第22章:ネジと鉄槌、あるいは冷たい契約書
深夜の『黒鉄堂』。その重い木扉が乱暴に蹴り開けられた時、ガザルは手にしたヤスリを止め、眼帯のない隻眼を鋭く細めた。
部屋に流れ込んできたのは、雨の匂いではない。五階層の底に溜まる、あの肺を焼くような不浄の死臭と、焦げ付いた鉄の臭気。
「……おいおい。今度の死体袋は、ずいぶんと風通しが良さそうじゃねえか、狼の兄ちゃん」
ガザルの視線の先、レクスは外套をボロ布のように引き裂き、左胸の皮膚に直接『怪物の鉄殻』を埋め込んだ異形の姿で立っていた。その傷口からは、凝固しかけた黒い血と、鉄殻の隙間で不気味に蠢く細い肉の繊維が覗いている。
「親父……。こいつを、外れねえように固定してくれ。ネジでも、鎹かすがいでもいい」
レクスはカウンターに両手をつき、乾いた笑いを漏らす。その身体からは、生者特有の温かい息ではなく、凍りつくような冷たい呼気が吐き出されていた。
「正気か、お前。魔力を遮断する怪物の殻を、自分の心臓の上に直に打ち込むなんてな……。人間をやめるにも、手順ってやつがあるだろうが」
ガザルは毒づきながらも、カウンターの奥から錆びついた巨大な万力と、黒鉄のボルトを取り出した。
レクスは躊躇うことなく上半身の衣服を剥ぎ取り、作業台の上へとその身を横たえる。隣では、泥まみれのヒューゴが、自分のひび割れた魔術剣をガザルに差し出していた。
「僕の剣も、直してくれ。……今度は、スマートさなんていらない。重くて、絶対に折れないやつに」
「ケッ、どいつもこいつも、野良犬の狂犬病がうつりやがったか」
ガザルは鼻で笑うと、赤々と燃える炉裏から一本の真っ赤に灼けた鉄のボルトをトングで挟み上げ、レクスの左胸の鉄殻へと迷いなく突き立てた。
ジュウウウッ、と肉の焦げる嫌な臭いと煙が店内に充満する。
レクスは絶叫すらしなかった。ただ、奥歯を噛み締め、作業台の端を両手で握りつぶす。痛覚を檻に閉じ込めた男の、執念だけの静寂。ガザルは冷酷な手際で鉄槌を振り下ろし、ボルトをレクスの肋骨の骨膜へと直接叩き込んで固定した。
カンッ、カンッ、と響く硬質な音が、レクスの新たな「心音」を上書きしていく。
その作業を、店の隅にある古い木箱に腰掛けたニクスが、血の滲んだ指先を包帯で巻きながら静かに見つめていた。彼女の足元には、灰色ギルドの刻印が押された、一枚の冷たい羊皮紙が置かれている。
「処置が終わったなら、次の仕事の話をしましょうか。二人とも」
ニクスは布越しの声を低く響かせ、その羊皮紙を指先で弾いた。
「五階層の『主』だったバルトが消えたことで、迷宮の生態系は完全に壊れたわ。灰色ギルドは、この機に乗じて第六階層の『神代の鍛冶場』の調査を決定した。……報酬は金貨二十枚。ただし、生存率はゼロ%とギルドの監査官は弾いているわ」
「生存率ゼロ、か。効率主義の天才サマには、ずいぶんと分の悪い賭けだな」
レクスは胸から血と煙を上げながら、ゆっくりと身体を起こした。彼の左胸には、四本の黒いボルトで完全に固定された、歪な鉄の胸当てが、皮膚と一体化して鈍く光っている。
「笑わせるな、レクス。今の僕には、その『分の悪さ』だけが唯一の計算式だ」
ヒューゴは新しく、さらに無骨に鍛え直された魔術剣を握り締め、不敵に目を細めた。そこにはもう、かつての気取った若手冒険者の影はなかった。
「よし、行くか」
レクスはガザルの店に置かれていた、自分の大剣を再び背中に背負う。
人間であることを捨て、心臓を鉄の檻に閉じ込めた狼と、泥に塗れた天才、そして裏社会の調停人。三匹の獣たちが、さらに深い地獄へとその牙を向ける、真の契約が交わされた。




