白き水面にうつした美しくも冷たいその顔に
その日、広瀬九理は学校の学園祭の準備に追われていた。
妹の陽華が一年前に事故死してから、九理は学校に行くことを拒絶してから数ヶ月後のことだった。
九理が学校へ行く理由は、とあるメールが九理を学校へ行くことを促した。九理はメールの内容と、そのメールが陽華のものであることを確信した。
九理の通う学校、メリアノア高校は、女性徒が通うために創立した、女学校だ。数年前に男子学生も受け入れるようになったが、それでも圧倒的な女性徒の数のせいか、男子学生は一割も満たない。
九理は周囲よりも成績が良く、妹が通うメリアノア高校の近くにある日向鷹高校に進学していた。だたし、妹の死後、学校へは通わず、通信制の高校に転校した。彼は陽華が事故死するとは考えたくなかった。
陽華は明るく、周囲に気に入られやすい、優しい子だった。天涯孤独のような兄に笑顔で会話して、なんとか外の世界を教えてくれようとした。
陽華を嫌う人間はそれなりいたかもしれない。だとしても、死が陽華を襲うなんて。
それに、事故死といっても、学校の中で起きた、転落死だ。まるで意図したかのように学校の三階の大きな開かずの窓が開かれ、吸い込まれるように落下したのだという。
九理は真相を探るために、転入した。最終学年の転入は今まで無かったことだそうだが、成績優秀ということで、許可された。
九理は周囲から浮いていたのは当然だったが、九理の真面目な性格に同じ教室の女性徒達が、少しずつ彼と会話をするようになった。
「陽華さんのお兄さんって、あの子と違って寡黙なのね。」
髪がボーイッシュカットの六道院裕樹は、性格が男の子みたいだが、美貌だ。そのせいか、同じ女性徒に好かれている。それだけではない。彼女の実家は、全員が有名な俳優で、いずれ、裕樹も俳優になるという夢があった。特に彼女の父親がとても有名な俳優さんで、周囲からは彼女のサインをもらっていることがステータスになっているのだ。
「君は・・・。六道院の。俺は妹とは違う生き方をしている。そう映るのなら、俺は妹とは正反対なんだろう。」
九理は彼女をあしらった。女性がいくら美しくしていても、彼女たちの裏の顔はどろどろとしている。
陽華が亡くなった理由が知りたくても、今の九理には味方はいない。
「ちょっと冷たいと思うわ。私、貴方が知りたいことを教えて差し上げることも出来るのに。」
裕樹は高値の花ではあるが、九理の真っ直ぐすぎる素直な対応に呆れていた。
「君こそ、その対応は俺にはあまり有効ではないよ。君のような人間にはいつも呆れる。君は、毒の花だ。俺に話しかけるには毒をどこかで捨ててきて欲しいね。」
九理は挑戦的な瞳をして、彼女の心の奥を見つめる。
裕樹が女性らしさを消さないのは、彼女が自分の家の問題を抱えているから。九理はそれを見越してそう告げる。彼女の家では父親も母親も己の私利私欲のために二人の子供を俳優の道へと歩かせた。父親は六道院昴という顔の良さを全面に売りに出し、妻の六道院愛桜はモデルからの転身、女優として名を名乗れるようになった。二人の子供、兄の樹里と妹の裕樹はそんな二人から指導を受け、それなりになを売れるようになった。しかし、裕樹が高校を通うようになり、兄の樹里と離れて暮らしてから、裕樹はお嬢様として学校の側に住まいを持ち通った。
裕樹の家には、父親の昴が居座った。父親は裕樹に命じる。
『女学生を家に連れてきなさい。私の相手をさせなさい。お前ではもう色気がない。』
とてもわかりやすいものだ。裕樹がどれだけ父親を恐れたか。だが、何かの拍子に父親はこときれた。それ以来、裕樹は自分が男らしくするのをやめ、女性らしさを取り戻した。
「私が何故、毒の花なの?」
「君は、自分の顔をよく見ると言い。笑っている顔が、死んだ顔みたいだ。」
九理は失礼極まりない言葉を吐いた。しかし、嘘は言わなかった。彼女の顔が徐々に青白くなっていく。
彼女の心の中では何かを知られたのではないかという恐怖と、きっと顔色が悪いだけだと自分自身に言い聞かせる。
