29 スパイ活動
薄雲が月にかかり絶好の隠密行動日和だ。
私は夕飯が済んだ後いつもの通り部屋に引っ込み、夜がふけるのを待ってコップ研究室を手に深呼吸する。耳をすまし、部屋の外の様子を伺い、何の気配もしないので静かに行動開始だ。
そっと階段を降りていく。床がギシギシと軋むたび心臓がキュッとする。辿り着くまでに私の心臓が持つか心配なほど鼓動はバクバク激しく打っている。一階の部屋の外へ出ると月明かりが薄っすら辺りを照らしていた。
寒い……
私は身を震わすと秘密基地へ行くべくその入り口へ近づく。入って直ぐに壁だ。そこを右へ曲がると細い廊下の様になっていて突き当りを左へ折れて行くようだ。壁の上部は天井が無く、まるで迷路の一角のようだ。
ゆっくり左に曲がるとそこには何列かの台の上に幾つも小さい植木鉢が並べられてあり、敷地の向こうには立派な建物があった。全体的に吹き抜けかと思いきや半分程は屋根が付いていて、日陰と日向を作っていたようだ。
誰もいない秘密基地はしんと静まり返りちょっと不気味だった。私はぐるりと見回すと日陰になる屋根のある所の台の一番奥に置こうとそちらへ歩いて行く。
台の上は枯れたり萎れたりした新月魔草が並び、その光景がちょっと悲しさを誘う。その中の幾つかを手に取ってポケットにしまい、またこっそりコップ研究室を続けようと思った。いま手元にあるのは数株だけだし、これも枯れるかもしれない。私は大事に手に持っていたコップ研究室を置こうしたその時、
「そこで何をしている!」
背後から急に怒号が浴びせられビックリして振り返った。そこにはマティウスとダリューンがいて二人は侵入者である私をジッと睨んでいる。
ダリューンは剣に手を添えいつでも抜刀出来る構えだ。
「やはりな、何かあると思っていた」
気が付けば私の隣にアリステアが立っており私の左手を掴むと上に引っ張り上げた。
「あぁ!待って!コップ研究室が!」
私はとっさに反対の右手を添えようとしてアリステアにしがみつく。
「なんだそれは?」
ダリューンの声にアリステアは私の手からそれを取り上げると確認して驚く。
「マティウス様!」
コップ研究室はアリステア、ダリューンと手から手へ運ばれマティウスの元へ送られた。マティウスは信じられない物を見たような顔で手に取ると私とそれを交互に見た。
「なぜこんな物を持っている」
私はアリステアにマティウスの前まで連れて行かれた。両手は掴まれ後に回されている。
貴族三人に囲まれて命の危険を感じるが久しぶりにマティウスの顔を見てドキっとする。正式な貴族の衣装に身を包んだ彼は前に会った時よりずっとキラキラしていた。髪はサラリとしエメラルドグリーンの輝きを放っていて、険しい目元も金色の瞳が眩しいほど光り、すっと通った鼻筋が整った顔の中心を示す。完璧な左右対称だ。その薄い唇から低く問われる。
「答えないのか?答えられないのか?」
「あ、あの。それは、えっと……ここに置いてあって、それで、そう!成功してるんだなって」
「ここにそんな物はなかった」
ダリューンにバッサリ切られる。いや言葉をね、私の体じゃ無くてよかったよ。
「え~っと、ここにある物を全部把握されているとか……」
「そりゃあそうだろ。命がかかってるんだよ。この栽培には」
「ですよね……それでですね、そのコップ研究室は……」
「なんだその間の抜けた名は?」
マティウスがハッキリしない私にイライラしてさらに睨む。もう駄目だ、私に誤魔化す能力は無い。怖いし。
「これは、コップで研究してたからコップ研究室です。ちゃんとした命名ですよ、成功してるし。あ、してますし」
危うく言葉遣いが悪くなる。寿命を縮めるのは止めましょう。
「成功……してるようだが、本当か?騙すつもりじゃないのか」
「騙すつもりは無いです。命がかかってますから!」
