第十六話 PMは再訪を契機に回想する
女の人生の大半は、何もない人生だった。
産まれ落ちると同時に、親に棄てられた。
理由は女も知らない。
ただ人間とは違い、徹底的な個人主義の種族では、特に珍しい話でもなかった。
女には名前がなかった。
名乗る必要がなかったからだ。
後に戦士として登用される際、呼ぶのが難儀だからと何某の名を得たが、今では覚えてすらいない。
他人と自分を区別するための記号。
それくらいの認識だった。
女には力があった。
女の住まう国では、人間との争いが絶えなかった。
幸いというべきか、不幸にもというべきか。
女は種族の中でも群を抜いた力を有していた。
圧倒的な魔力と、卓越した戦闘センス。
女は戦士として国に徴兵され、いつも最前線で戦わされていた。
女は感情の起伏が乏しかった。
何を得ても喜べなかったし、何を失っても悲しまなかった。
他人のことだけではない。
自分のことでも同じだった。
だから死の間際ですら、女は何の感情も抱けなかった。
それなのに。
どうして。
「お。目が覚めたな。ちょっと待ってろ。水を持ってきてやる」
女が目を開くと同時に、頭上から声がかかった。
声の主の男は部屋を出ていくと、すぐにコップを片手に戻ってくる。
逞しく盛り上がった筋肉と、短く刈り込まれた髪。
厳めしい顔容だが、笑うと浮かぶえくぼが、不思議な愛らしさを男に添えていた。
男は女と同じく、戦争に駆り出された人間側の戦士だった。
二人は数日前まで、お互いを殺し合う間柄で、実際女は男に殺される寸前まで追い詰められた。
そこで終わるはずだった生。
しかし、そうはならなかった。
女は床の上から身を起こして、コップを受け取ろうと手を伸ばす。
だが身体中が悲鳴を上げて、思わず小さく呻き声を上げた。
「おいおい。無理するな。自分もその一端を担ってるとはいえ、酷い怪我なんだから」
女は受け取ったコップに口をつける前に、男に尋ねた。
「……どうして、私を殺さなかったの?」
女の質問に、男は腕を組んで困ったように首を傾げた。
しばらくの間、何度も唸った後。
「どうしてだろうな。お前と目が合ったからかもしれん」
男は絞り出すように口を開き、はにかむように笑った。
女には男の言葉の意味が、全く分からなかった。
敵の命を見逃す理由としては、あまりにも不明瞭で、愚かだとさえ思った。
傷が癒えるまでには、半年以上の月日が費やされた。
男は来る日も来る日も、女に食事を運び、身の回りの世話を焼いた。
女は滅多に口は開かず、男が一方的に語りかける日々。
その日も包帯を取り換えながら、男は窓の外に視線を向けて女に言葉をかけた。
「身体の具合はどうだ?そろそろ外に出てみるか?」
女は男に促されるように、視線を外に遣る。
庭先では白い花弁を反らした美しい花々が、風に吹かれて揺れていた。
「もう、動けるわ。外に出てみたい」
「……そうか。じゃあ、出よう」
珍しく口を開いた女に、男は嬉しそうに顔を綻ばせる。
フードを被り外に出る女。
自身の身体的特徴が人間に与える印象を、女はよく理解していた。
男は女を支えるように外に出る。
二人の周りに、自然と人だかりができた。
男はすっかり人々と馴染んでいたが、女は人間の視線を恐れて男の服にぎゅっとしがみつく。
もちろんその気になれば、集まった人間を一瞬で消炭にする力を女は有していた。
だが女が恐れたのは、そんなことではない。
何を恐れたのか。
忌避の目を向けられ、男と隔絶させられることだと女は分かっていなかった。
その時、一人の子供が女に抱きつきフードがはらりと捲れる。
女の頭部には、立派な二本の角が生えていた。
慌てて隠そうとする女に、子供が笑顔を向ける。
「わあ。かっこいいね、お姉ちゃん!」
女は意外なその反応に、顔を赤くして微妙な表情を返すことしかできなかった。
ある日の穏やかな午後。
女は男と共に、国の外にある小高い丘の上に来ていた。
特に用事があったわけではない。
ただのリハビリを兼ねた散歩。
男は丸太のような太い腕に、女が作ったサンドイッチを入れたバスケットを抱えていた。
二人は何かを喋るでもなく、ただ草むらの上に腰を下ろし、そこから見える景色を眺めていた。
辺り一面に咲き誇る白い花。
甘い香りが、そよそよと揺蕩っている。
「綺麗……」
女は深紅の双眸を細めて、ぼそりと呟きを漏らした。
花弁に顔を近づけ、まるで少女のように笑みを零す。
「このお花。何て名前なのかな?」
