第十五話 PMは遅きに失した夢を視る
フネが沈めた魔物の数が、優に数十体を越えても、戦況にあまり変化はなかった。
まだまだ余裕のありそうな彼女だったが、住民たちはそうもいかない。
誰を見ても、普通なら動けなくなっておかしくないほどの傷を負っている。
老人や子供を優先的にフネが助けて回っているが、それでも全員というわけにはいかなかった。
加えて、魔物たちは次から次へと山から降りてくる。
ベラドンナの眷属に、果たして限りがあるのかさえ分からなかった。
「はあ、はあ。オサム。いい加減、あの女見つかった?」
フネが肩を大きく揺らし、荒い息を吐きながら俺のそばに戻ってくる。
しかし俺は首を横に振ることしかできない。
彼女が大立ち回りをしている最中、ずっとピットと探索範囲を絞りながら索敵を続けていたが、まだ成果は挙げられていない。
魔族の女は、ここまで一向に姿を見せなかった。
隠れているのか、紛れているのか。
あるいは最初に抱いた疑念の通り、そもそもこの場にいないのか――
「……そっか。くっそー。はやくギッタンギッタンにしてやりたいのに!」
俺の様子に、フネは焦れたように歯噛みした。
ドオオオオオン!
その時崩れかけの門の辺りで、大きな破砕音が鳴り響く。
何事かと俺とフネが同時に振り向くと、半壊していたエテルナの巨大な門が完全に崩れ去るところだった。
国の中に雪崩れ込んでいく、魔物の群れ。
あの辺りは一番戦力が集中していたはずなのに、住民たちの先ほどまでの喧騒は、まるで聞こえてこなかった。
「門が破られてる!」
「まずい。行くぞ、フネ!」
走り出す俺たち。
事態がますます悪化していく予感。
胸の奥でちりちりと焦げる嫌な悪寒を打ち消すように、俺は全力疾走した。
そこには悪夢のような光景が広がっていた。
門の前で戦っていたエテルナの国民たちは、皆傷ついた身体で武器を構えたまま、時を止めたように動きを停めている。
一様に光を通さない虚ろな眼差しで、呆けたように口を半開きにする人々。
かつて道端で出会った老婆や、グレンで見た症状。
――石白化症。
魔物たちは病でフリーズする住民を無視して、次々と国の中に雪崩れ込んでいく。
しかし中には、抵抗しない人間に襲いかかる魔物もいた。
駆け寄った俺たちの目の前で、数体のキリング・ウォルグが地面に頭を垂れて、唸り声を上げている。
牙が肉を裂く、不気味な断裂音。
それが喰い荒らしている音だと気づくまでに、俺とフネは数秒時間を要した。
「な、なにやってんのよ!」
フネが悲鳴のように叫びながら、銀狼を大剣で薙ぎ払う。
弾き飛ばされた魔物は地面を転がり、そのまますぐに態勢を立て直すと、獲物を奪われた怒りを露わにこちらを威嚇してきた。
「オサム、倒れてる人を!」
「ああ!」
対峙するフネの言葉に応えて、俺は襲われていた人の元へ慌てて向かう。
地面には無残に食い散らかされた、若い人間の姿があった。
四肢が小刻みに痙攣し、微かに呼吸音が聞こえてくるが、損傷が酷い。
それが誰なのか、俺には最初分からなかった。
「て……お?」
見覚えのある栗毛が、血塗れの塊から覗いている。
数時間前まで笑顔を向けてくれていた、検査官のテオ。
交わした言葉は少なかったが、一緒に仕事をしてくれていた素直な青年。
「――」
酸っぱいものが喉を通り、俺は思わずこみ上げたものを地面に吐き出した。
頭がくらくらする。
動揺する気持ちを落ち着かせようと、必死に震える膝を自ら叩いた。
まだ息がある。
助けなくてはならない。
まずはこの場から安全な場所に――
胸中で救命のプロセスを懸命に考えるが、上手く纏まらない。
「オサム、だいじょ……う」
