26.地下施設
商人が消えた路地の奥、朽ちた井戸の底に隠された扉を潜り抜けると、そこには湿った石造りの通路が延びていた。壁に灯る魔導灯は薄暗く、俺たちの足音だけが反響する。
「静かすぎる」
先を歩くラピスが、探偵らしい鋭さで呟いた。腰まで届く黒髪を揺らしながら、彼女は懐から小さな水晶――探査系のスキル媒体だろうか――を取り出し、握りしめる。
「気配がないですわ。人の熱も、魔力の残滓すらほとんど感じられない……もう、ここは空っぽですわね」
俺は剣の柄に手をかけたまま、通路の奥へと視線を向けた。
予想はしていた。商人の足取りを追ってここまで辿り着くのに、俺たちは十分すぎるほど時間をかけてしまった。
慎重に情報を集め、裏を取り、確証を得てから動いた。
その慎重さが、逆に相手に猶予を与えてしまったのかもしれない。
「拠点を移された、か」
「悔しいけど、そうみたいわね。でも――」
ラピスは水晶を掲げ、目を閉じた。
彼女のスキル『残響探知』は、その場に刻まれた過去の情報を魔力の痕跡から読み取るものだと以前聞いていた。
探偵という職業柄、彼女はこうした調査系スキルに長けている。
水晶がぼんやりと青白く光り始め、通路の奥、開けた空間へと俺たちを導くように輝きを強めた。
その部屋に足を踏み入れた瞬間、私は息を呑んだ。
まず目に入ったのは、壁際に並んだ複数の牢だった。
錆びついた鉄格子、その奥には藁が敷かれた狭い空間。
人一人がようやく横になれる程度の広さしかない。
誰かがここに閉じ込められていた――それも一人や二人ではない。
牢の数は、俺が数えただけでも十を超えていた。
「これって……」
「行方不明になった人たちが、収容されていた可能性が高いわね」
ラピスの声が、いつもより硬い。
部屋の中央には、床一面に描かれた魔法陣があった。
牢に対してやや離れた位置にあるそれは、人を運ぶための造りには見えない。
私はこの手の術式に詳しくないが、皿状の窪みを中心に幾重にも紋様が刻まれているその形状に、どこか違和感を覚えた。
「これは転移陣か? 攫った奴らをここから運んだのか」
ラピスは陣の縁に膝をつき、刻まれた紋様を指でなぞりながら、静かに首を振った。
「いいえ……これは人を送るための陣じゃないわ。座標式が組まれていない。人を転送するにはもっと精密な術式が要る。これは――物を送るための陣ね。それも、かなり慎重に扱う必要がある物を」
「物を?」
「恐らく魔力を帯びた素材か、あるいは抽出物。中央の窪み、見て。何かを"乗せて"送るための形をしていますわ」
俺は牢と魔法陣を交互に見やり、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
攫われた人々は、恐らく自分の足で、あるいは担がれて、この場所を出ていったのだろう。
だとすれば、この陣が運んでいたものは一体何なのか。
ラピスの声が、わずかに震えた。
「牢の中に閉じ込めて、そこから何かを"取り出し"、それをこの陣で送っていたとしたら――」
彼女はそれ以上、言葉にしなかった。俺も、その先を想像したくはなかった。
部屋の奥、崩れかけた木箱の山に目を向けると、そこには夥しい量の書類や記録媒体が詰め込まれていた。手に取ってみると、名前と思しき文字列、日付、そして数字の羅列。まるで管理台帳のようだ。
「ラピス、これ……」
彼女は俺の手元を覗き込み、表情を強張らせた。
「人の出入りと、恐らく採取記録ね。日付、個体の識別番号、そして――採取量? まるで家畜の管理台帳だわ」
吐き気を覚えながらも、俺は書類の束をさらに漁った。
そして、その一枚の隅に押された印章に目が留まった瞬間、背筋が凍りついた。
見慣れない紋章――ムーのものでも、この国のものでもない。
ラピスがそれを見て、静かに息を吐いた。
「これは……隣国の、正式な国璽ですわ」
沈黙が部屋を支配した。
ただのギルドの犯罪行為ではない。国家が絡んでいるかもしれない――その可能性が、重く俺たちの肩にのしかかった。
「あの陣が送っていたものの行き先も、恐らく――」
ラピスは言いかけて、口を閉ざした。
俺たちは顔を見合わせ、次に取るべき行動を模索し始めた。
この空っぽの部屋に残された痕跡は、事件の底知れぬ深さを静かに物語っていた。