「リコリスっていうらしい。無垢な情熱を表す、国のシンボルだって、この間長老が言ってたよ」
「可愛い名前……」
男は何かを思いついたように、女に身を寄せた。
それから女の肩を優しく抱きながら、同じように花に視線を送る。
「お前と同じだ。まだ何にも染まっていないのに、燻る思いの灯火を今か今かと待ち侘びている。これからのお前は、リコリスだ」
「私の……名前?」
「そうだ。この国でお前は、今この時から生まれたんだ」
女は男の目を見つめ、それからもう一度、白い花に目を遣った。
小さく口の中で、新たに名付けられたその名を反芻する。
何度も何度も。
女の瞳から、ぼろぼろと零れ落ちる感情の発露。
その日から――この場所、この国が、女の居場所となった。
「――報告は以上です」
「ありがとう」
エレノアが配下の斥候に下がるように命じる。
ここはエレノアとサザンドールの戦士たちが野営キャンプを張る、数あるテントの中の本営内部。
天幕を捲り、調査に出ていた戦士は外に消えていった。
それを見送った後、彼女は俺を振り返る。
エメラルドグリーンのパンツスーツ姿の彼女は、長い耳をピンと尖らせ難しい顔をした。
「……エテルナは、大分まずいことになってるわね」
簡素な造りの椅子に腰を下ろし、脚を組みながら、彼女は大きく溜息を吐く。
あまり聞きたくない内容だろうが、俺は尋ねずにはいられない。
常に最新の情報をキャッチアップしておくのは、重要なことだ。
プロジェクトでも、異世界攻略でも。
「どうなってましたか?」
「魔物が国中に巣食っている。とても急造で召集した、私の部隊だけでは殲滅できない数よ。それに――」
珍しく外交官が口澱む。
彼女は組んだ脚の上で、指遊びしながら、もう一度さらに深く溜息を吐いた。
「国の周りを、蝋細工のように固まった人間が取り囲んでいる。お陰で遠距離から、魔法や飛び道具で攻撃することも難しいわ」
「石白化症……か。ベラドンナは死んだはずですが」
俺は彼女の最期の姿を思い返す。
あれは自分の終わりを悟っていたように、俺の目には映った。
彼女を倒したのが誰かは、定かではない。
グレンと相打ちになったのか、彼女が何らかの理由で自滅したのか、或いは――
「ふう。まったく。厄介なことに巻き込んでくれたわね。外部顧問様が倒れてたから、思わず助けてしまったけれど」
「その件は本当に、感謝しています」
俺は素直に頭を下げた。
正直彼女たちが助けてくれなかったら、俺も途方に暮れていたところだった。
王宮内で黒い闇が拡がった後、倒れたフネとテオの二人を抱えながら、這う這うの体でエテルナを脱出。
無数の魔物たちをやり過ごし、門の外に出たところまでしか俺には記憶がない。
トビーが連れてきた、エレノアたちサザンドールの救援隊が、運良く魔物に襲われる前に俺たちを保護してくれたのだ。
エレノアは頭を下げる俺を、ただじっと眺めている。
だが以前のように値踏みするような眼差しじゃない。
どちらかというと、俺を気遣って黙っていてくれているように感じた。
沈黙を破ったのは俺だ。
「……二人の様子はどうですか?」
俺はもう何度目の確認か分からない質問を、投げかける。
エレノアはもう何度目かも分からない質問に、真面目な顔で、同じ言葉を真摯に返してくれた。
「フネ様はずっと昏睡状態よ。魔力切れを起こしているようにも見えないから、原因は不明。テオ様は、今晩辺りが峠ね。外傷は処置したけど、失った血と失った部位が多過ぎるわ」
「そうですか……」
前回聞いてから、さして時間も経っていない。
状況が変化したら、彼女は真っ先に教えてくれるだろう。
それでも俺は、二人の様子を聞かずにはいられなかった。
「外部顧問様。あなたもそろそろ休んだ方がいいわ。明日にはサザンドールの追加の兵がくる。事態を動かすのは、それからよ」
「そう……ですね」
エレノアが椅子から立ち上がり、俺の肩を一度だけ軽く叩くと、さっきの斥候と同じく天幕の外へ去っていく。
彼女が居なくなり、入れ替わりのようにひょろっと背の高い人物がテント内に入ってきた。
外交官に書簡を特急で届けてくれた、俺のもう一人の恩人――御者のトビー。
彼は咥え煙草を燻らせながら、中の俺に軽く手を上げ会釈した。
「オサムさん。ちょっと、いいっすか?」
いつもの軽い調子ではない口ぶりに、俺は無言で小さく頷きを返す。
顔つきからもポジティブな話でないことは分かるが、これ以上の最悪もないだろう。
