幻影と幻想と陽炎の先
高尚直高はある古い井戸の写真とみたことがある社の冊子を広瀬桃子に渡されじっと見つめた。
「そこに書かれた社は、貴方の奥様が亡くなった場所ですよね?」
桃子は、平坦な声で言う。返事がどちらであっても、この直高には協力してもらう。
「私の甥が彼の妹を探してその社に入ったのです。井戸の水を飲む女学生は次の日亡くなったとか。」
「・・・。この場所、は?」
「裏で、ですよ。表向きの写真とは、別の。」
直高の冊子を持つ手が震えだした。
「あ、あそこから、帰った?」
桃子はその様子を気にもせずに軽く頷いた。
「えぇ。甥は私と同じように正道を使った。その道を知っている者は限りなく少ない。」
「・・・ありえない・・。絶対にあそこから・・・。」
直高はぶつぶつと呟く。
「そう言う貴方も戻ってきました。どの道を通ったのかは、知りませんが。」
桃子はじっと直高を見つめ、言った。
「もし、もしそうだとして・・・。その子は無傷・・でしたか?傷を負ったら意味が無い・・・!」
「・・・。正道は傷を負わずに帰ってこれる路です。闇雲に走り回ってなんとか帰るわけではない。私も含め、社を任されるような人は基本的に間違いの無い路をとおらないようにします。」
「・・・。生きているなら・・・・。それは幸せです。」
直高の震える手が止まる。
「雪子は・・。彼女は六道院家の娘さんとお友達なんだと言っておりました。最初は、年齢差もあるから、きっとお姉さんのように気持ちがなってそう言ったのだと・・・。でも、聞けば聞くほど妙なことばかりだった。」
直高は身体を震わせる。時折膝を思いっきり、こする。
「娘さんとはずっと昔からお友達で、彼女とは友情と言うよりも深い愛情を感じているのだ、と。知っている雪子とは違う表情をしていた。凄く・・・すごく、魂が・・・。」
直高は一瞬動きを止めた。何かを見つめている瞳はぼんやりとしている。
「そこに、いるはずの彼女は、もう、いない・・・。手が届くような、そんな所にいなくて・・・。」
はっとして、それからまたぼうっとして。
「彼女の遺体が見つからなくて・・・。いったい、どこに行ったのだろう・・・。」
高尚直高はそう言って、言葉を失った。ぼうっとしている。魂も全てをおいて。
桃子は甥から聞いた話しを纏めながら、メリアノア高校の周囲を調べた。古い家や、新しい家。
高尚直高が入院している精神病棟がある病院もかなり新しい病院だ。
桃子が聞いた話しは、すでに何年も前に警察の人が話を聞いている。
ーーおかしい。何故、六道院家の娘さんが話しに出てきたの?今起きていることは、過去と繋がっている?それだと・・・。
桃子は直感的に分かったこと。
この街で起きている事がおそらく普通の規模では起きていないことだということ。この街全てが狂うほどの何かが起きている。
ーー解決できないから、呼び出したのに。あいつはどこをうろついているのかしら?
桃子は心から尊敬する人間を罵倒する。
ーーまたどっかで・・
桃子はそこまで考え、視線をある一点に向けた。高尚菘。直高と雪子の一人娘だ。確か九理が転校した学校の卒業生だ。
菘は直高と話しをしようと病院に来たところだった。毎回追い返されるのだが、それでも菘にはどうしても伝えたいことがあった。
桃子にとって、菘とは交わりたくない大きな理由があった。彼女が、一度あちらに落ちて、こちらに戻ってきたのは半分だということ。
説明を明確にしたところで、彼女は納得しない。そして、気がつきもしないのだ。『死』に気がつかない者が、説明を聞くとは思えない。大抵の生きている者は、『死』とは『死』んだことと捉える。その線を線引きしたのは一体誰だとい言うのだろうか。
よって、桃子は菘の命も直高の命も、すでになくなったと認識している。彼女たちはもうまもなく、向こうに落ちていく。
桃子は探していた人物の一人を見つける。街は小さいはずだが、何故かいつも絶対に一人は決まって一番最初に入ってきた場所にいるのだ。
「『大穴入駅』って面白いよねー。」
「名前のお話しですか?先生。」
桃子がやっと見つけた探し人に話しかける。
「んー?あ!その声は桃子さんですね?」
山口洋祐。彼の瞳は現在を映さない。
「えぇ。ですが、すでに見えたのでは?」
「いえいえ・・。まれにしか見えませんよ、そんなもの。」
洋祐は笑って掌をひらひらと振った。彼の装いは独特で、着物に下駄という風貌なのに、髪の毛をぼさぼさにして、頭には何故か狐のお面をかぶせている。顔は口と鼻が見える程度なので、どういうつもりか、と警察に声をかけられることはしょっちゅうだ。
