静けさのあとの静けさ
広瀬陽華は『大詰山』村の小さな駅近くで、目を覚ました。
「あーーーー!あの蛇め!」
陽華は酷く怒っているのだが、悔しそうに地団駄を踏むしかない。
「なぁにが、『迎えが来るから帰りなさい』よ!意味わかんないしぃぃ。」
そうやって、一通り怒り終えてから、気がつく。
「あれ・・・?ここって・・・。『現界』、よね?桃子が言っていたわ。あたし、帰ってきたの・・・?」
陽華は高い家もなく、大きな学校さえない、田園風景を見つめた。
風が心地よく吹き抜けていく。彼女の視界にはなんの色もなく。あの気持ちの悪い濁りも澱みもなく。ただ、優しく風が撫ぜて、いく。
「・・・。九理。帰ってくるよね・・・?」
妖怪は死なない。けれど。
ーー兄さんは、普通じゃない。あたしと違う。双子の贄を捧げ、あたしは上手く童にはなれなくて・・。兄さんはあたしよりずっとずぅっと・・。完璧?いいえ。あれは妖怪よりも・・。
陽華は待つことにした。本来の姿、座敷童の姿に戻って。兄の帰りを。兄が、必ず帰れるように、妖怪として。陽華にとって、今も変わらない兄。けれど、あの儀式から、兄の根底は覆った。
『座敷童』
家の幸福を願う者が欲する妖怪。けれど、その妖怪が必ずしもやってくることはない。
迷信めいた方法で、座敷童を用意したのは、遥か昔の広瀬家当主。彼には陰陽師という過去の栄光をその時代に合わないまま用いて、行った。
外道だと言わざるおえない行動・行為。彼の実の息子と娘が贄となり、座敷童の形代に宿らされ、未来永劫、広瀬家の妖怪として飼われ続ける。
陽華はそこまで強い力を持たなかった。けれど、九理は違う。彼は、神格化した。座敷童という形代が焼き切れるほどの、その力。
広瀬家の当主は神格化した九理によって破滅した。以後、九理は広瀬家の家を守り続けている。それは、神となった今も。九理が神格化した理由など、並べても意味が無い。
陽華を始末しようとしたこと。
母親を殺されたこと。
九理と陽華が生まれる以前に、兄がいて、その子供すら贄にされ失敗し、葬られたこと。
羅列してもきっと、どれであってもたった一つが九理の目に触れ、怒りの沸点に達しただろう。
兄の優しさを父親は知りもせず、気にもせず。
外道となった父親は、地獄の輪廻の中で未来永劫出てこられない。九理を広瀬家に縛ったように。
桃子は河童の肉を食べた幸治には、理解出来ていない妖怪の心意を辿ることにした。
河童がこの地に住んでいたのは間違いない。また、白滝の山に社があり、そこには巫女と宮司がいた。二人が人間だったかどうかも然る事ながら、井戸の先の異界に河童の住処を提供していたのなら。
もしくは。
河童が巫女と宮司で、その子供達がいたのなら。
妖怪の隠れ蓑であったのなら、なにかも、全ての辻褄があっていく。
ならば。
「河童が水路を造り、この大穴入街を造った。幸治さん。貴方の肉体が今もあるなら、きっと社にあり、貴方が襲った巫女の死後、宮司は未だに貴方を呪い続けている。」
『・・・そうだろうか?わたくしは甘美な味の肉を食しただけ。あれが人魚の肉だと教えてくれたのは、宮司だった・・・。』
今もその肉の味を思い出しているであろう彼の顔はおぞましく。
顔の半分は腐っている。美しく着飾っている洋服はぼろぼろで、けれどたまに昔の姿に修復される。
ーー時間が繰り返されている・・。死んだものが、死んだと気づいていない。
天羅の心が、その一点に集中していた。
「なぁ、桃子。俺の間違いでないなら。こいつってすでに屍を越えていないかな?俺、こいつがすでにあっちに入っているように見えて。」
九理の言葉に、桃子は静かに頷いた。
「えぇ。社の宮司を探さないと。巫女は宮司の妻で間違いないわ。この辺り一帯、河童の住処になっている。だから。人が死んでも、気にも留めない。生きた人間が迷い込むたびに殺されていた。河童は、妖怪の中でも最も凶悪よ。」
桃子は強い結界を張る。陰陽師の子孫でありその力が先祖返りした桃子にとっては、造作ないこと。
「道を造るわ。真っ直ぐ山の社に。それから・・・。」
桃子はいくつかの要点を、二人にかいつまんで話す。
「あぁ、なるほどね。天狗の一族が一人、この俺、天羅には問題ないよ。」
「了解。桃子は無茶するなよ。」
二人は少し戯けてグーサインを送る。
「じゃ、行くわよ!」
桃子の指す路は光となって社へと続いた。
バサリっ
黒い羽根を広げ、天羅が一目散に飛んでいった。彼は、メリアノア高校へ向かった。その高校が全ての始まりであり、その高校は帰り路でもある。その先に、現界がある。ここは、大地の空のしたにある、異界。
