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第32章:鉄の葬列、あるいは獣の足跡

 降り注ぐのは雨ではない。燃え盛る民家の火の粉と、迷宮の底から吹き上がった煤煙が混ざり合う、黒い灰の雪だ。

 かつて活気に満ちていた『黒鉄の街』の路地は、いまやひっくり返った馬車と、内臓をブチ撒けられた防衛兵たちの肉塊で敷き詰められていた。


「おい、野良犬……どこへ行く。店はもう、ただの薪だぞ」


 ヒューゴが折れかけた断頭刀を杖代わりに引きずりながら、掠れた声を絞り出す。彼の左腕はすでに感覚を失い、だらりと黒い泥の中に浸かっていた。

 レクスは答えない。崩落し、燃え盛る『黒鉄堂』の残骸の中を、ただ黙々と、大剣の切っ先で掘り返していた。


 バチバチと爆ぜる柱を蹴り飛ばし、レクスは「それ」を見つけた。

 床に転がっていたのは、ガザルがいつも愛用していた、度数の強い片目の『眼帯』だった。煤と血で黒く汚れ、中央には鋭利な植物の根が突き刺さったような、無残な穴が空いている。


 近くの泥の上には、太い、ずっしりとしたドワーフの足跡が、沼の死体どもに引きずられるようにして迷宮の『大門』の方向へと戻っていった軌跡が残されていた。


「……死体袋にするには、まだ早すぎるぜ、親父」


 レクスは眼帯を無造作に拾い上げると、血の滲む自身の左胸のボルトの隙間へと強引にねじ込んだ。

 心臓を縛る檻の、仮の肉栓。痛覚は死んでいる。だが、ガザルが残した冷たい殺意が、体内の逆流する血管を強引に圧迫し、狂った出力を無理やり安定させていく。


「連れ去った、というわけね。第五階層の『主』が消えたことで、迷宮は地上の『生きた鍛冶師』を欲したのよ」


 ニクスが壁の影から音もなく現れた。彼女の指先は鋼糸の酷使で骨まで削れ、包帯はすでに真っ黒に染まっている。だが、その瞳だけは、灰色ギルドの調停人として冷徹に、戻ってきた『大門』の奥を見据えていた。


「第六階層の『神代の火床』……あそこにガザルの爺さんを連れて行き、自動生産ラインの『新たな核(コア)』にするつもりよ。迷宮は、地上を完全に喰い尽くすための、より洗練された鉄の軍勢を求めている」


「ハッ……、上等だ。親父をただのネジにするってなら、その工場ごと叩き潰すまでだ」


 レクスは背中にガザルの鉄槌を背負い直し、刃こぼれした大剣を正眼に構えた。

 街は死んだ。世界は壊れた。救いなど最初からどこにもない。だが、狼がその牙を収める理由は、地獄の底を覗いた後でも、欠片ほども存在しなかった。


「ヒューゴ、ニクス。……もう一度、あの穴の底(地獄)へ降りるぞ。足が動かねえなら、這ってでもついてきやがれ」


「最悪の計算違いだ。……だけど、君のその不条理な飢えに、僕の最後の魔力を賭けてやるよ」


 ヒューゴは血の泡を吐きながら、不敵に目を細めた。


 三人は燃える街に背を向け、再び黒いガスが噴き出す迷宮の『大門』へと歩みを進める。

 しかし、彼らが門の境界線に足を踏み入れた瞬間、上空の赤黒い雲が激しく割れた。


 ――ズガァァァンッ!!


 落雷ではない。第六階層の自動工場から逆流してきた、これまでの金属人形とは一線を画す、全身が純白の神代の金属で覆われた『巨大な騎士の形をした何か』が、大門の真ん前へと轟音を立てて降臨したのだ。


 その純白の騎士の胸甲には、かつてレクスが戦場で失い、バルトの背中に埋め込まれていたはずの、あの『レクスの本物の心臓』の、さらに強大に肥大化した**『複製核(レプリカ・コア)』**が、眩いばかりの魔力光を放って脈動していた。


「……排除……個体名『レクス(偽物)』……」


 純白の騎士が、バルトと全く同じ、いや、レクス自身の生前の声で静かに呟き、黒い大刀を引き抜いた。

 街の焦土を舞台に、自分自身の心臓の模倣体との、世界を賭けた真の「簒奪戦」が幕を開けた。

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