しまいには、彼の身だしなみにあわない肩掛けのバッグに難癖つけられる始末。
「・・ところで。あの方は?」
「うん?あぁ!天羅のこと?彼は今頃探し物を見つけたと思うよ。」
洋祐は暢気に語るが、今回同姓で、ひらがなが同じ名前の天羅をこの地に招くには危惧することが多くあった。
「桃子さん。気にしても仕方ないよ。この地がどういう路を辿ったのかは、まだ分からない。だって、君の甥っ子くんもすでに踏み入れてしまった。」
桃子は小さく頷いた。そう。ここはもう、引き返すには遅すぎる場所だ。
「駅をこえた。この地は僕らを迎えてくれた。けれど、引き返させはしない。・・・そんなところだ。」
洋祐は小さく笑みを浮かべていた。
なるほど。確かに。この先はもう彼らが住んでいて、それはこちらが望んでやってきた。
桃子は、改めて、過去の自分の過ちに向き合うことにした。
陽華と桃子がお互いに譲れなかったからこそ、今この状況があるのだから。二人がお互いに自分の立ち位置を決めて、望んだ結果。
陽華は死んだ。桃子は九理を救うために陽華の死んだ場所へやってきた。
二人が、二人の最後を始末するために。
裕樹がその日に目撃した少年は、九理と同じくらいの年頃で、とても豊かな表情をしていた。裕樹が求める女性像に近いが、彼は男の子だった。それに、彼と共に歩いていたのは九理で、九理はその男性の横ではにこにこと微笑んでいる。
ーーなんで・・。
九理は、一瞬、裕樹に目を移したが、すぐに横を歩く男性へと戻した。挨拶すらされず、放っておかれたような気持ちになった。
裕樹は帰る路を変えて、山の社へと向かった。何故かは分からなかった。ただ、無性に寂しく、誰かを頼りたくて。
歩く足には徐々に泥がつき。いつしか走っていた。山道がなだらかではないはずなのに、社に辿り着いた時には、息は収まっていた。
静かに自分の鼓動が鳴り響いている。向かった場所が、どこだったのか。今はもうどこでもよかった。優しく語りかける山の川の音が彼女を望む場所まで歩かせた。
『あらまぁ。いらっしゃったの?』
社の近くにある簡易な家。その家に住まう女性の顔にはどこか面影がある。
「佐代子さん?」
六道院家に昔雇われていた家政婦だ。裕樹も、兄の樹里も二人を心の底から愛してくれていた。
『そうね、そうよね・・。愛桜さんはお忙しいから・・。』
裕樹は、はっとした。
「私はあの男じゃありません!」
肩で息をして、佐代子を睨んだ。
『・・申し訳ございません・・。裕樹ちゃんだって気づかなくて・・』
佐代子はにやにやと笑んだ。遊ばれた。裕樹は途方もない怒りとも悲しみともとれる顔をして、家に上がり込む。そこには支度が成された、一枚の布団。
「・・・。・・・。・・・・・・・。」
裕樹は、いない佐代子を無言で探した。布団と、古い畳。そして綺麗な箪笥。佐代子がいなくても、裕樹には意味を理解出来た。
ここで二人は過ごした。ここで、二人で語らっていた。母を嗤い、嘲っていた。そして、兄はそれを知り、激怒した。
「・・・・・・。お兄ちゃん、どこ・・・?」
ここで、兄は消えた。兄は、きえた。兄の足跡は母と共にきえて、みえなくなって。
「・・・・。佐代子さん、どこ?私、帰らないといけないわ。父が待っているの。」
裕樹の顔は途端に戻った。周囲が知った場所とは違うことに気づく。ボロボロの家。古びてしなる畳。落ちた布きれ。崩れた箪笥だった木の端切れ。
『はい、奥様。こちらです。』
佐代子がいつの間にか背後に立って、裕樹の腕に触れた。
裕樹はぎょっとして目を覚ます。辺りは静かだ。ベッドに座っていると、遠くで父がまだ何かを歌っている。冷静さを取り戻すのに、少しだけ、間を置いた。
心拍がどくどくという音と、とくとく、という音。自分の本当の音は。
呼吸をゆっくりとするために、自分の顔を殴った。頬がはれても彼女には痛みなど感じない。
裕樹は鏡を見るためにベッドの横にある化粧台に座る。彼女の顔は完璧すぎるほど整っている。母親と同じ愛桜になっていく。
「私だわ。そう、私・・・。」
裕樹の瞳が何かをうつそうとして、決して見えないように誰かがそっと手を差し入れる。そして、その手が消えれば、もう、彼女はいない。もう、彼女は。
桃子が見つけたときには、何もかもが遅くて。
「桃子さん。裕樹は?」
「もう、いない。もう・・・。」
桃子の喉はずっと渇いている。飲み物を受け付けないほどには、酷い惨状だった。
