共同開発と夜の逃"飛行"
「実は、先程の理由から、だんだん魔道具が取れない患者さんは私が担当するということになってしまって。……そこはまあ別に良いんですけど、以前からの課題として、患者さんの状態を把握する能力に個人差があることが挙がってはいるんです。」
患者の状態を正確に把握すること、それ即ち正確な治療に直結する。もちろん人間であるからには魔法医にも能力の個人差があるのは致し方ないことであるが、施設内でなるべく治療の質を揃えたり、逆に各人の得意分野や専門性を活かしたりすることが、もう少し可能なのではないか。
「……それで、思いついたんですけど、状態把握が得意な人がスキャンした内容が、みんなに共有できたら良いんじゃないかなって。何か大きな画面とかに、情報を映し出すことができないかと思いまして……。」
「……なるほど。そういうことでしたら、僕の知り合いの魔工技師が研究室を持っていますので、かけ合ってみましょう。この腕の携帯伝話を開発した人物ですので、きっとお役に立てると思いますよ。」
「よ、よろしいんですか?」
思った以上に二つ返事で請け合ってもらえたことに、リンは驚きを隠せない。
(まさかこんなに早く課題解決の一歩が踏み出せるなんて……。カイさん、本当に何者なの……?)
「その代わり、試作機ができたら、貴女にも共同開発者としてテストに関わってもらいますから、そのつもりで。」
「――は、はい!よろしくお願いします!」
いつの間にか、二人でシェアしていた白ワインのボトルは空になっていた。デザートに注文していた苺のアイスクリーム――店主の奥さん特製――が、舌の上で優しくとろけて、今夜の興奮を少しばかり冷ましてくれる。
だいぶ夜も更けてきたようだ。今夜もカイは、家まで送ってくれるつもりだろうか。春祭りの日に繋いだ手の温もりを思い出し、密かに期待してしまう自分がいた。
二人でお会計を済ませて、外に出る。「僕が払うよ」とカイに言われたが、流石に申し訳なくて、ちゃんと半分払わせてもらった。
ふと空を見上げると、満月が空の高いところで明るく光っている。初夏を感じさせる爽やかな風がふわりと頬をなでた。この季節、朝晩はまだ少し肌寒い。
「――、くしゅん。」
思わずくしゃみをしたリンの肩に、そっとカイが自身の着ていた濃紺の上着をかけてくれた。
「……あったかい……。カイさんの温もりを感じる……」
「ふふ、……風邪ひかないようにね。さ、帰ろう。」
そう言って、カイがまた手を差し出そうとした時だった。
「――よぉ、兄チャン。えれえ別嬪さん連れてんナァ。俺にも紹介してくれや。」
暗がりから、千鳥足で現れたのは、やさぐれた五十がらみの男だった。無精髭を生やし、焦点の合わない目つきで、フラフラとこちらへ向かってくる。
リンのことを、娼婦か何かだと勘違いしているらしく、下卑た笑いを口元に湛えて舌舐めずりをしていた。
隣で、カイが身構えたのが分かる。リンは咄嗟に、カイからもらったペンダントを握りしめていた。
――油断していた。繁華街の一角とはいえ、ひっそりとした路地に人通りもない。大声を上げて、助けを呼ぶべきか――。それとも、なけなしの攻撃魔法の準備でもしておくべき……?人に行使した経験はないに等しいが――。カイは何か、対策を講じているだろうか……
リンが逡巡しているうちに、酔漢が徐々に距離を詰めてくる。
酩酊状態でこちらとの距離感が掴めていないのか、まだある程度の間合いがある状態で、リンに向かって手を伸ばそうとしてきた、その刹那――――
―――――――ゴオォッ!!