「それより、学校は見てまわったかしら?特に、例の三階の窓。貴方がとっても気にしている場所。」
裕樹はにっこりと笑った。その微笑が麗しいと見えている彼女を囲う女性徒たちは、キャーキャーと叫ぶ。
九理には吐き気の出る笑顔だった。彼は彼の周囲にいる女性達を思い出し、妹の陽華が最も可愛い笑顔でいたと思った。
九理の周囲の女性は、裕樹に劣らないほどの美人ばかりだ。母親も、祖母も。妹の幼なじみですら、ついこの前、雑誌モデルから歌手になった。
皆が似たような姿にしか見えない九理には、この裕樹の笑顔だって作り物だとすぐに分かった。
祖母があまりにも若く見えるために、今でも娘であり、九理の母親でもある若葉とは双子だと言われるほど。ただ一人、若葉の妹の桃子はどういう遺伝子でそうなったのか、彼女には美しさは遺伝されなかった。
代わりに、彼女は不思議な力が備わった。言うなれば、突然的に生まれた能力。桃子から聞いた話しを九理は心から理解した。
桃子だけは、信頼できた。それが真実では無かったとしても。
「・・・あの三階の窓。今は閉鎖されて近寄ることすら出来ないのに。よく言えるな?」
「あら?そうなの?ごめんなさい。私は知らなかったの。ほら。私たちって、先生の話も聞かないじゃない?」
裕樹の言葉に周囲は嗤った。何が楽しいのか分からない。
が。
裕樹の死人のような顔は、九理が思い当たる事と一致していた。その理由が例え学校外のことであっても、桃子が話した事柄のそれだった。
ーー桃子さんが受け継いだのは美貌ではなく、祭祀としての力。死者の声を聞き、生きた悪霊の声を聞く。
広瀬家は、代々祭祀として三つのお社を守ってきた。特に、祭祀としての才能を持ち生まれてくる子供は男女区別なく、お社を守る者として教養がなされた。特に、見ること・聞くことが出来る子供は大切にされ、お社を守る守護祭祀として擁護された。
今の時代、そのような役目も元々祭祀として生きてきたことも、公にはされなくて。けれど、先祖返りとでも言おうか。広瀬桃子は祭祀としての力に目覚めた。
広瀬家は今も名を残すために、夫が婿入りする慣わしがあって、父親の一樹は婿養子だ。義理の妹と妻の若葉の容姿をいつも酒の肴にしては、ほろ酔い気分でいる。
重要なのは、容姿ではない。と、九理は思っていた。それに、妹の陽華は母や祖母とは違い、それほど美人とは言えなかった。凡庸。それが適切だろう。そして、九理も同じように凡庸だ。彼は彼なりに努力して進学校に入った。
一方で、陽華は違った。陽華は桃子と何かを会話して、通う学校を決めた。桃子が今もその話しを教えてくれないのは、陽華との約束だからだと言われた。
ーー陽華が死んだという話しは誰もしない。誰も・・。
九理は裕樹を見つめて、小さく嗤った。
「『マリオネット・ユウリ・マリオネット。』君の母親は、子供を何人産んだんだい?」
九理が呟いた言葉が、裕樹の顔色を変えた。身体を震わせ、今にも襲いかかろうとじりじりと寄ってくる。
「みなさん!教室の移動です!」
先生が入ってこなければ、裕樹は何をしでかしただろう。
彼女の瞳には、何も宿っておらず、心さえ消えていた。悪霊は彼女の魂を貪っている。
それから一週間。九理は思ったよりも大きな問題に直面する。
彼が過ごしている家の近くに見知った女性を目撃した。彼女は裕樹の取り巻きの一人で、山口雨羅だ。素朴で質素な服装。よく見ると、いろいろな箇所に打撲跡や痣が見える。彼女の家は母親が会社の都合で転勤に出向いている。一方で父親は娘と共に家で過ごし、たまに酒を買いに家を出ては、外で喧嘩沙汰になっている。
打撲跡や痣が誰の手による者かは想像に難くない。はたから見れば、父親以外いないと考える。
九理は違った。
ーーまた山の社に行くのか・・。桃子さんの言うとおりなら、彼女はもう山を下りない。父親は誤解されたまま・・。
裕樹の顔を思い出した。そして彼女の周囲にいた取り巻き達。みんな、身体の一部に痣があり、消えない闇を引きずっている。
ーーこれが・・。これが、悪霊のせいで、俺が手にしている秘密を暴露したとして。彼女は、救えるだろうか?
