第7章:重力の歪み、あるい
四階層の最奥へと続く獣道。レクスは息を切らしながら、暗い通路を駆け抜けていた。
突如、前方から激しい金属音と、聞き覚えのある罵声が響く。
「くそっ、なんだこれは……! 地図にないぞ!」
開けた空間に出たレクスが見たのは、無残な光景だった。
そこにいたのはヒューゴだ。しかし、彼の自慢の魔術剣は手元になく、数メートル先の『空中』に浮いていた。
そこは、迷宮の局所的な変異――**『無重力の歪み(浮遊の怪)』**の罠だった。
天井も床もなく、ただ巨大な岩石とガラクタが宙に漂う奇妙な空間。ヒューゴはその中心で、足場を失って宙に浮き、身動きが取れなくなっていた。
そしてその影から、宙を泳ぐようにして、複数の肉食鳥型の魔物が牙を剥いて迫っている。
「おい、スマートな冒険者様が、ずいぶんと無様な格好だな」
レクスが声をかけると、ヒューゴは驚愕に目を見開いた。
「レクス……!? なぜお前がここに……いや、来るな! この空間に入ったらお前も浮き上がる!」
宙ではどれだけ強い剣技も魔法も、踏み込みが足りず威力を発揮できない。ヒューゴの効率主義が完全に裏目に出ていた。
レクスは冷徹に状況を観察する。足元はまだ通常の重力だ。
助けずに見捨てることもできた。だが、この先の隠し水路のギミックを解除するには、ヒューゴの持つ「地図」と「魔術の知識」が不可欠だ。
「ヒューゴ、お前の革鎧のベルトを外してこっちに投げろ! 早くしろ!」
「はあ!? 何を言って――」
「死にたくこなけりゃ、俺の牙を信じろ!」
レクスの怒号に押され、ヒューゴは宙でもがきながら、なんとか長い革ベルトを外して投げ飛ばした。
レクスはそれを空中で掴むと、自身の頑丈な大剣の柄に素早く巻き付ける。そして、大剣を通常の重力圏にある頑丈な岩の隙間へと深く突き刺し、固定した。
ベルトの端を左手でがっちりと握りしめ、レクスは自ら無重力の歪みへと身体を投げ出した。
フワリ、と身体が浮く。
だが、左手は固定された大剣と繋がっている。それを命綱にして、レクスは迫り来る肉食鳥の手前に自らを振り子のように滑り込ませた。
「落ちろッ!」
自由になった右手一本で、懐のナイフを抜き放ち、至近距離の魔物の喉笛を正確に切り裂く。
足場がなくても、軸が固定されていれば一撃は届く。傭兵が戦場で培った、泥臭い空間把握能力だった。
一匹を仕留め、レクスはベルトを強く引っ張ってヒューゴの身体を手元に引き寄せた。
「掴まれ、犬死に男」
「……チッ、お前に貸しを作るとはな」
互いの腕を掴み合い、二人は無重力の渦から、泥だらけの安全な地面へと転がり落ちた。




