第六話 PMはトレーサビリティを優先する
女はベッドに横たわる老人を、ただ眺めていた。
深く刻まれた皴。
真っ白になった頭髪。
枯れ枝のように衰えた四肢。
ささやかな時の経過で、屈強だった戦士は人生の終焉の淵をさ迷っている。
「悪いな、■■■■。お前をまた独りぼっちにさせちまう俺を、許してくれ」
擦れるような声で、老人が歯の抜け落ちた口腔を覗かせる。
女は震える彼の腕を、そっと握りしめた。
硝子玉のような感情を映さない瞳で、骨と皮だけになったそれをじっと見つめている。
理解ができない。
思考が追いつかない。
この胸臆を揺らぐものの正体が、女にはついぞ分からなかった。
「……」
やがて握った腕の震えが停まり、老人の皴に埋もれた両の眼がすっと閉じる。
火が消えたことを理解するまでの間――
女はただ、立ち尽くすことしかできなかった。
俺は検問場へ向かう道すがら、フネに聞いた夢の中身を反芻していた。
彼女が今朝見たという夢。
朝食の固いパンをかじりながら、彼女が熱く語ってくれた内容を思い返す。
それはエテルナに旅立つ前に見た夢の、どうやら続きらしかった。
「なんだか、妙に気になるな」
俺は静かな歩道を歩きながら、独り言を呟く。
今は一人なので、その呟きは虚空へと流され、自然と霧散していった。
「オサム様、この先です」
前を先導するように走っていたピットが、立ち止まって告げる。
「あ、ああ。分かった」
俺は少しぼんやり耽っていた頭を左右に振ると、ピットを追いかけた。
それにしても魔物の襲撃に頻繁に遭っているというのに、やけに静かな街並みだ。
人影も、人通りもあるのに、誰も喋っていない。
人口の少ない田舎だから、こういうものなのだろうか。
俺は思わず、復興に賑わうアステリスクを思い出していた。
たかが数カ月滞在しただけで、まるで故郷を思う心境である。
「――ん?」
その時、通りの先で一人の老婆が立ち尽くしているのが見えた。
白髪を後ろにひっつめ、腰の曲がった老女。
だが、なにやら様子がおかしい。
目を大きく開き、半開きの口は透明な糸を引いている。
「大丈夫ですか!?」
俺は異常なその様を見て、慌てて駆け寄ると、老婆の肩を掴んで声をかけた。
しかしいくら身体を揺らしても、反応が返ってこない。
見開かれた瞳は白濁しており、何も映していなかった。
明らかに、普通の状態ではない。
「まずいな」
俺は肩から手を離すと、誰かを呼びに行こうと辺りを見渡す。
誰でもいい。
手近に見えた民家に助けを求めるため、駆け出そうとして――
しかし、すぐにその必要はなくなる。
まるで夢から覚めたかのように、老婆は目に生気を宿すと、何事もなかったかの如く歩き出したのだ。
「ちょ、ちょっと……」
俺はすたすたと遠ざかっていく姿に、声をかける。
すると老婆は、ゆっくりと振り返り不思議そうに首を傾げた。
「あんれ?どうなされた、お若いの?」
「いや。あの、その。おばあさん、大丈夫なんですか?」
「何がだい。私はまだしっかりしてるよ。失礼な人だね」
俺のかけた言葉に、心外とばかりに少し怒りを表す老婆。
その表情は、先ほどと違いしっかりとした意識と意思を感じ取れた。
一体、何なんだ。
俺が混乱していると、彼女はふんと鼻を鳴らして、腰を曲げたまま通りの向こうにすたすたと消えていった。
「……とりあえず、無事ならいいか」
俺はやや呆然としながら見送ると、踵を返して検問場へと再び足を向ける。
検問場はこの国に入ってきた時に通った、巨大な門のそばに隣接していた。
人が数人入れるスペースと、カウンターが備えられた簡素な施設。
俺がそこに到着すると、一人の若い男が出迎えてくれた。