九理は答えを探して。無駄だと気がつく。
彼女は、彼女たちは、もう戻れない。きっと戻るつもりもない。
ーー殺した末路は、自分の命。・・・いや。まだだ。まだ、きっと・・・。陽華と同じような末路へ行くのは愚かだ。これは俺にとっての最後のチャンスだ。このまま、彼女たちと共に山へ下れば・・・。
九理はそう言い聞かせて、靴を履き、手にしたのは小さなアクセサリー。片方のイヤリングを耳につけて、急いで雨羅を負った。
彼女を見失うことだけが、今の彼にはあってはならないこと。
小雨が降ってきた。
裕樹は家で泥酔する父を見つめては、小さな笑みを浮かべた。
昴は生きてはいる。生きては。けれど、言葉も話せない。ただ、酒を飲み、鼻歌を歌っている。彼の皮膚はかびて、異臭が鼻を覆いたくなるほどきついが、裕樹は彼のその状態に何も感じていなかった。
裕樹にとって、父親はこの世にいなくても言い存在。消えてしまえば良い。けれど消えてしまえば、警察が関わるだろう。困っていたその時に出会った女性。
九理の妹、陽華だ。彼女は裕樹に言う。
『白滝の山にある社の井戸から水を汲みなさい。きっと社の神様が助けてくれる。』
『けれど、井戸の水は、自分が飲み干すこと。決して、社の外に出してはいけない。』
その時の陽華の服装は、巫女服だった。とても美しく整った顔の、陽華、だった。
彼女が死んだはずの陽華ではないと、裕樹は考えた。思考はめちゃくちゃになり、ただ、頷いた。
「わかり・・・ました・・・。」
裕樹が女性のようになるために、父親を。
翌日。
山口雨羅は白滝の山の麓で屍となり見つかった。いくつもの痣や痛々しい怪我を見て、誰もが父親を疑ったのだが、父親もまた、自分の部屋の風呂場で冷たい水の中で亡くなっていた。父親の死因は、首を絞められた絞殺。だたし、風呂場の鍵は閉められ、裸で担がれて風呂場に沈められていたという奇妙な状況ではあった。
一方の雨羅は驚くほどのことではないが、奇妙ではあった。死因は圧死。見た目は普通なのだが、内蔵はほぼ全て破裂。骨は全て砕けていた。
山口雨羅の死は、学校内部では噂が広がりはしなかった。女性徒達は、裕樹のもとに集い、先生の話よりも静かに聞き従っている。
九理は、彼女が招いたのではなく、招かれてしまったのだと理解していた。
昨日、雨羅を追って社に至った。彼女は社の井戸の水を飲んでいた。そして、ふと何か思い至ったのか。急にその水を吐き出してしまった。
井戸が穢れ、彼女はそれに気づきもしなかった。いや、もうすでに穢れた水を飲んだことで、彼女は傷だらけになっているのだ。
彼女はそのまま社の裏へと回った。九理は慎重に跡を追った。社にはたくさんの水に関わるお守りが飾られいる。一つ一つのお守りがこの社を守っているのだろう。
雨羅は社の裏にある大きな蔵の戸を開ける。戸の中には巨大な人形が置かれていた。その人形には至る所に傷がある。雨羅はその人形の足を見て小さく首を振った。
「あたしのじゃない。誰か別の人。」
その箇所と同じ場所、雨羅の足には大きな怪我があった。
九理は少し離れた場所でそれを見ていて、その人形がこの社に供えられた供物だと理解した。
顔が九理からは見えないが、どことなく古い着物を着ており、その上、倉の中には人間の骨のようなものまで置かれている。
その時、九理ははっとした。
ここは、確かに白滝の山の社。ただ、ついて行くのに必死で気がつかなかった。山に音が無くなり、白滝の水音しか聞こえない。静寂ではないが、死の世界に近く、鳴る音が死を呼んでいた。
耳のすぐそばで、小さな声が聞こえた。
『迷われたのかしら・・・』
九理の耳は研ぎ澄まされ、女性の吐き出す音と呼吸する音。そして、布の掠れる音を聞き取った。
九理の横を、九理がよく知る女性が横切った。妹の陽華だ。ようか、だ。
目の前の様子はただ一瞬を切り取って話すことが出来る。
ようかは、雨羅に話しかけた。雨羅は戸惑い逃げようと倉の中に吸い込まれていく。ようかは、困ったように嗤った。
『あら、あら、あら・・・。そこから先は・・・』
九理は空を見た。空は暗く、星一つ無い。
瞬く間に、雨羅の叫び声が聞こえてきた。鳴り止まない必死な声。
九理は動けなかった。ただ、空を見ているだけで、顔はその、それをみることはない。
叫び声が消え、静けさがまた訪れる。滝の音はいつのまにか鳴り止んでいる。星すら消えたこの空間に、九理は言葉を発すること無く目を瞑り、自分のいるべき場所を思い出そうとした。
ーー兄さん、迎え・・・
思い出せた。自分がいないと行けない場所。
九理は、自分の家のベッドの横で転がっていた。彼は、思い出せた。帰る場所を。
翌日の雨羅の話しはすぐに学校の外には広まっていた。学校の外は、裕樹では縛ることができないのだろう。
もちろん、九理にとってもこれはまだまだ、起こり始めなのであって、今後これから、さらに奇妙な事が起きると理解した。
明日は我が身と考える女性徒たちは見て分かる。彼女たちは自ずとあの社に向かう。
ここから、はじまる。
ここが空だと誰も知らない。