私はダリューンをチラリと見ると、へぇって顔でこっちを見てる。
「どんな方法だ?」
「教えても良いですけど条件があります」
「条件がつけられる立場かわかって言ってるのか?」
「立場はちょっとの間無視します」
「無視って……」
「とにかく、ジョルジュ一家をこのままここに置いてあげて下さい。まだ研究しなきゃいけないでしょ」
「なぜお前がそんな事頼むんだ?」
「詳しくは聞かないで下さい。アリアが可愛いからとでも思っていて下さい」
「アリアが可愛いって……」
私はアリアの愛人説を思い出しちょっとイラつく。ダリューンは一瞬ピクッと体を震わせたがマティウスの視線を受けて無表情に固まる。
「それだけか?」
「それだけです」
「わかった、そもそもジョルジュ達を追い出す気はなかったから何の問題もない」
「そうなんですか、良かった」
私はホッとしてふらつく。アリステアが掴んだ腕を離すと体を支えてくれた。振り返ってすみませんと頭を下げる。
「お前、自分の立場わかってるのか?」
「何がです?」
「条件はジョルジュ一家の事しか言ってないぞ、自分の身の保証はどうするんだ?」
呆れ気味のアリステアの言葉に青ざめる。
「あ、忘れてた!私も、私も助けて下さい!」
「コイツ、バカなのか」
マティウスが相変わらずの冷たさで突き刺してくる。
「バカは酷いです!ちょっと忘れてただけじゃないですか!」
私が涙目で訴えるとマティウスは視線をそらし肩を震わせる。ダリューンはニヤニヤとし、アリステアは驚きの顔で、マティウス様が笑ってると呟いていた。
私はそのまま奥の建物の中に連れて行かれた。部屋の中は貴族仕様で私の部屋がある建物とは全くの別物で豪華さが違う。高そうなテーブルにつくように言われ、嫌そうに座ると横でダリューンが例のニヤニヤ顔で見ている。他人事だと思って楽しんでいる、彼の悪い癖だ。
「早速だが、まずどうやって新月魔草を手に入れた?」
「捨てられたバケツの中からです。ほとんど枯れて萎れてたけどそれを水につけてみたんです」
「水につけるのか?」
「はい、そうしたら根っこが伸びてきたんです」
「根だけが伸びるのか?」
「はい。それでこの形に変えて……」
「これはなんだ?中身は?」
「水です」
「水だと?」
マティウスは布を止める為の紐を解くと中を確かめる。
何度見ても、どこから見てもただの水だ。コップを握りしめ、布に頼りなく付いている新月魔草の新芽をジッと見て黙ったままだった。
「なぜだ……」
「はい?」
「なぜこんな方法を知っている?」
「グッ……」
私は答えられず口をつぐむ。学校で習いました、なんて言える訳もなく。しかもうろ覚えだなんて言えない。こんな事になるならちゃんと勉強しとくんだった!と黙って俯く私。するとダリューンが何故か助け舟を出してくれた。
「マティウス様、この際どこで聞いたかは置いといてやり方を聞きましょう。時間が無いですから」
「……そうだな。で、どのようにするのだ」
「作りはそのままです。後は待つだけかな?」
「かなって、いい加減だな」
「コップ研究室って言ったじゃないですか、私も研究中なんですよ」
「コップけ……とにかくその命名をなんとかしろ。真剣味にかける」
「そこはお任せします。後は少し日陰に置くだけです」
「やはり日陰が良いのか」
マティウスは布をコップに戻すと丁寧に紐で結ぶ。几帳面だね。それからニョッキリ生えた二本の葉をそっと手で触れた。その後は何が必要か質問され、答えているともう深夜になった。私はアクビをかみ殺しスミマセンとあやまる。ダリューンがそれを見てそろそろ寝かせましょうと言ってくれ部屋に帰された。
ドアの外で鍵が閉まる音がしたが気にせずベッドに倒れ込む。とにかくジョルジュ一家は無事だと安心して眠った。




