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小料理屋でのレッスン

 ジュウジュウと肉の焼ける音と匂いが、カウンター越しに伝わってくる。ソテーされたニンニクの香りも加わって、仕事終わりの空腹を抱えた人間への攻撃力が高い。お通しのピクルスもなくなりかけて、胃袋が次なる生贄を今か今かと待っている。


「鶏モモのハニーマスタードソース、お待ちどお!」


 店主が出来立ての湯気が立つ皿を二人の間にドン!と置いた。


「うわぁ〜、美味しそうですね!」


 リンは、隣に座るカイの方に振り向きながら、満面の笑顔を浮かべた。カイが、ナイフとフォークを構えて、早速取り分けようとしてくれている。皮目にナイフを入れると、パリ、という小気味良い音がして、断面からは透明な肉汁と湯気が溢れた。思わず、リンはごくりと唾を飲む。


「はい、どうぞ。」


 食べやすい大きさに上手に切り分けたカイは、皿の一つをリンの方へと少しずらした。今日は、この前と違って、間に椅子はない。肩と肩が触れ合いそうな距離に、リンは一瞬空腹を忘れそうになる。しかし、鶏肉の一つを噛み締めた瞬間、やはり身体が求めていたのはこれなのだと確信した。冷えた白ワインで流し込むと、仕事の疲れも吹き飛ぶようだ。


「あの、本当に、今日はお待たせしてすみませんでした。」


「いえいえ、言うほど待ってませんし、のんびり呑むの好きなので、気にしないでください。」


 そう言うカイの手元には、旬の野菜のジュレ和えが瑞々しい存在感を主張している。


「……良かったら、こっちも味見してみる?」


「……!…………ぜひ!!」


 本日は、春祭りの日に約束した通り、小料理屋での二度目の逢瀬を楽しんでいる。本来ならもっと早く仕事が終わるはずだったのだが、終わりがけに少し難渋する症例が入ってきて、最後まで対応していたらカイとの約束の時間を過ぎてしまったのである。


「魔法医の仕事って、結構大変だと聞きますけど、帰りが遅くなることはよくあるんですか?」


「そうなんですよぉ……。退勤時刻の間際に患者さんが来ちゃうと、途中で放って帰ることはできないし、一度にたくさん運び込まれて来たりしたら、人手が足りないからって居残りさせられるし……。夜中に呼び出されることもあるんですよ……」


「……なるほど、それは大変ですね。」


 リンの勤める賢帝記念病院は、宮殿敷地内に併設されており、皇帝一家やその家臣達、帝国騎士団や魔法師団員など、基本的には宮殿内やその付随施設で働く者たちを対象とした施設で、もちろん皇帝一家の体調管理が最優先事項ではあるが、そちらは院長をはじめとした魔法医の大御所達が担当している。

 リンたち末端の職員は、主にその他の人々の外傷や中毒、精神疾患、感染症、腫瘍などを診ることが多い。特に騎士団や魔法師団員の、訓練中や魔獣討伐任務での負傷に対応することが、治療の多くを占めている。リンの所属している部署も、外傷や中毒をメインに診療していた。


「守秘義務があるのであまり詳しくは言えないんですけど、今日は……ちょっと、かなり繊細な魔法の扱いを要する治療をしないといけなくて……。結構消耗しました……。」


 魔獣討伐の際に大怪我を負うと、傷が治った後も、その場面をフラッシュバックして動けなくなってしまう後遺症に悩まされる者が時々現れる。今日の最後にリンが担当した患者も、ここ最近そういった症状で勤務に支障をきたしている若手の騎士団員であった。

 このようなケースでは、患者の同意を取った上で、原因となっているトラウマの記憶を封印するという治療を行うことが多い。


「患者さんに辛いことを思い出してもらって、その時の脳内の神経回路の活動をスキャンして、ピンポイントでそこだけを封印するって、結構至難の業なんですよ……。失敗もできないし……」


「それは……かなり高度なことをなさっているんですね。……確か魔法医は、人間に対する精神干渉魔法の使用を許可されているんだったか。」


「そうなんです。こういったトラウマの治療の時とか、痛みを伴う治療や興奮状態の患者さんの鎮静を行う時とかに、使ってますね。……悪用を防ぐために、許可制になってます。」


「そうですよね。……でないと、僕みたいな悪いヤツが、貴女のような美女によからぬ魔法をかけて、手籠にしてしまうかもしれない。」


「……へっ!?……び、びびび……美女??……てごめ?」


「はは。……ほら、練習ですよ。……おほん。――――

キミみたいな可愛い子、初めてだ。僕とそこのホテルで飲み直さない?」


「ほ…ほえ?……あの……それって……」


 思いもよらないカイの切り返しに、頬を染めてドギマギしていたリンのおでこに、カイが「こつん」と拳の背を押し当てた。


「……こら。そこはすぐに断らないとダメでしょ。ちゃんと爪を立てて引っ掻かないと、狼にすぐ食べられちゃうよ。」


「も、もう!慣れてないんですから、急にからかわないでください!」


 我に返ったリンが、例の如く上目遣いでカイを睨みつける。のぼせているのか、両手で顔をパタパタ仰いでいた。カイは、涼しい顔で謝りながら、ふとリンの胸元に目を留める。


「それ、つけてきてくれたんですね。」


 先日の春祭りで、カイがプレゼントしてくれたペンダントが、カウンターの灯りを受けて煌めいていた。徐に宝石部分を手に取り、長い指先で弄んでいる。何やら魔法を付与したようで、青白く仄かな燐光が吸い込まれるように消えていった。


「……これでよし。」


「……今……何を……?」


「君に悪さをしようとする輩がいたら、跳ね返してくれるおまじないをかけておきました。……さっきのやり取りで心配になったから。今日からはこれを、毎日肌身離さず付けておいてくれないかな。」


「……すごい、今の一瞬で……?……あ……ありがとうございます……。毎日……付けます。」


 もしかしてカイは、凄腕の魔工技師なのだろうか。皇帝お抱えの職人達は、日々いろんな魔道具を開発していると聞く。どんな魔法式を構築したのか尋ねてみたい気もしたが、なんとなく聞くのが躊躇われて、白ワインと共に言葉を飲み込んだ。

 何にせよ、自分の身を守ってくれる魔道具ができたのはありがたい。リンはあまり深く考えず、素直に従っておくことにした。

 

 話題がちょうどアクセサリーの話になったことで、リンはここへ来る前にこっそり鞄に忍ばせてきた物のことを思い出した。


「……あの……、実は私も今日、カイさんにプレゼントを用意してきたんです。良かったら、受け取ってもらえませんか?この間のお礼に。」


 そう言って、小ぶりな鞄から取り出したのは、リボンのかかった四角い小箱だった。


「……僕に?……ありがとう。何かな………………

…………これは――――っ」


 カイが丁寧にリボンを解き、小箱を開けて中身を見た瞬間、小さく息を呑んだのが分かった。


「カイさんと春祭りを巡った翌日、またあの露店に一人で行ってみたんです。あの時、夢中になって見ていた色石の中に、あなたの瞳によく似た色のものがあった気がしたから……。」


 そこには、光の当たり具合で複雑な青紫色を放つ、二つの宝石が対になって並んでいた。


「アイオライト……」


「そういう名前らしいですね。カイさん、ピアス開けてるみたいでしたから……すごく、似合いそうだなと思って。」


「……ありがとう。……やっぱり君には、見えてるんですね。」






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