからこそ、陽華という結婚相手を周囲が笑った。
ーー陽華が素敵だと言ってくれたのは、大天狗様だけ。俺の力に見合った婚約者だと言ってくれた。
天狗は己は強いと誇示するが、別種の妖怪を卑下している。子鬼を馬鹿にしている。しかし、実際は子鬼ほど優れた視野の持ち主はいない。
ーー今だって、九理は妹を探して、ちゃんとこの場所に辿り着いた。彼らは俺たちみたいな当てずっぽうで暮らさない。
天羅には新しい家族を受け入れて欲しいと思っている。九理が陽華を大切にしていることは見ていれば分かる。それが、自分も含まれることを望んでいる。
妖怪は人間みたいに些細で細々としたことに想いを馳せはしないのだが、家族となりうる間柄になれば変わる。
九理が陽華を大切にしているように、天羅を心配するのは、家族というカテゴリになったからであり、いずれは、陽華とのあいだにはきっと子を儲けられる。
天羅にはそれが許されると信じて疑わなかった。
幽霊は、妖怪の存在に気づいた。秋山家は一筋縄でいかなかったが、狙いを、九理にサダめた。
迷子ノ迷子ノ、子猫タチ。アタシと遊ぼう?アタシ、待ってるカら
アタシ、ヒトリよりたくさんガいいノ。
れいこは嬉しそうに高らかに笑った。
白滝の山が血の色なのは、流した血が、山から大地に流れ出るほど、おぞましく、赤々と、赤々と、燃えているのだ。流された血の多くが、れいこの呪いと、それを鎮めるために捧げてきた人間の数だった。
桃子は、その昔霊山と呼ばれた白滝の山が、今は血の涙を流し、れいこを抱いていると気づいていた。そして、同じ巫女のれいこは桃子を挑発し、彼女もまた、その汚れた血で桃子に矛先を向けていた。
二人が交わることのない境界にいて、二人の戦いは妖怪が手を出せるほど生やさしくはない。桃子は、桃子が成すべきことをしようとしているだけで、妖怪が彼女に何かを手伝うことはない。
一方で、九理が狙われている事実は、桃子にとって、良くないことだった。彼は家では子鬼として扱っている。
座敷童という事実を隠すためのカモフラージュだ。
座敷童はカラス天狗と同じぐらいか、それよりも格上であるという事実があり、桃子の家に代々縛られ、奉られた。彼の妖怪としての力は現在はかなり抑えられており、陽華という双子の片割れがこの地に迷い込んだ時点で、九理はこの場所に足を踏み入れ、救われずにいる魂を救うように桃子が同伴者としてやってきた。
妖怪の座敷童を連れてきたのは、他でもない広瀬桃子という巫女であり、浅瀬れいこという霊を鎮め、霊山と今もなおその穢れ続けた山々の一部である白滝の山を除霊し祈りを捧げるため。
そもそも洋祐という妖怪と、鴉天狗で陽華の許嫁となった天羅は、留守番のはずだった。とくに洋祐は、他の妖怪など気にもとめず、ちょっとしたからかいを楽しむためだけに生きるあのじじいは、有名な妖怪とは違い、無名であり、声高に自分を主張しない。けれど、桃子が危ないと感じたときは、必ず助ける。まるで、桃子のボディーガードのように側にいるのだ。
桃子には、あのじじいを先生と呼ぶように祖母の水樹から言われている。祖母は彼が何者かを知っているようだった。
とはいえ、今はそのじじいが消えた。状況はあまり良くならないという事実を霊山に住み着く怨霊の気配で分かる。
桃子たちは六道院の家を見つけることに成功した。普通に路を辿っても、行き着かない迷路。
辿り着いたのか、誘われたのか。
どちらにせよ、そこに辿り着き、目の前の事象を言葉もなく唖然と見つめる。
井戸のすぐ側で、淫らに抱き合う二人はすでに溶けかけ、一つの肉体のように変化している。ドロドロと溶けた身体は絡み合い、求め合う。そのそばで、おぞましい顔をした裕樹が立っていた。
にたにたと嗤い、その身体は腐っている。
「裕樹?」
九理がなんの気の迷いもなく声をかける。裕樹はゆっくりと顔を向けた。井戸からはなんとも言えない香りが風に乗って漂ってくる。