天羅が得意な分野でもある帰り路への管理を任されたのは、当然だろう。
そして、九理はもちろん、桃子を守ることと、それと同時に彼が彼の姿に戻ること。彼は己の意思では変えられない。桃子を守るという認識と、桃子が求めたという認識。
『まがつひ』
座敷童という姿から生まれた、厄災の神。九理が三つの姿を持つことになった理由は、きっと人間の勝手から。
「・・・。九理、この大地の穢れを、貴方が自由にして。私は、貴方の巫女。穢れは貴方の厄災には勝てない。」
九理の姿は見えなくなる。神になった彼の姿を捉えるには、巫女を通じなければならない。神通力の力を最大限に発揮し、九理の姿を目で追いながら、桃子は山の社に到達した。
そこには見知った男。
「洋祐。」
洋祐はかなり苛立っていたのか、桃子に気づいていたものの、返事はしなかった。
「ここにいるってことは、やっぱり自分できたのね。」
「・・・あぁ。こっちはこっちでちょっとあって、な。」
「そう?私は先生の自由に振る舞えば良いと思うけど。今はもう、帰り支度しようとしている所よ。」
桃子の言葉を聞いて、小さく頷く。肝心の顔が見えはしないのに、桃子には何故か、彼が何を考えているのか読めてしまった。
「まさか・・・残るつもり?」
「う・・・。いや、まぁ。なんて言うか。妖怪として残るわけではなくてな。僕の師匠みたいな存在がこの付近にいるんだ。奴を探してから戻るから・・・。」
常々、洋祐は、半人半妖であることを伝えている。おかしな人間からおかしな妖怪になったのだという。
そういう存在はあまり有名ではないかもしれない。けれど、桃子には双子の座敷童という存在がいる。
洋祐が何かの形代によって生み出された妖怪ならば、彼は妖怪にした相手をユルサナイと時折口走っていることもあってか、納得してしまう。
「・・・水虎を見つけたの?」
「・・・。さっき、ね・・・。」
洋祐は若干、項垂れている。会いたくて、会いたくない相手。
「・・・どうして、追わなかったの?先生なら追いかけるのでは?」
「・・・違ったんだ。」
「?」
「違ったんだ。僕の思い違いだった。」
洋祐の言葉には後悔と、懺悔が入り交じっている。
「うう・・・んん・・・。」
洋祐は少し深呼吸をして。
「ミズチ。」
桃子は一度、その言葉を飲み込んだ。古来より水の神と呼ばれるその名。
「僕が記憶を一度なくしたことが原因だったよ。水虎は海向こうの妖怪でもあるからね。僕に名を返してくれた。どうやら、海向こうに行くらしくて・・・。」
洋祐は、いつもの飄々とした言葉遣いではなく、なんとなく寂しそうに
「・・・それで、先生はここに残るの?理由が思い出したから、っていうのはちょっと無理があると思うわ。」
洋祐はしばらく考えてから、
「水の神として、ここにいる河童たちを慰めようと考えた。君は・・・」
「ふーん。それで?私は止まらないわ。だって、家に帰りたいもの。」
「て、敵対するんだよ?」
「だから?私は、家に帰りたいの!」
桃子がそういった瞬間、九理の仕業だろう。何もない場所に雲が広がり、雨と血が降り始める。あとから風が強く吹き始めた。
嵐だ。
「わ、分かった!分かったよ。けれど、君には彼らを慰められるか・・」
「関係ないわ。無理矢理にでも、この地をよりグレードアップさせた地獄に引きずり込むだけよ。」
「無茶苦茶だろう・・・。」
洋祐は小さく笑った。だから、桃子の側にいようと決めたんだ。彼女の破天荒について行きたいから。
彼女は幼少期からそうだったわけではない。ただ、救いたい存在を心に決めたとき、彼女は変わった。
死者も亡者も、桃子は労った。
巫女の祈りが、桃子の朗々と読み上げる音が、この地にあの姿を降臨させるために、思い出させるために、詠んだ。うたかたがまがつひの嵐に添うように、地獄への路を指した。
流れる雲が天上の光を徐々に開いて、死者は暗いくらい地の底に流れていく。覚めない夜が、永遠に続くはずだったこの地の色を少しずつ奪っていく。
ーー逝きましょう、昴。
ーーそうだね。
六道院の昴と愛桜は、手を繋いでまがつひの造った道を歩む。桟橋が見える。
ーー裕樹。ここにいたんだね。
兄は桟橋を渡らずに、妹を待っていた。
ーーお兄ちゃん。
幼い二人の子供はずっとずっと巻き取られ、何度も何度も蘇った。
『わたくしは逝きませんよ。』
それに抗うのは、原因、幸治。彼はすでに自我を失いつつあった。
「貴方が、この社の巫女ね?」
桃子はその姿が、化けて、化けて、化けて。いくつもの姿に替わり、そのなれの果てに辿り着いた姿を見た。
巫女装束を着た、よく言う河童の姿。お皿の上に血が盛られ。もうただの妖怪には見えず。
