第二十二話 PMは秘境の女神を改修する
エテルナ国で、慌ただしい日々を俺たちは送っていた。
あの後リコリスを連れ、エレノアと合流し事情を説明した俺たちは、まず最初に住民の眷属化を解除した。
サザンドールの戦士に救出されていたエテルナ国の人たちは、リコリスの力を解くと、石白化症から解放された。
彼らは時を停めていた間のことを、何一つ覚えていなかったが、むしろそれで良かったのかもしれない。
「まさか、本当に二人だけでエテルナを救うだなんて。俄かには信じ難いけど……」
美人外交官は、俺とフネの後ろでおどおどする、銀髪の魔族に視線を送る。
「……はあ、まったく。こんな大魔族を見せられたら、信じるほかないじゃない」
エレノアは額に手をやり、大袈裟に溜息を吐いてみせた。
それから素早く部下たちに指示を出し、ついでにギルドから派遣されてきた冒険者たちにも号令を出して、エテルナ国を包囲していた集団を散会させる。
国に巣食っていた魔物たちは、すでに消失しているので、冒険者たちも大人しく従うしかなかった。
魔物はリコリスの力の支配を解くと同時に統制を失い、すでに山々の向こうに消えている。
俺はフネに肩を借りながら、エレノアに深々と頭を下げた。
彼女がいなかったら、事態はより混乱を招いていたことは、想像に難くない。
「今回は色々尽力してもらって、本当にありがとうございます」
「別に構わないわ。貴方は約束通り、エテルナ国の住民を救ってくれた。確かに交易を存続させる方が、サザンドールにはメリットが多いのよ」
「そのことなんだが……」
俺は痛む胸を押さえながら、これからのエテルナ国との新たな交渉の場を設けたい旨を手短に伝える。
彼女はすぐに顔つきを商人モードに切り替えると、小さく頷きを返した。
トレードマークの長い耳が、ピンと上向く。
絶対また交渉は難航しそうだなと、胸中で唸りながらも、足掛かりのアポイントは取れた。
破壊された街に戻った住民たちは、しばらく皆呆然とするしかなかった。
だが少しずつ、少しずつ、今では復興に向けて動き始めている。
エレノアの手配でサザンドールから、ボランティアや支援物資も届き、街は俄かに活気づいていた。
トビーもギルドの支部に掛け合ってくれて、協力してくれる冒険者たちも多数集まってきている。
王宮前の広場では、商魂逞しい者たちが露店を並べたりして、その中には見知った顔もあった。
ふくよかなお腹をサスペンダーで持ち上げた、人の良さそうな商人――マルセル。
検問場で一度会ったことのある男だ。
彼は俺とフネの姿を見かけると、にこにこしながら手を振る。
「おーい。久しぶりだね。オサムくん……だったかな?」
「お久しぶりです。よく覚えていてくれましたね、マルセルさん」
「商人は一度見た顔は忘れないものさ。特に有用そうなら、なおさらね」
有用、ときたか。
俺は苦笑いしながらも、彼の丸っこい手を取り握手を交わした。
マルセルは手を離すと、自分の露店に並べた湯気の立つ熱々の串を二本、俺たちに差し出す。
串には茸や肉が突き刺さっており、香ばしい香りが鼻をついた。
食欲を刺激され、お腹が鳴る。
「んっまーい!」
だが串は二本ともフネの手に渡り、一瞬で口の中に頬張った彼女は、幸せそうな声を上げた。
串を受け取ろうと伸ばした俺の手は、虚しく宙を掴む。
マルセルはその様子を楽しそうに見つめながら、さらにもう一本の串を俺に差し出した。
「そうそう。オサムくんに伝えておこうと思ってね。テオくんだけど、サザンドールの病院で目が覚めたよ。かなり優秀なスタッフを、エレノア様が手配してくれたみたいでね」
「……良かった」
彼の何気なく語ってくれた朗報に、俺は心の底から安堵の声を漏らす。
フネも隣でモゴモゴ、何を伝えたいか分からない喜びの声を上げていた。
「フーちゃんさん!」
広場に現れたアニカは、俺たちの姿を見つけると、トレードマークの水色髪のおさげを跳ねさせながら駆け寄ってきた。
「……ムム……かちゃム!」
すでに十本目の串肉を口に放り込んだフネが、嬉しそうにアニカに飛びつく。
口から飛び散った肉汁がアニカの頬に降り注いだが、彼女は嫌そうな顔一つせずに、がっしりと抱擁を交わした。
聖人でないと、ギルド職員は勤まらないらしい。
