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第47話 変わる。生活は続く。

 金曜日。


 朝から、真昼は妙に静かだった。


 会社へ向かう電車の中でも。


 改札を抜ける時も。


 デスクへ座ってからも。


 頭のどこかが、

ずっとぼんやりしている。


 今日。


 決める。


 上司へ返事をする。


 そのはずなのに。


 真昼の中では、

もう別の感覚の方が大きくなっていた。


 帰りたい。


 早く。


 二〇三号室へ。


 午前。


 上司からチャットが来る。


『午後、会議室で』


 短い文章。


 真昼は画面を見つめたまま、

小さく息を吐いた。


 逃げられない。


 本当に。


 午後。


 会議室。


 閉まるドア。


 静かな空間。


 上司は椅子へ座りながら、

少し困ったように笑った。


「そんな深刻に考えなくていいんだけどな」


 真昼は曖昧に笑う。


「……すみません」


「で、どうする?」


 真昼は返事ができなかった。


 東京へ戻れば。


 普通へ戻れる。


 きっと。


 でも。


 その“普通”を、

最近はうまく想像できない。


 静かな部屋。


 加湿器。


 味噌汁。


 ミシ。


 小さい生活音。


 その空気ばかり、

頭へ浮かぶ。


 長い沈黙。


 上司は急かさなかった。


 ただ待っている。


 真昼はゆっくり口を開く。


「……すみません」


 掠れた声。


「……もう少しだけ」


 そこで止まる。


 自分でも分かっていた。


 これは、

答えを出していないんじゃない。


 出さないようにしている。


 上司はしばらく真昼を見ていた。


 やがて、小さく息を吐く。


「……佐伯さんさ」


「……はい」


「山形来てから、ちょっと変わったよな」


 真昼は返事ができなかった。


 変わった。


 その通りだ。


 生活は整った。


 ちゃんと寝る。


 ちゃんと食べる。


 ちゃんと帰る。


 でも。


 何か別のものが、

静かに削れている。


「……まあ、週明けまで待つ」


 上司はそれだけ言った。


 帰宅。


 夜。


 真昼は、ほとんど逃げるみたいに駅から歩いていた。


 住宅街。


 古いアパート。


 階段。


 二〇三号室。


 鍵。


 ドア。


 暖かい空気。


 味噌汁の匂い。


 その瞬間。


 真昼の胸の奥から、

ゆっくり力が抜ける。


「……ただいま」


 数秒。


 ミシ。


 小さい音。


 返事。


 真昼はそこで、

深く息を吐いた。


 帰ってきた。


 本当に。


 真昼はソファへ座り込み、

ぼんやり天井を見る。


 その時。


 上から、低い声。


「……今日は、かなり疲れてますね」


 真昼は少し笑った。


「……そうですね」


 短い返事。


 それだけ。


 でも。


 その会話だけで、

頭の中のざわつきが少しずつ静かになる。


 真昼はゆっくり目を閉じた。


 会社では、

ずっと何かを決めなければいけない。


 でも。


 二〇三号室では、

ただ生活だけが続いていく。


 味噌汁。


 加湿器。


 ミシ。


 小さい生活音。


 真昼はその音を聞きながら、

静かに呼吸を落としていく。


 そして。


 最近ではもう。


 その時間だけが、

本当に“生きている”感覚を与えてくれる。

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