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白鳥さんボートの暴走


「見えてきましたよ、カイさん!すごく綺麗!!」


 帝都フィオラから列車を乗り継いで4時間。もう少しで目的の駅に到着するというところで、車窓から広大な湖が見えてきた。周辺をなだらかな山の緑が囲み、深みのある青い湖面が光を反射してキラキラと輝いている。湖畔に佇む崩れかけた石造りの古代遺跡が、背景と調和して悠久の時を感じさせるのに一役買っていた。


「もうすぐですね。降りる準備をしておきましょう。」


 あの夜、カイに誘われて、夏休みを合わせて北部地方を二人で旅行することになった。今は北部の有名な湖であるユネス湖を目指している。湖は駅から割とすぐのところにあり、今日宿泊するホテルも駅周辺だ。車内で昼食を済ませていた二人は、列車が駅に到着すると、ひとまず荷物をホテルに預けて、湖へと繰り出すことにした。


「見てください、カイさん!白鳥さんボートがありますよ!」


 湖畔から伸びた桟橋の周りに、白鳥の形を模した足こぎボートが並んでいるのを見つけたリンは、はしゃいだ声でカイに呼びかける。


「良いですね。ぜひ一緒に乗りましょう。」


 カイも乗り気のようで、係員にささっと料金を支払うと、リンを支えながらボートに乗り込んだ。「僕が漕ぎますから」と言ってペダルを動かし始めると、ボートはゆっくりと桟橋から離れていった。

 外からは窮屈そうに見えたボートの中は、思いの外ゆとりがあったが、それでも狭い空間に二人きりであることには変わりない。リンは外の景色を楽しみながらも、隣でペダルを漕ぐカイの息づかいが気になって、チラチラとそちらの方を見てしまっていた。


「……あの、本当にお一人で、大丈夫ですか?」


「このくらい、運動の内にも入りませんよ。……ですが、そうですね……。このスピードだと、景色の変化がゆっくりすぎて、ちょっとつまらないかも……?」


 そう言いながら、カイは何か面白いことを思いついたような、茶目っ気たっぷりの顔をして、ペダルに向けて手をかざす。すると、次の瞬間、ペダルがひとりでに動き始めた。さらに、どんどんとペダルの動きが加速していく。ついに人間ではありえないほどの高速回転に到達したペダルによって、白鳥ボートは湖の上を爆走し始めた。


「え、えええええーーーー?!?!」


 あまりのスピードにリンは振り落とされそうな恐怖を感じ、隣のカイに必死でしがみついた。カイもリンの腰に手を回して、身体をギュッと密着させる。


「と、止めてくださいいいいーーーーーー!!!!」


 リンが涙目で叫ぶと、徐々に白鳥ボートのスピードは緩やかになっていき、湖の真ん中で停止した。


「――ちょっ、カイさん!!おふざけが過ぎますよ!!」


 カイにしがみついたまま、プルプル震えてリンが抗議の声を上げると、カイはニコニコと愉しげな顔でこちらを見つめていた。


「……ふは。……悪かったよ。ちょっとやり過ぎた。……でもこれで、合法的に君を抱き締めることができた。」


「抱きしめ……って、…………!?」


 自らの状況にようやく思い至ったリンは、至近距離で密着するカイの身体の熱を感じ、即座に顔を背けて赤面する。


「も、もう大丈夫ですから……離してください。」


「……そう?……残念だ。」


(――まってまって、……これも練習なの!?心臓に悪すぎるよ……。)


「このくらいで、どうかな。」


 リンから身を離したカイは、ペダルに向かって手をかざして、人が漕ぐよりは速いが、先程よりは安心して乗っていられるくらいのスピードに調整した。


「このまましばらく遊覧航行といこう。」


 大きく開けたボートのフロントやサイドから、爽やかな風が入ってきて心地良い。早鐘を打っていた鼓動も多少落ち着いて、周囲の景色を楽しみながら、カイと他愛もない会話をする余裕ができた。


「この近くに、観光牧場があるみたいなので、この後行ってみませんか?ソフトクリームが美味しいみたいですよ。」


「それは魅力的ですね。美味しいものは人を幸せにする。……あと、モフモフも。」


「モフモフ!それは正義ですよね。羊の餌やりとかもできるみたいですよ。あ、でも、モフモフと言えば、カイさんのご実家の猫ちゃん、一度見てみたいなぁ。」


「……ふふ。今度、写真をお見せしますよ。」


(カイさんの実家って、どの辺りなんだろう……ご家族は、どんな方が……。というかそもそも、カイさんの名字って……?……私、カイさんのこと、ほとんど何にも知らないや。なのに、どんどんカイさんに惹かれて……こんな……旅行にまでついて来ちゃってる。彼にとっては、気まぐれに捨て猫を構ってるだけのようなものなのに……。それとも、少しは期待しちゃってもいいの……?)