「ヨシダさんですね。グレンさんから話は伺ってます。何やら、魔物検知のプロだとか」
「ははは。プロ……ではないですが」
俺は差し出された手を握り返し、曖昧な顔で笑顔を作る。
どうもこの国では、イメージが先行することが多い。
若い栗毛の男は、自身をテオと名乗った。
彼は俺をカウンターの中に案内すると、昨今の事情を簡単に説明してくれる。
「エテルナは小さな国でしてね。どうしても食品や燃料は輸入に頼らざるを得ない。そこを奴らに突かれるんですよ」
喋りながら、彼は不思議な金属製の棒を手にした。
棒に刻まれた文様が、鈍い光を放っている。
「魔力探知機もあるにはあるんですが、旧い型だからなのか、全く役立たずでして」
「へえ。これで、魔物を検知できるんですか?」
テオが持つ魔力探知機をよく見ようと、俺は少し身を屈めた。
「魔物を検知するというよりかは、魔力に反応して音を鳴らすんですよ。ただ常にオンにしていると、魔力を持った人間とかにも反応するから、検査の時だけスイッチを入れます」
「なるほど。金属探知機の魔力版みたいなものか」
「え?」
海外出張前に、空港のゲートで受けたボディチェックを思い出す。
携帯型のそれをぐるぐると、スーツの上から検査員にあてられたものだ。
俺がそんな思い出に耽っていると、テオが探知機をテーブルの上に置いて、声を上げた。
「お、ちょうど馬車が入ってくるみたいです。早速一緒にお願いします」
視線を街道の先に向ける。
少し離れたところから、ゆっくりと近づいてきたのは小型の馬車だ。
手綱を握る恰幅の良い中年の男が、俺たちの視線に気づいて片手を上げるのが見えた。
隣に立つテオが、同じように手を振って応じる。
顔見知りなのだろう。
「商人のマルセルさんです。サザンドールの連中の中では、話が分かる方です」
「サザンドール?」
俺が聞き返すと同時に、馬車が検問場の前に到着した。
馬がいななき、中年男が地面に降り立つ。
大きなお腹をサスペンダーで持ち上げ、彼は人の良い笑顔を浮かべながら、カウンター前にやってきた。
「やぁ。テオくん。久しぶりだね!」
「マルセルさん、ご無沙汰です。いつもこんな辺境まで、ご苦労様です」
二人の会話を尻目に、俺も軽く頭を下げる。
「ん。新人さんかい?見ない顔だけど」
「はい。少し前に同僚が魔物に襲われ怪我をしたので、その代わりです」
「ヨシダ・オサムです。よろしくお願いします」
カウンター越しの会話に交じりながら、俺はこっそりと地面で待機しているピットに指示を出した。
指示の内容は、もちろん馬車の中の魔物のトレースだ。
ピットの目が分析のために、小さく明滅する。
「では、いつも通り荷物の検査をさせていただきますね」
世間話を終わらせ、探知機を片手にテオが、馬車の荷台に向かって歩いていった。
さすがに同僚として、それっぽいことをやらないとまずいだろう。
俺もその後を追いかけて、荷台の前に立つ。
テオが慣れた手つきで幌を開くと、大小さまざまな木箱が積まれた車内が現れた。
「うーん。特に問題なさそうですね」
彼は手にした探知機を、次々と木箱にかざしながら呟く。
奥に奥にと、身を屈めながら彼が動くのを、俺は荷台の前で眺めていた。
「――オサム様」
その時、足元から声がかかる。
視線を下に向けると、ピットがこちらを見上げていた。
先ほどよりも高速で点滅する円らな眼。
「荷台前方の木箱と御者台の隙間に、敵性反応一体。識別個体:インプ・クラッカー」
俺は通知を聞いて、テオの肩を無言で叩いた。
彼は奥まで突っ込んでいた首を戻し、こちらを振り返る。
そして俺の表情を読み取ると、驚いた顔で荷台の外に素早く出た。
「まさか……」