社が朽ちてもなお、結界は張られ、その化けてしまった女性を潜らせないようにカモフラージュされている。
九理が帰る場所を想像して帰れたのは、本来の社の内部に入っていなかったから。 本来の社が、河童の異界の中になる。河童の土地に素足で入れば、いくらまがつひとて、帰り路に惑うだろう。
『お前さんが、広瀬家の主か。』
唐突に響く声。河童の主で、おそらく食われた河童の夫。神気を蓄えた河童の言葉。おぞましさよりも、どこか辛そうな、どこか救われたという、顔。
「えぇ。まさにそのための修行中よ。」
『かっかっ。天狗もまがつひすら連れ歩く、か。お前さんは、わしらの住処を壊そうとしておらんし、わしの・・・、その子を黄泉へ誘ってくれる。』
「えぇ。問題あり?」
『いいや。・・・ありがたいことだ。わしがずっと悩んでおったこと。亡者すら連れて行ってくれて・・・。ほんとうに。お前さんに礼を言おう。いつか、必ず。』
河童は、彼の神気を使い、幸治をただの幸治ともう一人の肉体に分けた。
ーー恨むなぁ、俺はこれからより強い力が必要じゃからぁ・・
幸治の寝言が響き渡る。彼が欲した肉は、彼が望むものを与えず、罰を与え、彼を縛り、それは人を異界の中へと引きずりこんだ。
桃子は、ようやく。この結末に辿り着いた。桃子が当初から行う手筈だった、霊が異界へと誘われる怪異の正体と、それを封じること。
桃子の修行はこれが二つ目のこと。彼女は怪異があれば、赴き封じる。それが広瀬家の役割であり、今もなおその存在を公にしてはいない。
陰陽師なんて、仰々しい名は廃れたし、桃子には大切な家族と、双子の自由の願いが叶えば、なにも問題は無い。
やがて、不可思議な異界が徐々に閉ざされていく。死んだ者達が黄泉に流されて。徐々に徐々に、世界が狭くなり。やがて、メリアノア高校へと続く路だけが、照らされる。
「洋祐!」
桃子が呼ぶと、洋祐はしばらく考えてから、桃子を抱き上げた。
「ちょっと!!」
「僕の方が早く着くからね!」
洋祐がいつものようにケタケタと笑った。
「じじいが無理するのは良くないぞ。」
すると、いつもの姿に戻った九理が合流する。
「おい!はっきり言うな!僕はお前よりは若いはずだ!」
「なんの争い?あっ!じじい戻ったの?」
「だからさー・・・。」
妖怪達は暢気だ。けれど切羽詰まっても良いはず。ここは異界。すでに背後は何もない。
「じゃあ、行くよ?」
天狗の天羅が桃子を見る。桃子は洋祐に抱かれたまま、大きく頷いた。
「えぇ!現界へ!」
天照大神の光が、大地を覆ったように、四人を抱き上げた。
「それでね、桃子。あたしのことを追い出した蛇がさぁ・・。」
陽華が現界で待っていた。
「蛇って、何よ?さっきからよくその名前が出てくるけど・・。」
桃子は山を登っていた。白滝の近くにある社に向かっている。
「えー?名前がカタカナでよくわかんないんだもん。」
「カタカナ・・・。」
九理は陽華の言葉に小さく笑う。
「陽華。あいつの名前はクツァルコアトルっていうらしい。」
天羅が答える。
「へー。一生覚えないよ。長いもん。」
「そうねぇ。覚える必要があればそれでいいんじゃない?」
洋祐も結局はついてきた。彼は、今も何か悩んでいる様子だった。妖怪のことを気にしたりしない。それが、桃子。
「みんなにこれから言うこと、覚えておきなさい!」
桃子が突然ぴしゃりと言う。
「絶対に、無理はしない。いい?」
四人の視線が、桃子を見て。
「おーけー!」
「それは桃子もだよ。」
「もちろんですよ。」
「わかってるよーう。」
気の抜ける返事。
「ふふ。っじゃ。次の異界の地に向かうわ。この山を越えないといけないのよ。」
白滝の山を通り抜け、次の目的地へ。
社が見える高山まで辿り着いた拍子。社の上で手を振る何かを、桃子は視た。恭しくお辞儀をし、顔を上げれば、もういない。
ひた ひた ひた ひた
死んだはずの彼女が、現界のメリアノア高校を徘徊している、という噂が流れた。腐った水の足跡が残されている。
怪異は去った。けれど、本当の怪異は残されたまま。
古い屋敷が内部に眠る、学校。
これは、妖怪の関与しない、本当の怪異。
ひた ひた ひた ひた ビタ
ス ズ ナ
学校の黒板に白い文字が残される。
壊れた校舎が消え、新しくなって。女死更衣室にもう一度、しまい 直さ レ た。頭のない身体。
高尚直高はあの世へ行った。けれど。
ーーみつけて クレ るかな。誰 モ イ カラ
コロ す スず ナ
今度こそ。人が死んだと報じられ。
今度こそ。死体が空へと還っていけた。
貴方の傍らに、その手があると、いつ気がつくだろう。
貴方のことを 見て いる。
貴方の うしろ で