「お二人とも、今回は大変だったみたいで。何も力になれず、ごめんなさい」
「ムング。ムチャチャ!」
「まずは口の中のものを処理しろ」
俺はフネを後ろから引きはがすと、アニカの前に立つ。
「十分助けられたよ。紹介してもらったトビーさんにも、かなりお世話になった」
「そうっしょ?色々役に立ったでしょ、俺は」
すでにアニカの背後から赤茶色の頭が見えていたので、俺は驚かない。
ひょろっとした長身痩躯の男――御者のトビーは、アニカの肩に馴れ馴れしく手を置くと、片手を上げてにやっと笑った。
アニカが丁寧に肩の手を退けて、こちらは上品に微笑む。
「トビーさんが役に立ったかどうかは置いておいて。今回のお二人の活躍。マスターも非常に評価しております。アステリスクだけじゃなくて、エテルナ国までたった二人で救ってしまうなんて。正直、ギルド本部でも特例でクラスを昇格させる話が挙がったほどです」
自分のことのように、手を叩いて目を輝かせるアニカ。
だが俺は、彼女の言葉を受けて素直に喜べないでいた。
エテルナ国に打撃と損害を与え、テオが重傷を負い、そして――グレンは。
全て俺がベラドンナの罠に嵌ったことが発端。
ズキンと、怪我をした胸が痛んだ。
咄嗟に手で押さえるが、責任という痛みは中々治まらない。
「だ、大丈夫ですか?」
アニカが身を寄せ、上目遣いで心配そうに俺の様子を探る。
俺は大丈夫と言おうとして、言葉を詰まらせた。
「まったく。さいごまでぶきよーなんだから」
肉を咀嚼し終えたフネが、あの日の夜と同じ台詞を吐きながら、俺の背中を優しく撫でてくれる。
それだけで、痛みがすっと引いていくのを感じた。
アニカが少し眩しそうな、どこか羨ましそうな表情を浮かべる。
しかし変遷は一瞬で、すぐに彼女は話題を変えた。
「あまり、無理しないでくださいね。そういえば、依頼人のリズさんの姿が見えませんが、どちらにいらっしゃるかご存じですか?」
「ああ。彼女は、復興計画の件で王宮だ。ここ数日は俺たちも、まともに会えていない」
「そうですか。ノーマンさんから、今回の依頼の件で言伝をもらっていたのですが。また日を改めますね」
アニカは残念そうにそう言うと、ぺこりと一度頭を下げて、トビーを引っ張り広場の向こうに消えていった。
残された俺は、ふと石畳の地面に視線を落とす。
魔物たちに踏みにじられた白い花の残骸が、至るところに散らばっていた。
拠点としていたリコリスの家の一室。
俺はギルド向けの報告書を作成しながら、同時にエレノアとの交渉の要点をピットに叩き台ベースで出力させていた。
その時、控えめなノック音が部屋の中に響く。
遠慮がちなこの音は――
「リコリスか」
「はい。オサム様、少しよろしいでしょうか?」
久しぶりに見る彼女は、最初に会った時の幼い少女の姿だった。
俺はフネを呼んでこようかと言ったが、彼女は小さく首を横に振る。
「大丈夫です。フネ様がいると、きっと……。少しお付き合いいただけないでしょうか?」
何かを言い淀み、それから決心したように、銀髪の少女は俺を見上げて誘った。
依頼人の頼みとあれば、断るわけにはいくまい。
毛頭、断るつもりもなかったのだが。
俺が了承すると、彼女は静かにゆっくりと歩き出した。
リコリスの家を出て、まだ荒れた状態の歩道を二人で進んでいく。
日はすっかり沈み始めていて、辺りは大分薄暗くなってきていた。
復興で集まった人々も、仮設の宿舎に戻ったのだろう。
山から下りてくる風が時折、風鳴りの音を響かせるだけだ。
「あの。お身体は大丈夫でしょうか?」
沈黙に耐えかねたのか、前を歩くリコリスが振り返らずに尋ねる。
俺は貫かれた胸の辺りを軽く叩いて、問題ないと答えた。
かなりの激痛が走ったが、もちろん顔にはおくびも出さない。
「本当に、ごめんなさい」
「……」
小さく謝る、幼い少女。
いや幼く見えても、齢で言えば今の俺はもちろん、元の世界の俺よりも遥かに年長者のはずだ。
しかしなぜかこの目の前の存在は、とてもそこまで成熟しているようには見えなかった。
それは異形の姿を見た後でも、印象が変わらない。
俺は少し歩調を早めると、彼女の隣に追いつく。
それから小さい子を扱うように、手を繋いであげた。
