4.チュートリアル
石畳を蹴るブーツの硬い感触が、足の裏からふくらはぎへと微かな振動となって伝わってくる。
「さあヴィオレさん、まずは私の後についてきてください! 基本的な動作の確認です!」
人波を縫うように空中を滑るシエルを追い、私は大通りを歩き始めた。
視線を落とせば、真新しい白のロングコートの裾が歩調に合わせて翻る。一歩、また一歩。ただ足を前に出しているだけだというのに、大気の抵抗や、重心が移動する感覚があまりにも生々しい。
「そのまま、少しだけ走ってみましょう!」
シエルの声に応じ、私は大股で踏み込み、速度を上げた。
前髪を撫でる風が冷たく、肺に吸い込んだ空気がわずかに喉を焼く。すれ違うNPCたちの驚いたような視線や、馬車の車輪が軋む音、屋台から漂う香ばしい肉の匂いが、走るスピードに合わせて次々と後ろへ流れていく。
数分ほど駆け抜けたところで立ち止まると、額に薄っすらと汗がにじみ、心臓が僅かに脈打つのを感じた。スタミナという概念も、完璧に再現されているらしい。
「ばっちりです! 走る感覚はどうですか?」
「……驚いたな。肉体の重さも、息の上がり方も、現実とまったく遜色がない」
「えへへ、それがこの世界ですから! じゃあ次は、そこにある木箱の上にジャンプして登ってみてください」
シエルが小さな杖で指し示したのは、路地裏の入り口に積まれた、私の胸の高さほどある木箱だった。
現実の私の身体能力では、助走をつけても登れるか怪しい高さだ。
だが、今の私は百九十センチ近い長身と、強靭な肉体を持つ『ユニン』の種族である。
軽く膝を曲げ、大腿筋に意識を集中させて地を蹴った。
風切り音とともに、視界がふわりと持ち上がる。
重力に逆らうような軽やかな跳躍は、木箱の高さを優に超え、私は音もなくその上に着地した。
足首への負担も、バランスを崩す感覚もない。
これが、ステータスに裏打ちされた身体能力か。
「すごーい! さすがユニンですね、跳躍力もばっちりです! それじゃあヴィオレさん、そのまま下を見てください。足元に何か落ちていませんか?」
言われて木箱の上から視線を落とすと、路地の隅で微かに光を放つ青い小石のようなものがあった。
飛び降りてそれを拾い上げると、石の冷たい感触とともに、視界の右端に『魔力石の欠片を取得しました』という半透明の文字が浮かび上がる。
「アイテムの回収ですね。それをインベントリにしまってみてください。頭の中で『開く』と念じるか、空中で指を下にスワイプするだけで展開できますよ」
言われた通りに右手の人差し指で虚空をなぞると、空気がかすかに波打ち、半透明のウィンドウが現れた。
そこには整然と並んだスロットがあり、一番左上に今拾った『魔力石の欠片』が収まっている。
「出し入れはどうする?」
「アイテムのアイコンに触れて実体化を念じるだけで、手元にポンッと出てきます!」
「なるほど、直感的で使いやすいな」
私はインベントリを閉じ、今度は同じ要領で『マップ』を展開した。
目の前に広がったのは、古羊皮紙のような質感を持った広大な地図だ。
現在地である『ノヴァ・パトリア』の街並みが詳細に記されているが、都市の城壁の外側は濃い霧のようなエフェクトに覆われ、まだ何も表示されていない。
「この霧の向こうが、未踏の領域というわけか」
「はい! この世界は地球と寸分違わない広さがありますから、マップを埋めるだけでも一生かかっちゃいますよ。……あ、ヴィオレさん。視界の端で、何か小さなアイコンが点滅していませんか?」
シエルの言葉に気付き、私は目を向けた。
確かに、視界の左下に極小のベルのマークが光っている。意識を向けると、一行のテキストがポップアップした。
『【歩行】の熟練度が上昇しました』
『【疾走】の熟練度が上昇しました』
『【跳躍】の熟練度が上昇しました』
「熟練度……?」
「そうです! それが、この『SecondLifeEndPoint』における最も重要なシステムなんです」
シエルは私の目の前まで飛んできて、真剣な表情で小さな人差し指を立てた。
「この世界には、最初から決められた『職業』や『スキルツリー』は存在しません。ヴィオレさんが今やったように、歩く、走る、跳ぶ……あるいは、本を読む、剣を振るう、誰かと交渉する。そういった『あらゆる行動』すべてに熟練度が設定されています」
「どんな行動にも、か」
「はい。そして、その行動履歴や熟練度を世界の管理AIが常時分析して、その人の生き様に最も見合った独自のジョブやスキルを自動生成するんです。だから、同じ剣士でも戦い方によって全く違うスキルを覚えますし、戦わずに街で商売だけをしていれば、それに応じた能力が開花します」
私は顎に手を当て、思考を巡らせた。
行動のすべてが無駄にならず、己の力として蓄積され、やがてシステムとして昇華される。
現実世界では、どれだけ努力し、正しい論理を積み上げても、理不尽な悪意や権力の前に一瞬で瓦解することがあった。だが、この世界は違う。振る舞いのすべてが正当に評価され、己の「土台」となっていくのだ。
「長くなるのでいったんはじめのチュートリアルは以上で! チュートリアルが必要なときは現れますし、または必要なときはお呼びください!これからどんな風に生きて、どんな世界を創り上げるのか……チュートリアル妖精として、とっても楽しみにしていますね!」




