32.失踪事件の幕引き
「ラピス、それでも――」
私が口を開きかけたその時だった。
背筋を這うような殺気が走り、反射的に身を横へ捻る。
直前まで私の胸元があった空間を、鋭い爪の一閃が空を切った。
「っ……!?」
体勢を立て直しながら振り返ると、そこにいたのは――トトだった。
事務所の柱に拘束し、確かに置いてきたはずの少女が、牙を剥き出しにしてこちらへ襲いかかってきている。
「くっ……!」
咄嗟に踏み込み、その一撃を躱しながら距離を取る。
同時に周囲へ視線を走らせると、身を隠すほど大きなマントを羽織った少女が二人、いつの間にか私たちを挟むように立っていた。
トトと同じ、犬か何かを思わせる気配を纏った子供たちだ。
「トトちゃん、逃げることできたんだ、えらい! あとソソちゃん、ノノちゃんも来てくれたんだ!」
ラルヴァータが、まるで身内の頑張りを褒めるような口ぶりで言う。
「「「ボス、この後どうするんです?」」」
三人が寸分違わぬタイミングで声を揃えた。異様な統率だった。
「同時に喋らないでよ、うるさいなー。あとそこのお兄ちゃんはともかく、ラピスお姉ちゃんはトトちゃんたちじゃ勝てないからおとなしくしてて」
その一言で、トトたちは俺たちを取り囲んだまま、しゅんと肩を落として動きを止めた。
まるで飼い主に叱られた子犬のようだった。
「邪魔が入っちゃったけど、どうする? お姉ちゃん、お兄ちゃん。来てくれたら、とってもうれしいな」
ラルヴァータが、無邪気な笑みを浮かべたままこちらを見据える。
隣に立つラピスは、唇を固く結んだまま何も言葉を発しなかった。
目の奥に、迷いのような色が揺れている。
彼女がこの一件を追い始めた理由は、目の前のこの少女から――正確には、少女が化けていた依頼人から頼まれたからに過ぎない。
失踪者を助けねばならない義理など、元々どこにもなかったのだ。
それは私も同じだった。この街に降り立ったばかりの俺には、彼らを救う理由も、義務も、本来なら存在しない。
だからこそ、私が答える。
「ラルヴァータ、と言ったな」
「そうだよ、覚えてくれたんだ。それで? お兄ちゃんの返事は?」
「一つ聞きたい。『妄信的に働かせている』と言ったな。それは、本当に彼らの意志か? それとも――お前たちが、そう思い込ませているだけか?」
ラルヴァータの表情から、初めて笑みが薄れた。
「……何が言いたいの?」
「『小さな鉱脈』というISを与えられ、それを絶対的な救いのように示された人間が、果たして冷静な判断を下せると思うか? 弱っている時に差し伸べられた手を、疑える人間の方が少ない」
私は一歩も引かず、まっすぐに彼女を見据えた。
「お前たちがやっているのは、勧誘じゃない。逃げ場のない人間の弱さにつけ込んで、都合よく従わせているだけだ。それを『助け』と呼ぶのなら、詐欺師と何も変わらない」
沈黙が路地に落ちる。
隣でラピスが小さく息を呑む気配がした。
「……私は、誰かを支配するための土台なんて要らない。皆が安心して立てる場所を作りたくて、この世界に来た。お前たちのやり方に手を貸すくらいなら、真正面から敵に回る方がまだ筋が通る」
「ふぅん」
ラルヴァータは、しばらく黙って私を見つめていた。
子供らしい表情の奥に、値踏みするような、酷く老成した光が一瞬よぎる。
「お兄ちゃん、面白いね。でも、そういうのお姉ちゃんの方が好きそうな話だよね?」
視線がラピスへ移る。
彼女は答えなかったが、その目にはもう、先ほどまでの迷いはなかった。
「まあ、いっか。今日のところはやめとくよ。ここで無理に暴れて目立つのも、面倒くさいし」
ラルヴァータは伸びをするように腕を上げ、あっさりと構えを解いた。
トトたちも、それに倣うように後ずさっていく。
「お兄ちゃん、名前は?」
「……ヴィオレだ」
「ヴィオレお兄ちゃんとラピスお姉ちゃん、また遊びに来るね」
くるりと踵を返しながら、ラルヴァータは最後にこちらを振り返った。
「あ、安心して。もう失踪事件は起きないから」
その言葉を最後に、少女たちの気配は路地の奥へと溶けるように消えていった。
静寂だけが残った中庭で、私は詰めていた息をようやく吐き出した。
「……ヴィオレさん」
ラピスが、いつになく静かな声で私の名を呼んだ。