一瞬にして、男の身体が宙を舞う。そのまま2、3メートル後ろに吹き飛んで、地面に転がりながら着地した。リンを庇うようにして立つカイが、右腕を大きく前に突き出している。さらにそのまま、「失礼」と言いながらリンを横抱きに抱えて、今度は大きく地面を蹴った。
「しっかりつかまっていてください。」
あっという間に空中へと飛び上がり、二人の身体は屋根の上高く滞空していた。
「え、――――えええ!?!?」
恐る恐る下を見ると、連なる屋根が月の光を受けてほの青く、その隙間を縫うように路地の灯りが橙色に輝いて、リンは一瞬我が身の状態を忘れ眼下の夜景に目を奪われた。
「うわぁ、きれい…………って、いや、高い………!!と、飛んでる!?――――ひゃあっ」
一瞬、上空の風に煽られて、振り落とされそうな恐怖を感じたリンは、カイの身体に必死にしがみついた。薄手の衣服越しに、カイの温もりとほのかな石鹸の香りを感じて、一気に体温が上がる。先程から既に心拍数は未だかつて経験したことのない速さだ。
「……ふふ。絶対に落とさないと約束するから、このまま君の家まで飛んで行こう。」
「――こ、このまま――――!?ま、待ってください、さっきの男は……?」
「……大丈夫。手加減しておいたから。」
(――――いや、どういうこと!?!?)
目の前で現在進行形に次々と起きている事象をリンが処理できずにいる間に、カイはさらに高度を上げていく。リンの家のある方角に見当をつけたところで、一気に加速した。
「きゃぁあああ――――!!」
「おっと、ごめん。」
あまりのスピードにリンが怯えて胸に顔を埋めていることに気づき、カイは少し飛行速度を緩めて話しかけた。
「すまない。普段は自分一人で飛ぶことしかないから、速度の加減を間違えた。……これでどうかな。夜の空中散歩を楽しんでくれると良いんだけど。」
恐る恐るリンが目を開けると、先程とは打って変わって、景色の流れがだいぶゆっくりになっていた。いつの間にか、葉を茂らせたフィオラの大樹が近づいてきていた。春祭りの時の喧騒が嘘のように、今は灯りも人も少なく、広場はひっそりとしている。
段々とこの状況にも慣れてきたリンは、大樹の上空から辺りを見渡して、街の造りを眺めた。広場からは四方八方に道が延びており、北の大通りの先が宮殿へと繋がっている。リンの住居である集合住宅の建物は、広場の北東の方角だ。
多少速度を落としたとはいえ、歩くよりは速いスピードで、リンを抱えたまま軽々と家まで辿り着いたカイは、建物の屋根の上にそっと降り立った。
「人気がなくなるまで、このままここでしばらく時間を潰そう。」
そう言って、瓦の上に腰を落ち着ける。
「あの、今のって、飛行魔法なんですか……?」
リンはとうとう、気になっていたことを尋ねた。飛行魔法は、習得が難しいことで有名で、使いこなせるのは帝国魔法師団の中でも一握りの精鋭のみだという噂を耳にしたことがある。
「あ……ああ、……いや、実は、この靴がそういう魔道具なんだ……。ちょっと扱いが難しいんだけど……慣れればなんとか。」
「そう……なんですか。そんなすごい魔道具が……。……でも、あの、酔っぱらいを倒したあの魔法って……?」
一見するとなんの変哲もなさそうな革靴ではあるが、実際は高度な魔法式が付与された代物なのだろうか。そう納得しかけたリンであったが、その前に目にした光景のことを思い出し、やはりそちらに関しても突っ込まずにはいられなかった。
「いや……あれは……何かあった時用の護身術として多少の攻撃魔法を覚えているだけですよ。……それにしても、君に危害が及ばなくて本当に良かった。もしまた何か危ないことがあったら、この携帯伝話ですぐに僕を呼んでください。必ず飛んでいきますから。」
文字通り飛んで来てくれそうな勢いで、真剣な眼差しをこちらに向けてくるカイは、春祭りの夜の時のように、リンの両手をしっかりと握っていた。いつの間にか眼鏡ははずされ、その宝石のような瞳が淡く煌めいている。視界の端で何か青白い光が見えたような気がしたが、満月に照らされたカイの綺麗な瞳から目が逸らせず、そちらを確認することはできなかった。
しばらく屋根の上でたわいもない会話をした後、人気がなくなったのを確認して、建物の前の地面に二人で降り立ち、玄関の前で別れた。自室でシャワーを浴びてベッドに入ってからも、今夜の出来事を反芻してしまい、リンはなかなか寝つけなかった。




