34.閑話 真白 政宗
私は、世間から見れば恵まれた家に生まれたと言えるだろう。
そこそこの規模を持つ建築関係の会社を営む父の、ひとり息子として生まれた。
金に困ったことは、記憶にある限り一度もない。
だからこそ、なのだろうか。
物心がつくころには、同世代とは比べ物にならないほどの野心を抱えていた。
きっかけは、たしか小学校の低学年のころだったと思う。
父の会社の忘年会に連れて行かれたときのことだ。
壇上に立つ父へ社員たちが送る拍手と、その裏で交わされる小声の陰口。
「所詮は二代目でしょう」「先代の遺産で食っているだけ」――子供の耳にも、それははっきりと届いた。
悔しさなのか反発心なのか、当時の自分にもよくわからなかった。
ただそのとき、漠然と決めたのだ。
いつか、誰にもそんな陰口を叩かせないくらい、この会社を大きくしてやる、と。
「会社の社長になり、この会社を世界で一番有名な企業にする」
気づいたときには、そんな夢を掲げていた。
それからは、遊ぶという選択肢を自分から手放した。
休み時間、他の子供たちが校庭を走り回る中、私は一人机に向かい、ノートに拡大の計画を書き殴っていた。
「なんで一緒に遊ばないの」と聞かれても、うまく答えられなかった。
ただ、遊んでいる時間がもったいないとしか思えなかったのだ。
中学、高校と進むうちに、知識を得るための勉強は、学校の授業だけでは足りなくなった。
経営、会計、法律――興味の赴くまま、独学で範囲を広げていった。
そうやって幼いころから一心に続けていたせいか、気づけば友人と呼べる相手はほとんどいなくなっていた。
教室の中で、私は常にどこか浮いていたと思う。
とはいえ、容姿には多少の自負があったし、御曹司という肩書も相まって、恋人と呼べる相手ができないわけではなかった。
だが、そのたびに長くは続かなかった。
会っている最中でさえ、頭の片隅では別の案件のことを考えている。
そんな態度が伝わらないはずもない。
「あなたにとって私より会社の方が大事なんでしょう」――何度、似たような台詞で別れを切り出されたか、もう覚えていない。
ただ、それでも私は構わなかった。
この会社を大きくすることさえできるなら。
大学は、周囲からすればごく順当な進学先を選んだ。
だが在学中も、休みのたびに父の会社の現場に足を運び、業界の空気を肌で覚えていった。
卒業を控えたころ、父は「うちに来ればいい」とだけ言った。
だが、私はそれを断った。
親のコネを使って手に入れた椅子に、価値などない。
そう思っていたからだ。
一般の新卒採用枠で、他の学生たちに混じって面接を受けた。
落とされた企業もいくつかあった。
プライドが傷つかなかったと言えば嘘になる。
だが、それすらも、後で誇れる経歴の一部になると思えば耐えられた。
入社してからは、下積みという下積みをすべて経験した。
現場の資材運びから、取引先へひたすら頭を下げるだけの飛び込み営業まで。
学歴も肩書も、現場では何の役にも立たなかった。
ただ、そこで培った人脈と経験は、確かに私の武器になっていった。
やがて任される案件は少しずつ大きくなり、数字という結果で、周囲の見る目も変わっていった。
夢に向かうだけなら、順調な足取りだったと思う。
多少妥協するなら、このまま父が引退するまで適当に過ごせば、社長の椅子は自然と手に入っていただろう。
……だが、その妥協だけは、私には許せなかった。
でかくするためなら、なんでも行った。
死に物狂いでやった。
でも、やはり人の壁――それが邪魔をした。
社長の息子というだけで嫌悪感を抱く人。
私の強引なやり方についていけず、不満を溜め込む人。
私の交渉のやり方が気に食わない人。
例を挙げればきりがないが、私は敵を作りすぎた。
上手くいくはずだった案件も、だんだんと暗雲が立ち込め、決まらなくなっていく。
そんなことが、何度も何度も続いた。
もちろん、人心を掴む術くらいは学んでいたつもりだ。
単純に敵を作っただけで崩れるほど、私の牙城は脆くなかったはずだった。
そして気付いた。私は夢を追いすぎたんだと。
けれど、それは夢を諦めるという意味ではなかった。
むしろ逆だ。自分が本当は何を追いかけていたのか、そのときになって初めて輪郭が見えた気がした。
「会社を世界一にする」――その夢は、結局のところ人に依存していた。
どれだけ緻密な計画を立てても、どれだけ数字で結果を示しても、最後にものを言うのは誰かの気分だった。虫の居所が悪かった。
面子を潰された。
ただ気に食わない。
たったそれだけの理由で、何ヶ月もかけて積み上げてきた案件が、いとも簡単に白紙へ戻される。
努力も実力も、結局は感情という不確かな土台の上に乗っているに過ぎないのだ。
だとすれば、私が本当に憎むべきは、目の前で牙を剥いてきた一人一人ではない。
そういう人間を生み出し、正しいものを正しく評価できなくさせている「土台」そのものだったのではないか。
一人の機嫌で、積み上げてきたものが容易く覆る世界。
そんな場所で、私がいくら優れた計画を描いたところで、いつか必ず同じように壊される。
――ならば、誰の一存でも壊れない仕組みを作ればいい。
そこから、私の目的は少しずつ形を変えていった。
一つの会社を大きくすることから、会社という枠組みそのものを超えた「仕組み」の設計へ。
個人の好悪や気まぐれに左右されず、正しい努力が正しく報われる場所。誰か一人の胸先三寸では覆らない、公平な土台。
それこそが、私が本当に求めていたものなのだと、ようやく腑に落ちた気がした。
家業から距離を置くことに、迷いはなかった。
父の会社を継ぐことに、もはや興味はなくなっていたからだ。
代わりに選んだのは、都市計画や公共の制度設計に携わる仕事だった。
法律、資源の分配、住民同士の利害調整――一つの会社という小さな箱の中では見えてこなかった、社会そのものを設計する仕事。
ここでなら、私が思い描いてきた「壊されない仕組み」を、現実の形にできるかもしれない。そう思えた。
いくつかの自治体の案件に関わりながら、私は少しずつ経験を積んでいった。
そして数年後、ようやく一つの大きな仕事を任されることになる。
ある地方自治体の、法制度と資源配分の枠組みをゼロから設計する仕事だった。
これまで培ってきたすべてを注ぎ込んだ。
利害関係者の誰もが損をしない設計。
恣意的な運用の余地を、可能な限り排除した制度。
これが完成すれば、少なくともこの土地には、「誰か一人の気分」ひとつで覆ることのない仕組みが根付くはずだった。
それは私にとって、「理想の国」へ向けた、最初の確かな一歩のはずだった。
……はずだった、という言い方をしてしまうのは、その先に何が待っていたのかを、私自身がもうすでに知っているからだ。




