1.はじまりの部屋
背後で金属質の扉が完全に閉じきると、空間そのものを押し潰すような重い唸りが轟いた。
続けて硬質な音がいくつも畳みかけるように連なる。
分厚い隔壁にロックが噛み合っていく音だ。それが鳴り止んだとき、私たちはもう外界から完全に切り離されていた。
窓のない真っ白な部屋には、目算でも百人は下らない人数が押し込められている。
にもかかわらず、誰の口からも言葉は漏れてこない。
空調の冷気が首筋を撫でていくが、これだけの人間が密集した体温と、隠しきれない緊張の匂いが、空気を重く沈ませていた。
呼吸の音、着衣が擦れる微かな音――そんな些細な物音までもが、やけにはっきりと耳に届く。
体感としてはほんの数分だったはずだ。
だが張り詰めた沈黙は、実際の長さをはるかに超えて引き伸ばされていくようだった。
その静寂を破ったのは、正面の壁一面を覆う巨大なスクリーンだった。
ノイズ混じりの青白い光がフラッシュのように瞬き、何人かが眩しさに顔を背ける。
続いて、感情を抑えた事務的な声がスピーカーから流れ出した。
『参加者の皆様。新たなる世界への長い旅路、誠にご苦労様でした。また、決して安くはない参加料をお支払いいただいたこと、運営を代表して深く感謝申し上げます』
「決して安くはない」というのは、あまりにも控えめな表現だ。
ここまでの渡航にかかった費用に加え、要求された参加料そのものが、平均的な会社員が生涯をかけて稼ぐ額に匹敵していたのだから。
視線をゆっくりと巡らせてみる。
――なるほど、と思う。
すぐ隣に立つ人物も、少し先に見える顔ぶれも、白いものが混じった髪の初老の男性や、目の下に深い疲労を溜めた中年の女性が大半を占めていた。
若い世代の姿はほとんど見当たらない。
彼らはみな、現実で長い年月をかけてその代償を積み上げ、それでもなお全てを手放してここに立つだけの事情を抱えた人間たちなのだろう。
再び、声が響く。
『早速ではございますが、ダイブに先立ち、改めての最終確認となります』
声のトーンが、わずかに沈んだ。
『ここから先、ゲームにご参加いただきますと、ゲーム内での死亡による強制ログアウト、あるいはご自身での任意ログアウトを選択しない限り、現実世界へお戻りいただくことはできません。どんな理由であれ一度でもログアウトした場合、本プロジェクトへの参加権は永久に失われます。その際、参加料の返金は一切致しかねます』
突き放すようなその宣告に、部屋の空気がさらに冷え込んでいくのがわかった。
『もし、この段階で引き返すという方がいらっしゃれば、今なら参加料を全額返金し、安全にお帰りいただくことをお約束します。……それでも、皆様は参加されるという認識でよろしいですね?』
秘密裏に語り継がれてきたプロジェクトにしては、ずいぶんと丁寧で筋の通った警告だと思った。
私は白いロングコートのポケットに手を沈め、静かに息を吐き出す。
ログアウトすれば、二度とこちら側には戻れない。それは間違いないのだろう。
だが裏を返せば、ゲーム内で命を落としたとしても、課されるペナルティは「この世界への参加権を失う」という、ただ一点に尽きる。
よくあるVRMMOの物語のように、現実の肉体まで巻き込んで滅びるような理不尽さはない。
ただ、せっかく手に入れかけた新しい土台から追い出され、あの息苦しい現実へと引き戻されるだけだ。
それでも――それこそが、この場にいる誰にとっても、最も恐れるべき結末であることに変わりはなかった。
静まり返った部屋の中、踵を返す者は誰一人としていない。
私にとっても、他の誰にとっても、「参加しない」という選択肢は、とうの昔に選べなくなっていたのだから。




