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元彼の執着と、副団長の正体

※ 性暴力を示唆するようなシーンがあります。苦手な方はご注意ください。


 ――誰かの、くぐもった笑い声がする。重い瞼をどうにか持ち上げてみるものの、なかなか焦点が合わない。どこかの室内だろうか。埃臭い臭いがする。明かり取りの窓から入る光は弱々しく、薄暗い室内の全容は見て取れない。かろうじて見える壁際の方には、使われなくなった医療機器のようなものが雑然と並んでいた。どうやら、自分はどこかの倉庫にいるらしい。古い寝台に寝かされ、両手は頭の上で何か固いものに縛られている。服は身につけているようだったが、ニットのワンピース一枚で、足元から寒さが這い上がってくる。

 声のする方に目を向けると、段々とその人物が近づいてくるのが分かった。嘲るような笑い声が大きくなる。


「――よお。目が覚めたか。……どうだ?縛られた気分は。」


「――――っ!」


 声の主は、嗜虐的な笑みを浮かべてリンを見下ろしていた。どこか虚ろな目をしている。


「最初っから、こうすればよかったぜ。まどろっこしいことなんてせずにさ。」


 その声を聞いて、ようやくリンは思い出した。仕事が終わり、着替えて家に帰ろうと、施設を出たところで、背後から誰かに魔法を行使される気配がした。おそらく、鎮静の魔法をかけられたのだろう。そのまま意識を失ったリンを、ここまで運んできたということか。


「……ポール…………どうして。」


「どうして、だって?――――テメェのせいだろ!!お前がすんなり言うこと聞いてりゃ、オレは今頃……。それが、こんな……、こんな、何もかも失って……。もう、終わりだよ……。テメェのせいで…………。こうなったらもう、お前も地獄に落としてやるしかねぇ。これから思う存分辱めてやるから、覚悟しろ。……心配するな。すぐに気持ちよくなって、訳がわからなくなるだろうよ。」


 そう言い放つと、ポールは何やら魔法を行使しようと身構えた。突き出された右手から、禍々しい閃光が迸る。リンが息を呑んだその時――――胸元のペンダントが、眩い光を放って何かを弾いた気配がした。


「――――ぐっ、ぐああああああ!!」


 リンに良からぬことを企んだ暴漢は後ろに大きく吹っ飛び、壁際の魔道具類に強かに身体を打ちつけ、床に転がった。意識を失ってはいないのか、はあ、はあ、と肩で息をして、すぐに体勢を起こそうとしている。しかし次の瞬間、男は呻き声を上げて蹲った。


「……う、うう…………うあ……あ…………」


 よろよろと立ち上がった男は、先程とは明らかに様子が異なっていた。顔は上気し、目の焦点は合わず、口元から涎を垂らしている。肩や手を震わせ、覚束ない足元で、少しずつこちらへと近づいてくる様は、どこか獣じみていて、底知れない恐怖を感じさせた。


「……ふ、ふは、……ふひゃひゃひゃひゃ――――」


「い、いや…………!!助けて、カイさん……!!!」


 狂気を孕んだ腕がリンに届こうとした、その刹那。


「――――汚い手でリンに触れるな!!!!」


 青白い閃光と共にリンの身体すれすれを強風が駆け抜け、リンに襲い掛かろうとしていたポールの身体を一瞬で吹き飛ばした。強風の発生源には、突如として現れた長身の男の、金糸に彩られた漆黒のローブがはためいている。男は素早く魔法でリンの両手の縛を解いた後、再び壁際に転がったポールに向かって雷撃魔法を放ち、暴漢の意識を完全に刈り取った。魔法で生成した植物の蔓を用いて、ポールの身体を縛り付ける。あっという間の出来事に、リンは寝台の上で呆然としていた。