「グレンさんのお墓だろ。行く先は」
「――はい」
手を握り返す、リコリス。
ひんやりとした体温だが、手の平からは彼女の温もりを確かに感じられた。
復興に忙しくなる前――
俺とフネ、リコリスとオルセン王の四人だけで、自警団の隊長だった老兵の納棺は密やかに執り行っていた。
長年仕えた主従という言葉だけでは片づけられないものが、二人の間にはあったのだろう。
オルセンは王という立場も忘れて、墓の前で涙を流していた。
逆にリコリスは、ただ黙って呆然と立ち尽くすだけだったのを、思い出す。
対照的な二人だった。
今歩いている道は、そのグレンの墓に続く道だ。
「一つ聞いていいか?」
「何でしょう?」
俺はずっと気にかかっていたことを、歩きながら口にする。
「これは俺のただの推察でしかないが、リコリスは最初からベラドンナが魔物襲撃の主格だと知っていたんじゃないか?」
「……」
不思議な話ではない。
ベラドンナはエテルナという小さな国を、異常に執着していた。
レゾナンス鉱石を狙うでもなく。
国土占領を目的にもせず。
彼女が最期に語らった中にあった、「佳い顔」という言葉の意味。
最初は意味不明だった。
だがあれは、リコリスを指していたのではないだろうか。
少女の握る手の力が、微かに強まる。
「オサム様は、本当に何でもお見通しなのですね。仰る通りです。私は知っていました」
「……そうか」
「彼女は魔族の中でも、先祖返りの血を濃くした者です。魔族と人間は数百年前、長い闘争に疲れ、和平を結んだことは誰もが知る歴史の話――」
この世界の歴史はもちろん、俺には分からない。
だから俺は傾聴スキルを活かして、聞き手に回ることに集中する。
「ある日突然、彼女は私の前に現れました。彼女は人間と暮らす私が、気に入らなかったのです。魔族の本性を思い出せ、エテルナの国民を血祭りに上げろと、しつこく迫られました」
「気に入らなかった――まさか、言葉通りの意味だったとはな」
静かに話すリコリスの語りを邪魔しないように、俺は口の中だけで魔物たちの首魁の台詞を反芻した。
「その内諦めてくれると、思っていました。でも彼女は日を追うごとに、私を厳しく責め立てました。なぜ人間のフリをする、魔族なら人を喰らえ、お前なんか人間からしたらただのバケモノだ……って」
入り組んだ小道を抜け、墓標が立ち並ぶ区画に入った。
ここの一角はオルセン王の計らいで、戦没者たちの霊園として新たに整備された場所。
グレンだけではない。
先の二度の魔物の大襲撃で、亡くなった人は多数存在していた。
霊園に一歩立ち入った瞬間、手を繋いでいたリコリスが元の姿に戻る。
見慣れた二本の角と、長い尾。
すらりと伸びた白い肢体は、暗がりで神秘的なほどよく映えた。
長い銀髪を靡かせた彼女は、遠い眼差しと共に薄く微笑む。
胸が締め付けられるような、哀しい笑み。
繋いだ手を優しく振り解き、彼女は俺の顔を真っすぐ見つめて言った。
「本当ですよね。ベラドンナの言う通りだったんです。私は人間からしたら、正真正銘のバケモノ。魔物の襲撃も、流行病の原因も、全部全部私のせいだったんですから」
ルビーのように、真っ赤な二つの眼。
闇夜に煌めく双眸の奥底が、ゆらゆらと内なる焔を揺らめかせている。
俺はかける言葉を持たなかった。
彼女の言葉は全て、純然たる事実だ。
ふと俺は、現実世界で今回自首した孤高のプログラマーの、その後が気になった。
彼は今、どこで何を思うのだろうか――と。
「私この国が大好きです。だから……」
リコリスは俺から視線を逸らすと、またゆっくりと歩き始める。
俺は無言のまま、墓標の森を進む彼女の背を追った。
霊園の最奥――
ほんの少しだけ開けた場所に、グレンの生前愛用していた剣が突き立ってた。
立ち止まったリコリスは、剣の前で姿勢を正して、瞳を静かに閉じる。
「――」
周囲をそよぐ風の音よりも小さな声で、彼女は何事か呟いた。
謝罪だったのか、感謝の意を示したのか。
その言葉は誰にも分からない。
目を凝らすと、白く細い両肩は小刻みに震えていた。
「オサム様。だから、私はこの国を出ようと思います。私がいると、またベラドンナのような者に国が荒らされるかもしれない」
「システム不全は直った。国防交渉も俺がやってやる。君が出ていくことは……」
