第二十話 PMは無双の少女と共に白き花を融和する①
白く純潔だった王宮の様相は一変していた。
外壁は闇の帳を下ろしたようにどす黒く変色し、不気味な瘴気を滲ませている。
そして庭園には、以前魔物たちに踏み荒らされた白い花々が、姿を変えて蘇っていた。
鮮烈な朱。
血を溶かしたような花弁が、風もないのにさらさらと揺れている。
まるで、彼岸花だ。
「……待っててね。リズちゃん」
異彩を放つ光景にたじろぐことなく、フネは大剣を握り直すと、意を決したように王宮へ足を踏み入れる。
俺もピットを肩に乗せ、その後に続いた。
軋む扉を押し開けた瞬間――
俺たちは思わず言葉を失う。
清潔な印象だった長い廊下は、床から壁までが昏く蠢く肉の壁に覆われ、無数の血管めいた条が蛇のように波打っていた。
巨大な生物の胎内、或いは臓物の中。
ドクンドクンと胎動する床に足を置くと、不快な弾力が拒絶するように押し返してきた。
一体これは、何なんだ。
地獄に迷い込んだような心持ちで、俺はしばし呆然と立ち尽くす。
だがフネはこの異常を見ても、微かに動きを止めただけで、すぐにズンズンとかつて廊下だった道を進んでいった。
彼女の足取りは、何かを確信しているかのように力強い。
「ピット。これは建物の中なのか?」
だが俺はフネと違って、この尋常ではない状態を楽観視することはできなかった。
口にするのも憚られる馬鹿らしい質問を、自立型AIに投げかける。
「解析結果、エラー。この空間は魔力に満ちていますが、発生源も現象も、身体への影響も不明です」
「……そうか。進むしかないってわけだ」
「撤退を推奨します」
珍しくピットが自主的に警告を発する。
だが俺は頭を振って、フネの後姿に視線を送った。
相棒のひたむきな姿勢は、いつも俺の決断を支えてくれる。
ここで投げ出すくらいなら、最初にリスク回避をしていたはずだ。
何より俺もフネと同じで、あの依頼人を放っておくことはできなかった。
「常に周囲の変調を見張っておいてくれ。特にフネの状態は見逃さないように頼む」
俺はそう指示すると、先を行くフネの背を追った。
肉壁を踏みつける度に、生き物の嘆きが聞こえてくるような、不思議な感覚。
果たしてこの先に何が待ち受けているのか。
答えは、自分の目で確かめるしかなかった。
廊下は永遠に続くのかと錯覚するほど長かった。
エレノアとの外交交渉の時や、魔物の襲撃の際にも来訪したが、端から端まで辿ったわけではない。
しかし外観から想定する長さを遥かに超えても、終点に到着しないのはどういうわけだ。
俺はさすがに歩き疲れて立ち止まると、嫌悪感を覚えながらも、脈打つ肉壁に手をつき息を整える。
フネはまだ平気そうだったが、それでも終わりの見えない臓物の回廊を前に、焦りを覚えているようだった。
「だめね。きっと、私たちは拒まれてる」
フネが少し先から戻りながら、もどかしそうに唇を噛む。
辺りを見渡すが、来た道も、行く先も、無限に同じ景色が続くだけで、下手をすれば自分たちがどちらから来たかさえ見失いそうな状態だ。
何かしらのからくりがあるに違いない。
フネは拒絶されていると言ったが、拒絶している者は誰なのだろうか。
状況から考えれば、拒んでいるのはリズしかいない。
だが、なぜだ。
もう一度冷静に、過去を振り返る。
少女は最後に見た時、俺に対して謝っていた――
ベラドンナはフネの腕の中で息絶えた――
グレンは駆けつけた時には倒れていた――
国を襲っていた魔族を殺したのは、誰だ――
魔族が死んでも魔物の眷属化は解除されていない――
むしろこれまでの魔物よりも、強化されていた――
まるでエテルナの住民たちのように、自己を顧みない狂化――
そして住人たちの病は今も続いている――
「……」
悪意なき、悪意――
ふと、悲しい社員が起こした事件の顛末が脳裏を過ぎる。
――だから、彼女は謝ったのだろうか
――懺悔のために。
「オサム様。微小な異常を検知」
ピットが俺の肩の上で、身体をすり寄せてきた。
ふわふわとした毛並みが俺の頬を撫で、俺は意識を現実に戻す。
「異常はどこだ?」
俺が反応すると、モルモット型AIは肩から飛び降りて、フネが立つ肉壁の傍まで走った。
フネが不思議そうに、ピットの行動を見つめる。
俺も同じだ。
ピットは一生懸命短い脚を動かすと、そのまま壁をよじ登り、あっという間に上部まで駆け上がった。
「何かあるの?ピットちゃん」
