第43話 生活は続いていく
月曜日。
朝から、真昼はずっと落ち着かなかった。
今日。
返事をしなければいけない。
東京へ戻るか。
このまま山形へ残るか。
それを、
上司へ伝える。
会社へ向かう電車の中で、
真昼はぼんやり窓を見ていた。
流れていく景色。
曇った空。
駅。
人。
全部、遠い。
頭の中へ浮かぶのは、
二〇三号室の空気ばかりだった。
暖かい部屋。
味噌汁。
加湿器。
ミシ。
小さい生活音。
真昼は小さく目を閉じる。
その時。
ふと気づく。
最近。
“東京へ戻る”
を考える時、
最初に浮かぶのが期待じゃなく、
喪失感になっている。
それが怖かった。
午後。
上司に呼ばれる。
会議室。
閉まるドア。
静かな空間。
上司は椅子へ座りながら、
柔らかい声で言った。
「で、どうする?」
真昼は返事ができなかった。
東京へ戻れば、
きっと正常へ戻れる。
分かっている。
でも。
その“正常”の中に、
もう二〇三号室が存在していない。
真昼は視線を落とした。
長い沈黙。
上司は急かさない。
待っている。
真昼はゆっくり口を開く。
「……すみません」
掠れた声。
「……まだ、決めきれなくて」
言った瞬間。
自分で少し驚く。
まだ。
決めない。
まだ。
終わらせない。
上司はしばらく真昼を見ていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……そんなに山形気に入った?」
真昼は返事ができなかった。
二〇三号室。
暖かい空気。
味噌汁。
ミシ。
その全部を、
“山形”
という言葉へまとめられる気がしなかった。
「……まあ、分かった」
上司は困ったように笑った。
「でも、そろそろ本当に決めないとだからな」
「……はい」
帰宅。
夜。
真昼は、ほとんど無意識に駅から歩いていた。
住宅街。
古いアパート。
階段。
二〇三号室。
鍵。
ドア。
暖かい空気。
味噌汁の匂い。
その瞬間。
真昼の胸の奥から、
ゆっくり力が抜ける。
「……ただいま」
数秒。
ミシ。
小さい音。
返事。
真昼はそこで、
深く息を吐いた。
帰ってきた。
本当に。
その時。
上から、低い声。
「……今日は、かなり静かだったので」
真昼はぼんやり天井を見る。
「……考えてたので」
「……はい」
短い返事。
それだけ。
でも。
その静かな会話だけで、
真昼の中のざわつきが少しずつ薄れていく。
真昼はソファへ座り込み、
ゆっくり目を閉じた。
会社では、
ずっと何かを決めなければいけない。
でも。
二〇三号室では、
何も決めなくていい。
ただ。
静かに生活だけが続いていく。
最近。
真昼はそのことへ、
少しずつ救われ始めていた。