「駄目なんです。だって……やっぱり私はバケモノだから。それにもう、グレンさんやあの人みたいに悲しい思いを繰り返したくない。ずっと独りで構わない!」
最後は悲鳴に近い。
彼女の閉じた瞳から、涙がつうと垂れた。
止めどなく。
止めどなく。
それは彼女が言葉通り、独りでよいなどと全く思っていないことの証跡の雫。
俺はかけようと伸ばした手を、宙で彷徨わせた。
彼女がこの国で過ごしてきた、悠久の年月。
思いの発露。
覆すに足る言葉を、俺はやはり持てない。
それを成すのは、彼女の傍で支えてきた人間だろう。
だから、俺は口を開く。
「グレンさんは、分かっていたのかもしれないな」
「――え?」
リコリスが目を大きく見開いた。
彼女が気づいていなかったことを、俺は確信する。
ここから語るは、ただの詭弁なのかもしれない。
それでも俺は話さずにはいられなかった。
「君の正体と、君の力の影響を。俺は彼の最期を知らない。だがきっと、君に向けた思いがあったはずだ」
「あ……」
「それは、なぜ君に向けられた?恐らく気付きながら、君を受け入れていたからじゃないか?」
ほとんどかまかけに近い俺の言説に、リコリスは顔をくしゃくしゃに歪める。
「……グレンさん。私がベラドンナを殺めた時――怒っていたんです。私が一瞬姿を戻した時に、驚きも恐怖もなく、ただ叱るような顔つきで私を見ていたんです。なぜなのでしょう、オサム様……」
まるでおつかいで何を買うのかを忘れたかのような、幼い子供の不安な面持ち。
グレンが好々爺が如く、孫を見るような眼差しで彼女を見つめていたことを思い返す。
そうか――
彼女は存在そのものではなく、感情自体が未成熟なのだ。
「グレンさんが叱っていたのは、恐らく君自身が手をかけたことに対してじゃないかな。君がやらなきゃいけなかったのは、皆を頼ること。俺たちを信じろとグレンさんは、伝えたかったのだと思う。翻せば、彼はやはり――」
「知っていたよ。彼はもちろん。私もね」
突然背後から被せられた声に、俺は驚いて振り返る。
そこにいたのは、オルセン王とフネだった。
「なーに、抜け駆けしてんのよ!オサムのえっち!」
フネが俺を指差して、頬を膨らませる。
いつ見ても、こいつは頬を膨らませている。
食べる時も、怒る時もだ。
実はフネも正体を隠していて、本当はピットの仲間なのかもしれない。
そんなどうでもいいことを考えていると、オルセン王はリコリスの前に進み出た。
魔族然とした風貌を王が目にするのは、初めてのはずだったが、彼には何の躊躇もなかった。
逆にリコリスは自身の姿を恥じるように、両肩を抱えて後退る。
「エテルナ国の守り神。この国に伝わる伝承。誰でも知っている話だよ。まさか、こんな美しい女神だったとはな」
丁寧に整えられた髭に手をやり、王は怯えた表情のリコリスに優しく語りかけた。
王が謡うように紡ぐ、伝承の中の物語。
遥か遥か遠い昔。
山々に囲まれた小さな国に降り立つ、守り神。
白き花弁より咲いた奇跡の者。
弱き国の戦士たちを導く、エテルナの清き花。
大切にしよう。
大事にしよう。
その者は、エテルナの至宝。
短い歌だった。
だが俺はその歌詞を聞いて、全てに合点がいく。
考察通り、グレンは知悉していたのだ。
或いは国民全員が理解した上で、リコリスの眷属となっていた。
サーバーも長時間稼働すれば、何百日問題とかでよく不具合を起こす。
不幸にもベラドンナという魔族に目をつけられ、この不具合が重なったことで生じた悲しい物語。
これが今回の依頼の全てだったのだ。
泣き崩れるリコリスに、フネが駆け寄る。
相棒は銀髪の美しい女神を強く抱きしめると、なぜか彼女も一緒になって、わんわんと泣き始めたのだった。
「ようやく、この案件も検収だな――」
俺は誰にともなく、空に向かってカットオーバーを伝える。
呟きは異世界の空に、ふんわりと溶けて泡のように消えていった。
ここで第二部は残すはエピローグだけとなります。
反省点の多い物語でしたが、お付き合い頂いてきた方々には、感謝感激です。
是非最後まで、ご一緒願います。
プロジェクトは検修処理も大変なのです。
振り返りで次作のための見直しを頑張ります(笑)
PDCA!