小声になるテオ。
俺もそれに合わせて、静かに口を開く。
「ああ。一匹だけだが、潜んでいる」
「そんな。反応は無かったのに」
テオは荷台の中に一瞬視線を送り、続けて手にした探知機に目を落とした。
何の反応も示さない、金属製の魔力探知機。
「自警団に連絡を取ろう」
俺が提案する。
しかし彼は首を横に振ると、足早にカウンターに戻り、中から一振りの剣を持って出てきた。
武器を持ち出した彼に、カウンターそばで寛いでいたマルセルが、ぎょっとした表情を浮かべる。
「お、おいおい。どうしたんだ?私の荷物に何かあったのか」
「魔物が中にいます。恐らく山で、忍び込まれたのかと。危ないので、マルセルさんは少し離れていてください」
テオがマルセルに簡単に状況を説明し、離れているように指示した。
ドタドタ。
大柄な身体を揺らして、慌てて検問場の影に身を隠すマルセル。
若干身体の一部、大きなお尻が隠れ切れていないが、問題ないだろう。
「一匹だけなら、僕一人で大丈夫です。エテルナの人間は、強いんですよ」
戻ってきたテオが、剣を構えながら人懐っこい笑みを浮かべた。
「で、どこに隠れてるんです?ヨシダさんが追い出してくれれば、僕が倒しますよ!」
「いや。少し考えがあるんだ。できれば倒さずに、追い払うだけにして欲しい」
俺の言葉に一瞬きょとんとした彼だったが、すぐに大きく頷きを返す。
「分かりました!ヨシダさんに従うように、グレンさんから言われてますから!」
「ありがとう」
素直な彼に礼を言うと、俺は作戦を説明した。
とはいえ、そんなに大したものではない。
敵の居場所をARで表示させ、テオに上手く馬車の中から追い出してもらうだけだ。
ただし追い出す際に、敵が飛び出すタイミングを合図してくれること。
それから、可能な限り俺とピットのいる方向に追い立てること。
要点は、その二つだけだ。
「……了解であります!」
俺の説明を受けて、彼は元気に返事した。
そこからの対応は一瞬。
荷台内に、ピットが表示させた赤い矢印。
見慣れぬ光景にわずかに躊躇した彼だったが、矢印の先が標的を示していることを理解し、慎重に木箱を動かす。
飛び出してくる緑の小鬼――インプ・クラッカー。
インプが放つ鋭い爪の攻撃を、テオは難なく剣で防ぐ。
それから狙ったように、力ずくで小さい敵の身体を、こちらに向かって吹き飛ばした。
「ヨシダさん、今です!」
「ピット。マーキングしてくれ」
車内から外に飛んできた矮躯に、ピットが目を光らせる。
インプ・クラッカーが、白い光に包まれた。
魔物は自身を包む淡い光に、動揺したように短い腕を振り回す。
しばらく身体を捩り、鳴き声を上げていたが、光が離れないのに諦めたのか、インプはそのまま街道の向こうに消えていった。
「うまくいったんですか?」
「ああ。これでいつでも追跡可能だ」
車体から出てきたテオに、俺は頷く。
一体では足りないかもしれないが、これを何度か繰り返して母数を増やせば、集落の予測点も割り出せるかもしれない。
俺は通りの向こうを眺めて、一息吐いた。
「オサム様。フネ様より緊急通知です」
その時ピットの通知と共に、突然空中にフネの顔が現れる。
彼女とはいつでも通信が取れるように、ピットに命じてチャネルを開くようにしていたのだ。
彼女の表情は、珍しく酷く焦ったような顔つきだった。
ARで映し出された彼女が、俺に向かって口を開く。
「どうしよう、オサム!グレンさんが、固まって動かなくなっちゃった!」
プロジェクトの課題や問題
その他変更管理は常に追跡可能状態(トレーサビリティがある状態)にしておく必要があります。
だからなんだという小話です(笑)