「・・・君、死んだよね?どうしてここにいるの?」
九理の平坦な質問は、変わらず彼がそうであると理解する。裕樹には、九理が羨ましく、自分は女らしくなれず、けれど男の子のようにも振る舞えず。気がつけば、九理に抱いた感情は羨望。妬みやそねみもなかった。欲しいと思う気持ち。彼だったら受け入れてくれる。自分といういらない子供を。いらない、子供。
「・・・。俺は、君が死んだら、童になるかなっておもった。俺みたいに。俺は、永遠に広瀬家という家にいるんだ。」
「・・・九理。ごめんね。」
桃子は謝罪を口にした。九理が望んだわけではない。けれど、代々その家を守るため、その昔、広瀬家の当主の子供が捧げられた。現代とは異なる思考回路を持っていた。だから、そんなことをしたのだ。双子の兄妹が、家の為に捧げられ、今も広瀬家のために、いる。
これは成功したから、座敷童という神が広瀬家の守り神になった。広瀬家にはそれができるほどの霊力と精神が備わっていた。今はもう廃れて、唯一、桃子という巫女が生まれたことで、一時的に家は持ち直した。
だから、陽華も必ず連れて帰る。桃子と陽華は仲が良くない。けれど、桃子は陽華を妹のように想っている。それは変わらない。ただ、陽華には桃子が本当の家の跡取りになるということが許せないのだという。理由は、言ってくれない。陽華なりの事情がある。とやかく言うことなど、桃子にはできない。
桃子には夢があった。いつか、二人を自由にしたい。妖怪となった彼らが、自由に家からでられるように。
「桃子さんは、優しい人だ。けど、君の家の当主は、どうして、君たちを苦しめるの?君の家の当主は」
「危ない!!」
桃子が咄嗟に結界を張った。裕樹の身体はぐにゃりと歪み、その横に一人の紳士が立っていた。
服装は和装にシルクハット。下駄にステッキを持っている。その上、その男性の顔が裕樹によく似ているのだ。
六道院幸治。
全ての元凶であり、今もなお、生きている。
時は遡る。
山口洋祐は駅の入り口辺りで座っていた。そして、愛桜が来る前に、秋山芳雄と相対した。なにしろ、久しぶりの旧友だ。彼がこの街に住んでいることも、知っていてそれを理由に来たとも言える。
『久しいなぁ。お前が来るとは思ってもみなかったよ。』
芳雄は飄々としていた。しかし、格好は洋祐とたいして変わらない。顔が見えるようにマスクをとっているぐらいだ。
「・・・。この怪異をどうにかしようなんて思ってもいないだろうに。」
『ふふふふふ。そりゃぁ、必要なら。陽華お嬢さんの居場所を教えておこうか?』
「言わんでも、もう映っているよ。それより、桃子さんにだけは迷惑をかけるなよ?」
『なぁに?お前が執着してるお嬢さんか。・・・広瀬家の時期当主と言われているらしいな。とはいえ。お前が嫁にするならそれぐらいの地位がないとなぁ。』
「よ、嫁にはしねぇよ。年齢差を考えろ!」
『うわぁぁ・・・。年齢差って・・・。お前さん、年齢を数えたことあるのか??』
「はぁ?千を超えてからは、ないかな。」
『だろうね。というか、嫁の話しよりもちょいっと気になることがあるんだが。』
「あぁ?」
『俺様が知っていることで、どうしても腑に落ちないんだ。六道院家の当主が今も生きているんだ。なんのからくりかね?』
洋祐が、変だと感じていたものが、かたりと線と線を結び、その上あってはならないことが起きたのだと理解した。
芳雄を無視して、彼はたちまちに赴く場所を決めた。
「この地にあった伝承はやはり・・・。」
洋祐は、山へと向かった。社のほとり。異界の山に浮かぶ泉。
ーーまさか、本当にいたとは。『異界の清らかな泉』に住む半人半魚。人は人魚と呼ぶが、俺が探している奴だったら、ちがう。彼らは・・・。
洋祐は、その狐のお面をくれた妖怪を思い出し、小さく笑んだ。
ーー桃子を守るように言ったのも、あの人だ。俺をこんな風に変えたのも。生きていて欲しいとは思わなかった。生きている以上、落とし前はつけてもらわないと。俺を妖怪にした本人に。