敵を倒して戻ってきたフネが、混乱する俺の視線の先に目を向け、同じく嘔吐した。
考えてみれば当たり前の話。
平和な国で生きてきた俺たちに、ここはあまりに死が近すぎる。
これまでも何度か見てきたが、こんな形で目の前に突きつけられるのは、お互い初めてだった。
「……俺が担ぐ。フネは他にも、動けないところを狙われている人がいないか確認してくれ」
「あ。う……」
手で口を押さえたまま、返事もできずに青い顔で立ち尽くすフネ。
俺は震える肩を片手で引き寄せ、落ち着かせるために背中を軽く何度か撫でた。
どれだけ強力な能力を得ても、精神まで強化されるわけじゃない。
「落ち着いたか?」
「……ん、ごめん」
だが今は彼女の戦力なしで、事態を打開することができないのも事実だ。
ようやく呼吸を落ち着かせた彼女は短く謝ると、俺の腕をそっと押しのけて周囲を見渡す。
大半の魔物たちは、門の中へ姿を消していたが、本能を優先して停止した人々を標的にするものもまだ残っている。
彼女は大剣を手にすると、手近のそれらに向かって雄叫びを上げて突っ込んでいった。
少し甲高い色を孕んだ声音は、自身を鼓舞するためか、嘆きか。
フネが外に残存する魔物をあらかた片付けた後、俺たちはテオを担ぎ、国の中――さらなる地獄へ足を踏み入れる。
我が物顔で魔物が闊歩する、エテルナ国内。
門の内側では牧歌的な田舎の景観を、ベラドンナの眷属たちが蹂躙の限りを尽くして破壊していた。
家屋は倒壊し、田畑は荒らされ、二度の襲撃を受けた国の中は満身創痍の状態だ。
「どうするの、オサム?」
「まずは王宮を目指す。テオを手当てする必要があるし、リズもそこにいる可能性が高い」
俺は肩を貸すように抱えたテオを気にしながら、王宮の方角に足取りを向ける。
同時にピットに指示を出し、あらゆる人型を模したARデコイをばら撒いた。
進行方向を塞いでいた魔物たちの何体かが、唐突に現れたデコイに引き寄せられ、僅かな隙間が生まれる。
「行くぞ、フネ!」
「うん。オサムも絶対、わたしからはなれないでね!」
彼女が間隙を縫うように走り出し、俺もその後に続く。
こちらに気づいたオーク・キャプテンとインプ・クラッカー数体が、彼女の突進と共に放たれた一刀の下、全員横薙ぎに真っ二つに散っていった。
打ち倒した敵を一顧だにせず、速度を緩めないフネ。
無言の背中から、静かな怒気が立ち昇っている。
だが、俺も思いは同じだ。
抑えようのない怒りが、胸中を渦巻く。
同時に――
心の奥底で、拭い切れない疑念が沸き起こるのも抑えきれなかった。
「たりゃあああああああああ!!!!」
フネは大剣をまるで玩具のように振り回し、空中から飛来してきた鳥型の魔物を両断する。
さらに俺のすぐ斜め後ろから飛びかかろうとしてきた銀狼を、回し蹴りだけで吹き飛ばした。
進路の障害は、彼女が悉く薙ぎ倒していく。
俺はテオを抱えることと、前に進むことだけに注力して走り続けた。
魔物の群れの中を、モーゼの十戒の如く割って進軍する俺たち。
フネが振るう大剣の刀身が赤黒く染まり、返り血で目の前の視界が霞んでいく。
朦朧とする意識の中、その疑念だけはより大きく、より濃く、俺の脳裏を埋め尽くす。
気に入らないというだけで、ここまで大規模に国を破壊する意味と意義。
有益な資源を得るでもなく。
国土を狙うでもなく。
魔族の女が得られるメリットの正体が、俺には終ぞ理解できなかった。
まさか本当に気に入らないから、なんてことはないと思うが。
「もう少しよ!オサム、がんばって!」
「……あ、ああ」
フネの声に我に返る。
気づくと目の前には、王宮の姿が魔物たちの向こう側に見えてきていた。
