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第44話 マヒルの世界は部屋の内

 火曜日。


 朝。


 真昼は、目覚ましが鳴る少し前に目を覚ました。


 薄暗い部屋。


 加湿器の音。


 白い天井。


 数秒後。


 ミシ。


 小さい音。


 真昼はそこで、

ゆっくり息を吐く。


 最近。


 この音を聞いた瞬間、

身体が“戻る”。


 そういう感覚がある。


 会社。


 午前。


 真昼はデスクへ座ったまま、

ぼんやりPC画面を見ていた。


 メール。


 資料。


 数字。


 全部、遠い。


 最近。


 会社にいる時間だけ、

少し現実感が薄い。


 生活が止まっているみたいだった。


 昼休み。


 同期たちが、

来月の予定を話している。


 旅行。


 飲み会。


 異動。


 真昼はその輪の端で、

曖昧に笑っていた。


いつと変わらぬ日常。


 でも。


 どこか少しだけ、

別の場所にいる感覚がある。


 二〇三号室。


 味噌汁。


 暖かい空気。


 ミシ。


 静かな生活音。


 真昼は缶コーヒーを握ったまま、

小さく目を閉じた。


 帰りたい。


 最近。


 その感覚ばかり強くなっている。


 帰宅。


 夜。


 アパートの階段を上がる。


 古い手すり。


 湿った空気。


 二〇三号室。


 鍵。


 ドア。


 暖かい空気。


 味噌汁の匂い。


 真昼はそこで、

ほとんど反射みたいに肩の力を抜いた。


「……ただいま」


 数秒。


 ミシ。


 小さい音。


 返事。


 真昼は靴を脱ぎ、

ゆっくりソファへ座る。


 静かな部屋。


 加湿器。


 冷蔵庫。


 上の気配。


 最近ではもう、

この空気の方が身体へ馴染んでいる。


 その時。


 ふいに、スマホが震えた。


 母親。


『ちゃんとご飯食べてる?』


 真昼は画面を見つめたまま止まる。


 少し前なら、

返事に困っていたと思う。


 でも今は。


『食べてる』


 短く打つ。


 送信。


 真昼はそこで、

少しだけ止まった。


 嘘じゃない。


 本当に。


 ちゃんと食べている。


 ちゃんと寝ている。


 ちゃんと生活している。


 でも。


 それを支えているのが、

天井裏の男だということを、

誰にも説明できない。


 真昼はゆっくりスマホを伏せる。


 その時。


 上から、低い声。


「……今日は、少し落ち着いてるので」


 真昼はぼんやり天井を見る。


「……そうですか」


「……帰ってきたので」


 短い言葉。


 でも。


 その言葉だけで、

胸の奥のざわつきが静かになっていく。


 真昼はソファへ深く沈み込み、

ゆっくり目を閉じた。


 外では、

ずっと何かを決めなければいけない。


 でも。


 二〇三号室では、

ただ生活だけが続いている。


 味噌汁。


 加湿器。


 ミシ。


 小さい生活音。


 その全部が、

真昼の世界を部屋の内だけにする。


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