山の上に登っていく裕樹を発見したのは、九理だった。すぐに桃子が駆け付けられたのはとてもタイミングが良かった。彼女は、山の袂で落下死していた。彼女の仮住まいであるはずの家には父親の昴が腐敗して無造作に置かれていた。
山の袂にはどこにも頭上から落ちられる場所はない。奇妙だと警察の人たちが呟いていたが、それ以上は何も調べなかった。
落下死した身体のあちこちに痣やら打撲跡があったが、誰もそれを指摘しない。彼らには、調べようがないものだからだ。
「桃子さんも、同じですか?」
「・・・私は違うわ。だけど、あれは全て・・・。やったことが、もう取り返しつかないの。前にも、先にも。」
「死者を調べても意味はない。彼らは彼らの生き方がある。どうしても、僕たちでは手出しできない。」
声が少し高く、九理と同じ背格好をした男性。山口天羅は綺麗な石を二つ取り出し、その片方を九理に渡す。
「これは?」
「んー。連絡手段、かな?僕らの家の近くにある綺麗な川から持ってきたよ。君たちのために、わざわざね。」
「天狗山から?」
九理は少し面白そうに尋ねる。耳元に石を持っていくと、綺麗な川のせせらぎが聞こえてくる。
「うん?その言い方は良くないよ。ただの山。僕らの家に近いだけね。」
天羅は差別的だと言いたそうな顔をした。しかし、洋祐はいたって普通で、口だけ笑ってすらいる。
「九理はよく平気だったね?私はもう、あんなもの見たくないわ。」
「人の死体ですか?俺も見たくはないですよ。けれど、俺には鼻がきかないし、見た目に関しても、よく分かってはいないんです。」
九理は不思議そうに、けれど桃子の言うとおりだと頷く。
「はぁ。どうしてこうも違うのかなぁ?」
「人はそれぞれ違うってことだよ、桃子ちゃん。」
洋祐は慰めているようで、なんの擁護もしない。
「私はただのに・ん・げ・ん。貴方たちは違うでしょう?」
ようやく頭が整ってくると、桃子はしっかりと発言した。
「それはまぁ、そうかもしれないけどねぇ。君はちゃんと、と・く・べ・つ、な人間だ。」
「僕だって、完全なそっちでもないし。」
天羅は自分のポッケに入る小さな飴を舐め始めた。
「でも、半妖でもないって言っていたわ。」
桃子が反撃する。
「それとこれとはべつに・・・。」
天羅はあめ玉を美味しそうに舐めながらへらへらと笑っている。
天羅と洋祐は簡単に言うと、妖怪だ。しかし、長い時間妖怪という姿を隠し、ずっと人間として生きていた。
一方で、桃子は代々その血に流れたものが先祖返りして、巫女として覚醒した。その広瀬家の九理と陽華は広瀬家の家に代々隠れ住んでいた子鬼たちだった。二人は若葉と一樹の家に招かれ、子供として住むようになったのだ。
陽華がこの地で何をしたのかを、実は桃子も知らなかった。ただ、陽華と桃子はいつも自分たちの界域について話し合っていた。特に桃子が話す界域には陽華が絶対に触れてはいけないものがあり、桃子との話しを一方的に終わらせて、陽華は入り込んだのだ。
桃子が触れることを許さない場所。それが死者が蠢く場所。陽華には難しく、けれど、気になってきた。そんな感じだろう。
「桃子さんは、親父達に何か伝えたんですか?」
ふと、九理が思いついたように尋ねる。
「?何を?」
「・・・?さぁ?」
「・・・誰一人帰れないって、考えない、と。」
洋祐はのんびり呟く。
洋祐だけは、そう甘くは考えてはいない。この地が、一体どうしてこうも生も死もない交ぜになっているのかを考える。
この地がいつの頃から天照大神の光を遮るようになったのか。
ーー明日にはまた別の死体が見つかる。その死体が・・・
洋祐の横で、何も知らずに語らう三人を見て、一人、心穏やかでは無かった自分に、なんとなしに呆れてしまう。
ーー明日の事なんてどうでもいい、か。
洋祐の目はちゃんと見えてはいる。けれど、いくつもの風景が見えるために、わざわざ呪いのお面をつけているだけだ。
洋祐は、今日だけは何もかも考えないように、した。明日の悲劇も、いずれは過去のものだ。この場にいる限り、また戻ってくるだろう。自分を見落とさないよう、三人を見倣って。
「洋祐じいさんは、昆布でも舐めるか?」
天羅の言葉に、
「誰がじじいだって?!」
と、唐突に激怒する。洋祐は見た目に寄らず、年齢や言葉遣いに厳しい。
その夜は笑っていられるはずだ。笑いは、屍を引き寄せない。
朝靄の中、一人の遺体が発見された。
高尚直高と高尚菘だった。二人はメリアノア高校の屋上で折り重なるように死んでいた。死因は焼死体。身体の内臓部だけが焼かれ、服はもちろん、履き物すら綺麗に残っていた。ただ、焼かれた匂いが色濃く残っていた。