フネが見上げるように首を傾けて声をかけると、AIは小さな前脚でパタパタと壁を叩いてみせる。
目を激しく明滅させたピットは、少し誇らしげに声を発した。
「異常検知、異常検知。この隙間に、小さな魔力乱れが存在!」
「でかしたわ!」
フネが手を叩いて、大剣の柄を握りしめる。
阿吽の呼吸でピットが壁から飛び降りるのと、彼女が飛び上がって剣をその部位に叩きつけるのは同時だった。
切っ先が黒い肉壁に突き立った瞬間。
甲高い金属音が周囲に響き渡る。
鼓膜が破れそうな、超高音。
俺の耳には、それが悲鳴のように聞こえた。
『キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』
肉壁の表層を這う血管が、早鐘を打つように凄まじい速度で脈打つ。
直後。
生き物の口が閉じるように、両側の壁が動いた。
迫りくるそれが、逃げ場のない俺たちを飲み込んでいく。
視界一面が黒く塗り潰されていき、フネやピットがどこにいるのかも分からなくなった。
黒。
黒。
黒。
数秒か。
数時間か。
闇に捕らわれた俺が次に目にしたのは、異形の存在だった。
放り出されたのは、摩訶不思議な空間。
先までも異常だったが、今いる場所はもはや王宮の中どころか、現実と地続きの世界かどうかも分からない。
上もなく、下もなく。
ただただ、白く塗り潰された世界。
その何もない純白の中に、女は独り存在していた。
「誰だ……?」
俺は掠れる声で、呟きを漏らす。
目の前に立つ女は、ベラドンナと雰囲気が酷似していた。
漆黒のドレスに、すらりと伸びた細身の肢体。
雪のように白い肌。
精巧に創りこまれた顔貌は、美し過ぎるが故に感情を亡くした人形のようだ。
だが、女を異形足らしめているのは、そこではない。
腰から伸びた大きな黒い尾。
血を濡らしたような深紅の眼。
そして――頭部に生えた、二本の角。
『アア――』
女が声とも言えない音を、瞳と同じ深紅の唇から零す。
音が空間に弾けると、肌を突き刺すような鋭い痛みが全身を駆け抜けた。
続けて見えない重圧が、連綿と身体を圧し潰そうと襲いかかる。
「強力な魔力出力を確認。早急な避難を要求します」
俺の傍にいたピットが、灰色の毛並みを微細に震わせ、警告を発した。
重圧に耐えかね、小さな身体がぺちゃんこになりかけている。
『ダレモ、コナイデ。イヤイヤイヤイヤイヤアアアアアアア――』
異形の女が金切り声を上げた。
重圧の負荷がさらに高まる。
俺はもはや、立っていることすらできない。
この女は一体何者なのだ。
ベラドンナの仲間――
新手の魔物――
否。
「リズちゃん!」
フネの大声が、金切り音を破る。
凄まじい過負荷の中、フネだけはしっかりと足を地につけ、女と向かい合っていた。
一歩、一歩と、女に歩み寄るフネ。
異界の魔物が咆哮する。
口腔から放たれた黒い衝撃波が、近付くフネに直撃した。
相棒の小さな身体が、黒い弾丸をまともに浴びて、後方に吹き飛ぶ。
「フネ!!」
地面にうつ伏せに倒れたフネは、俺の呼びかけにすぐに身を起こそうと、よろよろと立ち上がった。
口の端から血が滴り、苦悶の表情を浮かべるが、目は強い意志の光を宿したままだ。
よろめきながらも、再び歩みを再開するフネ。
だが続けざまに放たれた闇の波動が、またしても彼女を直撃した。
再度錐もみしながら弾け飛んだ彼女は、勢いのまま地面に叩きつけられる。
「ばかやろう!シールドを使え!」
俺は思わず声を荒げて叫んだ。
彼女には龍のブレスすら防ぐ、魔力シールドがある。
なぜそれを使わないのか、俺には理解できない。
「ば……か、おさ……む。わ、すれたの……。私たちは、戦いにきたんじゃない。たすけに……きたのよ」
息も絶え絶えのはずなのに。
それでもフネは。
俺の相棒は。
最初から何一つぶれていなかった。
俺は何とか重圧に耐えながら、立ち上がろうとするフネに手を伸ばす。
この魔物があの小さな銀髪の少女だったとはとても思えないが、フネが信じるなら俺も信じよう。
『モ……ウ。ヤメテ。カエッテ……』
角を生やした美しい魔物が、悲鳴のような嘆きを口走り、フネに向けて手をかざした。
紅い光がブンと短く鈍い音をたてて、かざした手の平の前に収束する。
ピットのけたたましい警告音が、鳴り響いた。
今回は珍しく1話に収まりませんでした。
前後編でお届けします。
ちょっぴりシリアスになりつつも、オサムはオサムでフネはフネです。
是非最後までお付き合いください♪