人魚の肉を食べると命が長くなるという伝説・伝承がある。人魚は清らかな泉にしか住まない。人を襲い、人の真似をする。
ある昔の語り部が言うには、あまりに美しい人魚に出会った身分の高い御仁がその娘を攫い、密かに婚儀を執り行った。その美しい人魚は、人の姿を模り、御仁とのあいだに子を儲けた。その子供は美しい女子で、あまりの美しさに、高位の殿様から声がかかった。もちろん、その子は殿様に捧げられ、嫁がされていった。
しかし、人魚は自分の子供が勝手に売られたことを悲しみ、山へと帰っていった。
売られた童は、殿様とのあいだに、子をなしたが、その子供は気がつくといなくなり、人魚の泉に戻ったのだ、と。
人間と人魚のあいだに子供がいるという事実はない。
では、六道院幸治は何故、生きているのか。
浅瀬れいこは、どのような存在なのか。
「貴方ね?六道院家当主の幸治さん。会いたかったのよ。」
桃子はびりびりと感じる強い霊力に抗いながら言う。
『会いたかった?それはそれは。広瀬家のご当主が、わたくしに会いたかった?』
「えぇ。あなた、れいこさんが守り続けた、水霊珠を使ったのね?」
『・・・。』
幸治は驚いた様子もない。
「異界を開いた。そして、人魚のような肉を食べたのね?」
清らかな泉のほとりの社。幸治の望みを叶えてくれる場所へ続く。だから、れいこの身体を暴いた。そして、水霊珠を手にして、あの場所へと向かったのだ。
れいこは穢れた。巫女はその場を清めるために穢れてはならない。社の中。井戸の先にあったずっと隠されていた、秘密の泉。
穢れたカラ、れいこも山も、泉も。そして、守り神の血。泉に留まり、怨霊となった、異界の妖怪。
山が穢れた、理由。山が、助けを求める理由。
れいこも、そして、ずっと住んでいた守り神も。穢れて。疲れて。
『ふ、ふふふふ・・・。わたくしは、ただ、命という限りあることに嫌気がさしたんです。いつまでも生きられたら、それは素晴らしいことでしょう?人なら誰もが望みます。』
「あんたは、ただの化け物だけどね。人は限りがある命の中、色々楽しむものよ。あんたが食べたもの。人魚の肉ではないのよ。だから、あんたは死んでいるのよ。」
桃子は、哀れな存在を見て、強い口調で責めた。
人魚の肉などない。人魚がいたとしても、この国にはいないだろう。妖怪達が闊歩してるこの世の中。どうして、伝説みたいな存在を考えるのか。
半人半魚と呼ばれる妖怪は、有名過ぎて、混乱させやすい。人魚と言われ、河童とも言われる。あるいは。竜の尻尾と呼ばれる妖怪だって存在する。まぁ、ただの槌の子の名前を格好良く言っている節もあるが・・・。
水虎という妖怪が洋祐の知り合いだと聞いたこともあるが、それは半魚の妖怪に当てはまるらしく。
要は、人魚かどうかを知る術もなく、食べちゃったのだ。少なくとも、人魚の肉を食べることで、ここまで酷くなることはないのだ。
山を守るために社に住み続けた妖怪。守られ続けたのは、人も同じ。交わることのない二つの種がここを守り続けた。それを食べた。それこそがはじまりだ。
半人半魚であり、あのなんともいえない香りを漂わせている妖怪。
『河童』
あまりにも想像できないだろうが、彼らは意地悪な妖怪であり、本来なら人の営みを乱すような、そんな心証すらある。
何があって、その妖怪は巫女と宮司と仲良くなったのか。
今言えるのは、それが数えて数千年前のこと。
宮司は名のある神主であり、当時の宮に使える一人。神との交流も当時の祭祀に則り、行っていた。
だがその際、例の不穏な輩、陰陽師の一人が意気揚々と自分を人柱に家を築いた。それが、広瀬家の発端だと言われている。
その話はいずれしよう。
では、今回の原因が河童を食した哀れかつ、今もまだ死を認めないこの六道院家の当主だと分かったことで、とてもシンプルかつ簡単な答えを、桃子は考えた。




