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第18章:共鳴の悪寒、あるいは残された空洞

 ドクン。


 バルトの背肉を裂いて脈動する肉塊。その音が、地下空洞を満たす泥水のうねりと完全に同期していた。

 レクスは自分の左胸に当てた右手の指先に、じっと意識を集中させる。骨が折れ、肉が裂けた脇腹の痛みのさらに奥。そこには、何の振動も、何の熱量もなかった。十年間、ずっとそうだった。戦場で死にかけ、泥水をすすりながらも「ただの執念」で動いていると思っていた自分の身体。その中心に横たわる、静まり返った暗黒の空洞。


「……オレの、心臓……?」


「気づくのが遅いな、レクス。お前が十年前の戦場で『死体』の山から這い上がれた理由を、本当にただの運だと思っていたのか?」


 ニクスが鋼糸で大刀を縛り付け、首元に短剣を突き立てているにもかかわらず、バルトの肉体は不気味な弛緩を保ったままだった。

 彼の背中の『生きた心臓』から伸びる無数の細い根が、まるで神経の束のように軍服を突き破り、バルトの四肢へと侵入している。この男はもう、自分の意志で動いていない。植物の根が、人間の記憶と技術をそのまま引き写して踊らせている、極上の寄生人形。


「灰色ギルドの調停人。その程度の糸で、迷宮の最深部の脈動を止められると思ったか?」


「くっ……!」


 ニクスが息を呑んだ瞬間、バルトの背中の心臓が一際大きく跳ねた。

 ドクンッ! と、空気が破裂するような衝撃波が四方に放たれる。バルトの大刀に巻き付いていたニクスの鋼糸が、高熱を持ったように一瞬で焼き切れ、彼女の身体は岩肌へと弾き飛ばされた。


「ニクス!」


 ヒューゴが叫び、泥まみれの杖を強引に突き出す。魔力は空っぽのはずだったが、彼は自分の指の皮膚を噛み切り、その血の魔力を媒介にして、強制的に一筋の風の刃を放った。

 しかし、バルトは振り返りもせず、残された右腕の大刀を軽く一閃しただけで、その血の魔術を霧散させた。


「無駄だ、へっぽこ魔術師。この領域において、あらゆる魔力は我が『心臓』の糧となる」


 バルトは再びレクスへと向き直る。その隻眼には、かつて傭兵団を率いていた男の知性はなく、ただ迷宮そのものが持つ、底なしの「飢え」だけが宿っていた。


「さあ、返してもらおうか、レクス。その器(からだ)を。心臓が本体へ戻る時、この五階層の沼は真の顕現を果たす」


 バルトが一歩を踏み出す。その瞬間、レクスの左胸の空洞が、まるで磁石のようにバルトの背中の心臓と引き合い、激しい拒絶反応を起こした。全身の血管が逆流するような不快感。大剣を握る右手の力が完全に抜け、鉄の塊が泥水へと没する。


(動け……動け、俺の肉!)


 レクスは心中で咆哮するが、肉体は彼自身の命令を拒絶し、ゆっくりとバルトの方へと引きずられていく。自らの意思とは無関係に、足が泥を掘り進めていく。


「終わりだ」


 バルトの大刀が、完全に動けなくなったレクスの脳天目掛けて振り下ろされる。

 ヒューゴは動けず、ニクスは岩陰で呻き、レクスは自らの肉体に裏切られ、ただ死線を見つめるしかなかった。


 ――その時、レクスの視界の端、バルトの背後の「泥水の底」から、もう一本の、青白くふやけた腕が突き出た。

 それは、第15章でレクスが確実に解体し、心臓部を突き刺して沈黙させたはずの、あの『かつての仲間(最初の死体)』の左腕だった。


 死体は、半分に割れた頭蓋骨の顎をガチガチと鳴らしながら、泥の中から狂ったように這い上がると、あろうことか、バルトの背中に埋め込まれた**『レクスの本物の心臓』へ向かって、その指先を深く突き立てた。**


「……ホウ……シュウ……を……返せ……ッ!!」


 死体の怨嗟の声。

 バルトの肉体が、初めて予期せぬ一撃に激しく硬直した。背中の心臓が傷つけられた瞬間、レクスを縛り付けていた不条理な磁場が弾け飛ぶ。


「な……にを……!?」


 バルトの口から、迷宮のものではない、人間のバルト自身の驚愕の声が漏れた。寄生された死体たちが、バルトの制御を離れ、ただの「金への執念」だけで動き始めたのだ。


 自由を取り戻したレクスは、泥の中から新調された大剣を毟り取るように引き抜いた。

 肋骨の痛みを、心臓のなさを、自分が人間ではないかもしれないという恐怖を、すべてその飢えた牙の奥へと呑み込み、不敵に口元を歪める。


「執念深さだけなら、野良犬の方が上だと言ったはずだぜ、団長」


 レクスは大剣を逆手に構え、バルト、そして自分の心臓を狙って、泥の激流の中へと身を投げ出した。

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