門は開きっ放しになっており、庭の中にも眷属たちが蠢いているのがうかがえる。
一度目の襲撃の難を逃れたはずの白い花々は、すでに踏みしだかれ、甘い香りだけが漂ってきていた。
「どっけええ!!!!」
猛進するフネが、入り口に群がる魔物を、もはや剣技とも言えない出鱈目な斬撃で打ち払う。
血の雨を浴びながら、俺たちはようやく王宮の扉の前に到着した。
フネが扉を開き、テオと俺を中に押し込むと同時に、素早く閉める。
外の喧騒が嘘のような、静寂が支配する建物の中。
廊下の先で、俺たちを待っていたのは――
「……遅かったじゃない?」
彼女は『古血の要塞跡』で見た時と変わらぬ姿で、俺たちを出迎えた。
艶やかな黒髪をはらりと靡かせ、振り返るベラドンナ。
真っ白な細腕の先に握られた斧槍は、先端から黒い雫を垂らしている。
背を向けた彼女の先には、床に横たわるグレンと思しき人影。
そしてさらにその先には、俺たちの依頼人が膝をついて、色の無い瞳を虚空に漂わせていた。
何が起きたのか。
何が起こっているのか。
理解と思考が追いつかない中。
フネは何も言わずにベラドンナめがけて一直線に、廊下を疾駆した。
「もう満足なのよ」
迫るフネに、魔族の女は双眸を歪めて呟きを漏らす。
禍々しい凶相――
だが不思議な美しさが、そこには垣間見えた。
何かを得心し、やり切ったという、清々しさすら感じさせる顔貌。
目の前でフネが血濡れの大剣を振り被る様を見ても、彼女は一切動じなかった。
否。
彼女は動じることができなかったのだと、理解する。
「ふふふ。全て全て。これが貴女の招いた結果……」
薔薇の蕾のような唇の端。
真っ赤な鮮血を零しながら、睦言の如くぼそぼそと語らう魔族。
囁き声のはずなのに、その声は不思議と明瞭に俺の耳に届いた。
「だから警告した。我慢ならなかった……」
フネは頭上に大剣を持ち上げたまま、動きを止めている。
ベラドンナの声は擦れ声に近くなり、ごぼごぼと口から溢れ出す血と混じって、徐々に鮮明さを欠いていった。
「佳い顔を最期に見られた。だから、満足なのよ……」
斧槍が魔族の手からするりと離れ、床に落ちる。
ガラン、という音が廊下に響き渡った。
「――リス」
終わりの言葉は聞こえない。
魔物たちの首魁は、赤い瞳を大きく一度見開くと、ぐらりと身体を傾ける。
フネが黙ったまま、倒れ込む魔族の身体を受け止めた。
ぐったりと力を失くしたベラドンナは、ダンジョンの時と異なり、灰と化すこともなくフネの腕の中で事切れる。
「異常な魔力出力を検知!危険域最大!」
その時肩のピットが、大音量で警告を発した。
俺はなぜかそれを受け、自然と視線を、ずっと沈黙したままだったリズに向ける。
銀髪の幼い少女。
俺たちへ救援を求めた依頼人。
彼女は床に倒れ伏したグレンを目の前にして。
俺たちが到着した時の姿勢のまま、膝を床に落とし、感情の欠落した顔で正面を向いている。
目が合った気がした。
だがそれすらも、俺の気のせいだったかもしれない。
微かに、幽かに。
少女の口元が小さく動く。
読唇術など俺は会得していないが、その口の容が「ごめんなさい」を象ったと気づいた直後――
絶叫のような金切り音が、空間を激しく震えさせた。
リズの小さな身体から、真っ黒な闇が拡がる。
それはまるで細かい羽虫が群がり、彼女を包み込むようにも映った。
近くにいたフネが漆黒の波動を受け、意識を失うように倒れ込む。
――かくして、白き花の都エテルナは、堕ちていった。
物語のステージも佳境に差し掛かってます。
企業戦士オサムは、この後どう頑張ってくれるのか。
私にも分かりません(笑)
あれ、これってコメディを謳ってなかったっけ?
しらん!