彼は俺の相槌を受けると、隣に来て地面の上に胡坐をかく。
それから煙と共に、ゆっくりと口を開いた。
「知ってると思いますが、サザンドールにもギルドの支部があるっす。あそこは連合国家で、支部があるのはメルカティスだけなんですが、ちょうどエレノアさんの居場所と同じだったのが幸いでした。俺は彼女が準備を整える間、メルカティス支部に寄ったっす」
「何の用で?」
「報酬とか、次の依頼の話とかもあったので」
確か彼は、ギルドと契約している御者だとアニカが言っていた。
恐らく雇用形態は、個人事業主のようなもの。
他の依頼の話とかをしていても、何らおかしくはない。
それでもこうして今、俺たちに協力してくれているのは、ありがたい話だった。
「そこで今回のエテルナの魔物討伐が、公開依頼として手配されているのを見たっす」
「どういう意味だ?」
「元々リズさんは、アステリスク支部に登録しているオサムさんとフネさんを指名して、依頼を持ってきたはず。ただエテルナ国は周辺国家にとっても、レゾナンス鉱石の産出国として、重要な意味があったみたいっすね。個人依頼だったものが、サザンドールも関与する国家依頼に格上げされたということっす」
「なるほど。エレノアか」
俺はトビーの話を聞いて、すぐに納得した。
要はエテルナを保護するための保険として、魔物の襲撃を目の当たりにしたエレノアが、ギルドに情報を流したのだ。
それを受けてギルドがプライベート案件から、パブリックに依頼を切り替えたということだろう。
優秀なエレノアらしいリスクアセスメントに、俺は内心感服する。
「良い話じゃないか。他の冒険者たちも、協力に集まるってことだろ?」
大規模プロジェクトで受注企業の開発が頓挫し、競合他社が介入するのも、珍しいケースではない。
むしろ人死にがかかっている、今回のような状況では、メリットしかないように思えた。
しかしトビーは渋い顔をすると、首を小さく横に振る。
「そういう単純な話でもないっす。公開依頼された内容は、あくまで魔物の討伐。でもリズさんの依頼は、エテルナ国を救って欲しい。依頼内容が違うっす」
「ああ、そういうことか」
依頼を受けた冒険者たちは、襲撃する魔物を討伐にはやってくるが、背景の事情までは考慮してくれない。
トビーが心配してくれているのは、リズのことだ。
「分かった。ありがとう。他の冒険者が来るまでに、状況を説明できるように準備しておくよ」
俺が礼を言うと、彼は満足そうに表情を和らげ、立ち上がった。
テントを出ようと足を向け、しかしふと思い立ったように足を止める。
辺りをきょろきょろと見渡すトビー。
後ろで縛った赤茶色の髪を尻尾のように揺らし、彼は俺を振り返って、聞いて欲しくないことを口にした。
「そういえば、リズさんはどうしたっすか?姿が見えないっすけど」
「……」
俺は質問に、口を噤むことしかできない。
幼い依頼人は王宮の中で闇に飲み込まれた後、結局連れ出すことはできなかった。
脳裏にこれまでの少女の姿が、次々とフラッシュバックする。
最初にギルドで出会った、大人びた銀髪の少女。
馬車の中でフネに抱きつかれ、戸惑いを見せた時。
グレンを献身的に手当てする姿。
家の中で初めて笑みを零す彼女。
外交官を前に、おろおろする様子。
一緒に馬車の中で横転し、フネに救い出されたこと。
立ち昇る戦火に、異常なほど取り乱し――
最後に見た、彼女の謝罪を象る小さな唇。
「……リズさんは、口数は少ないけど良い子っす。御者の力が必要になったら、声かけてください」
トビーは俺の沈黙に、深くは追及せずに、短くなった煙草を再び口に咥えた。
それから今度こそ、天幕の外へ消えていく。
「ああ。助かるよ」
俺は煙と共に小さくなっていく背中に、口の中だけで言葉を返すのが精一杯だった。
酷い疲労感が、急激に襲いかかる。
横でピットがアラームを繰り返しているのにも、俺はしばらく気付けないでいた。
開発途中に企業が云々は余程のことがない限り、起き得ません。
企業はある程度の赤字を覚悟してでも、何とか請負範疇をやり切ろうと必死に努力します。
それでもどうしてもうまくいかないと。
改めて発注側がRFP出し直したりってケースは、私の経験上でも数えるほどもなかった気がします。
もし諦めざるを得ない状況になったら、その後を考えると恐ろしいですよね。胃がキリキリ舞になりそうです。
あゝ 赤字申請に、役員への説明…
顧客訪問に報告文章…
ノゼローゼになっちゃう(ジャイアン)