 あまり自分のことを多くは語ろうとせず、それを察したリンからも深く突っ込むことはしないため、未だにカイの素性は謎めいたままだったが、逢瀬を重ねる毎に、彼を好ましく思う気持ちが増えていく。それと共に、彼からも何となく、好意的な気持ちを寄せられているのではないかと勘違いしそうになる瞬間も増えて、期待と不安がないまぜになった気持ちを持て余していた。


「もうすぐ、岸に着きますので、自動航行(オートパイロット)は解除しておきましょう。」


 そう言ってペダルに付与した魔法を解除し、再びカイは自分の脚で漕ぎ始めた。桟橋にボートを寄せると、係員が係留してくれる。カイのエスコートでボートから降りたリンが、手を引かれて歩き出そうとした時、遠くから歩いてくる男女の人影に気づいて、動きを止めた。


「――――っ、――――」


「……、どうかしましたか?」


 リンの異変に気づいたカイが、心配そうにこちらを覗き込む。視界いっぱいにカイの顔が写ったことで正気に戻ったリンは、素早くカイに耳打ちした。


「あの、前から来るカップルの男性の方が……たぶん元彼で……」


(――どうして、こんな場所で、こんなタイミングで……。せっかく、カイさんと楽しく過ごしているのに……。……やだ、会いたくない。)


 元彼と会話している時の、つまらなさそうな彼の表情。そっけない返事や、独りよがりな行動。別れ話の時の軽薄さを思い出し、一気に心が冷えていく。全てが、カイがくれたものと正反対だ。


「……なるほど。」


 消え入りそうな弱々しく沈んだ声で答えた後、カイの背に身を隠すようにしたリンを見て、カイは即座に何かの魔法を行使した。


「……大丈夫。前を見て、ぶつからないように気をつけて歩いて。周囲から僕らの姿が見えないようにしたから。」


「……そんなことが、できるんですか……?」


 その間にも、前方から例の人物はどんどんと近づいてくる。派手な見た目の女性と和気藹々談笑しながら腕を組んで歩く彼は、リンが目にしたことのない表情を浮かべていた。新しい彼女だろうか。

 カイに促されるまま、恐る恐るリンが歩いていくと、こちらに気付くそぶりもないまま、彼らは通り過ぎていった。


「……ほらね。あんな奴のこと、君が気にする必要もないと思うけど、変に絡まれるのも癪だし、僕と一緒の時は、絶対に君を守るから、安心して。」


「……ありがとう……ございます……」


――やだ、どうしよう……涙が……。こんな……こんなのって……、ずるい。どんどん、好きな気持ちが、止められなくなってく……。ただの「猫」じゃいられないよ……カイさん……。



*****


 あれから、近くの牧場で二人でソフトクリームを食べたり、綺麗な花畑を見たり、羊の餌やりを楽しんだりしたことで、元彼と遭遇してしまったことによる嫌な気持ちは徐々に薄れていった。近くの古代遺跡にも足を延ばし、少し疲労を感じたリンは、早めにホテルに戻ってチェックインを済ませることにしたのだが――――。


 フロントの係の言葉を聞いて、耳を疑うこととなった。


「カイ・アガット様とお連れの方一名様ですね。クラブフロアのエグゼクティブダブルを一室ご用意してあります。」


「…………」


 気のせいでなければ、今、()()と言っていなかったか――。

 今回の旅行は、カイからの申し出で、列車やホテルの手配から何から全て彼にお任せしていた。確か、二部屋予約すると言っていたような気がしたが……。


「……すまない。何かの手違いで、一室しか取れていなかったみたいだ。」


 彼の方は、あまり驚いた風に見えないのは、気のせいだろうか。

 一応、これからもう一部屋取れないか、カイがフロントで聞いてみてくれたが、生憎ハイシーズンのため予約でいっぱいのようだった。

 仕方なく部屋に案内された後、カイから謝られている。

 豪華な調度品のある広々とした部屋に、ふかふかの大きなベッドが存在感を主張している。湖を臨む窓際には、布張りのカウチソファが置かれていた。バスルームには露天風呂が付いていて、温泉に浸かりながら眺望を楽しめるようになっているようだ。


(こ、こんな素敵な部屋で……カイさんと、一晩中一緒に……???)


 今夜、自分はどうなってしまうのだろう。恋愛初心者のリンとて、男女のアレコレに対する知識が皆無な訳ではない。ましてや、魔法医であるリンは、実践的なことは別として、理論的なことはその辺の男女より詳しい可能性があった。


(ほ、本当に、れんしゅうって、どこまで……?)


 初心者なりに脳内妄想を捗らせて、ひとりトリップしかけていたところに、カイからの助け舟が入ったかに見えた。


「僕はこのソファで寝るから、貴女はベッドを使ってください。」


「そんな……それじゃ、カイさんに申し訳ないです。」


「……そう?……じゃあ、ベッドで一緒に寝る?」


 ただの(トラップ)だった。


「ぃいい、いや……そ、それもどうかと……。」


「ふふ。僕は正直、君を抱きしめて寝たらどんなにあったかいだろうって、試してみたい気がするなあ。」


「もう!……だから、実家の猫じゃないんですからね!」


 ――――すったもんだの末、真ん中にクッションを置いて、広いベッドを二人で使うことで合意した。


 


 

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