「……リン、……リン!……大丈夫か?……怪我は?……あいつにどこか触られてないか……?」


「カイ……さん?……カイさんなの?」


 ローブ姿の男は、フードを外してリンの前に素顔を晒した。震える手で、リンの目尻の涙を拭う。


「リン……遅くなってすまない。怖かっただろう。痴れ者め……あいつ……殺してやる……!!」


「待って……!そんなことしたら、あなたが……。ここは、魔警団に任せましょう?」


 リンが静止しなければ、そのまま始末してしまいそうな殺気を放つ目の前の男をなんとか嗜め、腕のデバイスで魔警団を呼んだリンは、漆黒のローブ姿の男にもう一度問いかけた。


「カイさん……、いえ、カイトさん、なんですか?」


「リン……。今まで黙っていて……ごめん。」


 カイトが、手近な魔法灯の灯りをつけると、その相貌がはっきりと見てとれた。常夜の黒髪を左右に流し、美しい額と炯々とした菫青石の瞳が顕になっている。今日はあの認識阻害眼鏡も、口元を覆うフェイスベールも身につけておらず、一欠片の瑕疵もない美貌を惜しげもなく晒している。均整のとれた身体には、表彰式の時と同じ、魔法師のローブを身に付けていた。

 カイトは、リンの両手を包み込み、身を屈めて目線を合わせると、苦しげな声で言葉を紡いだ。


「勤務を終えて、しばらく研究室に残っていたところに、リンのペンダントが発動したという通知が僕の携帯伝話(デバイス)に入って……。慌てて君の傍に転移してきた。……間に合って、良かった……。」


「転移、って……。こんな場所(ところ)に、ポータルが?」


 確か、転移魔法は基本的に、転移ポータル同士を繋ぐ魔法ではなかったか――。


「すまない。実は、酔漢から君を守って、空から君の家に帰った時、君の携帯伝話(デバイス)を少しいじらせてもらった。いざという時、僕のデバイスと繋がるように、ポータル化しておいたんだ。」


 ――あの時。僅かに青白い燐光が見えたように思ったのは、気のせいではなかったのか。


「そういえば、確かこのペンダントにも、何か細工をしてましたよね……?これ、一体何が……?」


 カイトは、「それこそが正に失態だった」と悔しそうに歯噛みした。

 春祭りでリンにプレゼントしたアンダリュサイトのペンダントに、カイトが小料理屋で付与した魔法には、催淫や幻覚、暗示や精神支配といった精神干渉魔法を跳ね返す効力があったのだが、その中に鎮静や催眠が含まれていなかったのだという。そのせいで、リンがポールの鎮静魔法を防ぎきれず、まんまと攫われる事態に陥ったと、カイトは自責の念に駆られているようだ。


「完全に僕のミスだ。……そもそもあの時は、ただのお守りがわりに軽い気持ちで付与しただけで、本当にこんなことになるとは思ってもいなかったんだが。」


「でも……、これのお陰で、たぶん催淫の魔法は弾いてくれたと思います……。」


 あの時、急にポールの様子がおかしくなったのは、おそらくリンに行使しようとした催淫魔法が彼自身に跳ね返ってしまったからだろう。


「……だが、それも、君の身をただ危険に晒すだけだった。跳ね返すのではなく、無効化するなどして、ついでに捕縛の魔法が出るようにくらいしておくべきだった……。僕が間に合ったから良かったものの……もし携帯伝話(コレ)が外されでもしていたらと考えると、ゾッとするよ……」


 カイトは、携帯伝話が嵌められたリンの左手を自身の頬の辺りまで持ち上げ、手の甲にそっとキスをした。

 リンの頬に、堪えきれず涙がつたう。


「私、あの時、心の中でカイさんを強く呼んだ気がして……。そうしたら、本当に、飛んできてくれて。あっという間にいろんな魔法で助け出してくれて……。そりゃあ、なんでもできるはずですよね。天下の魔法師団副団長様なら。」


「リン……」


 カイトが、リンを抱き締めようと手を伸ばしたその時、倉庫の外に靴音が響いて魔警団の到着を知らせた。

 ひとまず会話を中断したカイトとリンは、彼らに事情を説明してポールを引き渡し、事後処理を頼んだ後、二人で一緒にリンの自宅に帰ることにした。



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