第46話 普通に戻る。元に戻る?
木曜日。
朝。
真昼は、目覚ましが鳴る前に目を覚ました。
薄暗い部屋。
加湿器の音。
白い天井。
数秒後。
ミシ。
小さい音。
真昼はそこで、
ゆっくり息を吐く。
最近。
この音を聞くと、
「ああ、今日も同じだ」
と思う。
安心している。
本当に。
会社。
午前。
真昼は、デスクへ座ったままぼんやりPC画面を見ていた。
メール。
資料。
数字。
全部見えている。
でも。
頭の奥が、
ずっと二〇三号室へ残っている。
最近。
会社にいる時間だけ、
生活が止まっているみたいだった。
昼休み。
上司に呼び止められる。
「佐伯さん」
真昼は反射的に顔を上げる。
「明日、一回ちゃんと決めよう」
「……はい」
「もう東京側も待たせられないから」
真昼は黙って頷いた。
分かっている。
本当に。
でも。
その“分かっている”だけが、
最近ずっと宙に浮いたままだ。
帰宅。
夜。
雨は止んでいた。
真昼は、ほとんど無意識にアパートの階段を上がる。
二〇三号室。
鍵。
ドア。
暖かい空気。
味噌汁の匂い。
ミシ。
小さい音。
真昼はそこで、
深く息を吐いた。
「……ただいま」
数秒。
ミシ。
返事。
真昼は靴を脱ぎ、
ゆっくりソファへ座り込む。
その瞬間。
今日一日ずっと身体へ張り付いていた疲労が、
少しだけ剥がれる。
真昼はぼんやり天井を見る。
最近。
会社にいる時より、
この部屋にいる時の方が、
自分の輪郭がはっきりする。
その感覚が、
少し怖い。
その時。
上から、低い声。
「……今日は、かなり静かだったので」
真昼は少し笑う。
「……疲れてると、喋らないので」
「……はい」
短い返事。
部屋が静かになる。
冷蔵庫。
加湿器。
遠くの車。
その全部の中で。
真昼はふと気づく。
最近。
“普通へ戻る”
という感覚が、
少し曖昧になっている。
東京へ戻る。
普通の生活。
普通の部屋。
普通の人生。
でも。
真昼の身体はもう、
二〇三号室の静けさへ馴染み始めている。
味噌汁の匂い。
暖かい空気。
ミシ。
小さい生活音。
真昼はゆっくり目を閉じた。
その時。
上で、小さく床板が鳴る。
ミシ。
真昼はその音を聞きながら、
ぼんやり思う。
もし今。
この生活が終わったら。
自分は、
ちゃんと元へ戻れるんだろうか。




