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第21章:檻の中の脈動、あるいは破砕の檻

 世界から熱が消えた。

 左胸に埋め込まれた『黒鉄の殻』が、蘇りかけた生身の心臓を物理的に抑え込み、冷たい魔力遮断の檻となる。レクスの視界を覆っていた赤黒い霧が一瞬で引き、代わりに冷徹な戦術眼が、沼の暗闇をかつてないほど鮮明に捉えた。


 ドクン……、ドクン……。

 極限まで出力を絞られた心臓の脈動は、彼自身の意志ではなく、大剣を握る右手の筋肉を動かすためだけの「火薬」として消費されていく。


「行くぞ」


 短く吐き捨て、レクスは泥水を爆破するように地を蹴った。

 正面から迫る三体の死体。生前なら息の合った連携を見せたであろう傭兵たちの刃に対し、レクスは一切の防御を捨てて突進した。


 ギィィンッ!


 大剣の肉厚な刃が、死体たちの軍用剣をまとめて叩き折る。調整された重心と、半死半生の肉体が生み出す異常な筋力。刃を折られた死体たちが体勢を崩した瞬間、レクスはさらに一歩踏み込み、その首元を容赦なく真横に薙ぎ払った。

 三つの頭蓋が泥水へと同時に転がり、血管に寄生していた『樹の根』が、主を失って黒く変色していく。


「バケモノめ……。本当に人間をやめたのか、君は」


 ヒューゴは吐血しながらも、折れかけた大剣の鞘を両手で構え、レクスの左翼をカバーするように動いていた。魔力は使えない。だが、レクスの狂気に当てられた天才魔術師の目からは、すでに恐怖が消え、生き残ることへの異常な執念だけが宿っていた。


「人間じゃねえさ。……ただの、飢えた狼だ」


 レクスは笑わずに答える。

 右から迫る死体の斧を左腕の肉でわざと受け止め、肉が裂ける感触さえも無視して、右手の一撃で相手の胸を叩き割る。痛覚の遮断。それは、心臓を檻に閉じ込めた者だけに許された、命を削る前借り(前借りの命)だった。


 ニクスは岩陰からその光景を冷徹に見つめていたが、手首のリールを強引に引き剥がすと、その細い鋼糸を直接指に巻き付けた。皮膚が裂け、彼女の指からも黒い血が滴る。


「灰色ギルドの調停人として、これ以上の損失は認めないわ。……道をこじ開ける!」


 ニクスが弾いた鋼糸が、天井の鍾乳石を網のように締め付け、レクスたちの頭上へと引きずり落とした。

 轟音。数トンの岩塊が死体たちの密集地帯へと直撃し、沼の包囲網に決定的な亀裂が生まれる。


「ヒューゴ、ニクス! 走れ!」


 レクスはその亀裂に大剣を突き立て、残る数体の死体を強引にすり潰しながら、乾いた斜面へと向かって突き進んだ。ヒューゴが泥塗れになりながら後に続き、ニクスが影のようにその背後を跳ぶ。


 背後では、制御を完全に失った死体たちが、互いの肉を貪り合うように泥の底へと沈み込んでいく。バルトという核を失い、さらにレクスの心臓が遮断されたことで、迷宮の植物(根)は、喰らうべき標的を見失ったのだ。


 長い、果てしない傾斜を駆け上がり、三人はようやく第四階層の『隠し水路』の境界線へと辿り着いた。

 そこには、冷たい地下水と、かつてガザルから聞いた「生者の世界の空気」が微かに漂っていた。


「……はぁ、はぁ、ガハッ……!」


 ヒューゴがその場に大の字に倒れ込み、激しく上下する胸を押さえる。彼の革鎧はボロ布のようになり、魔術師としての端正な面影はどこにもない。

 ニクスもまた、指から血を流しながら、レクスの左胸の『黒鉄の殻』をじっと見つめていた。


「レクス。あなた、その心臓をどうするつもり?」


「ガザルの親父に、もう少しマシな『ネジ』で固定してもらうさ。……まだ、泥水をすする元気は残ってる」


 レクスは大剣を鞘に収め、不敵に口元を歪めた。

 左胸の奥、鉄の檻の中で、彼の本物の心臓が、冷たく、だが確かに次の獲物を求めて脈動していた。

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