第39話 “帰宅”
木曜日。
朝。
真昼は、目覚ましを止めたあともしばらく布団から出なかった。
天井を見る。
白い木目。
点検口。
数秒後。
ミシ。
小さい音。
真昼はそこで、
ゆっくり息を吐く。
最近。
この音を聞くと、
今日も同じ生活が続くんだと思う。
安心してしまう。
それが怖い。
会社。
午前。
真昼は、デスクへ座ったままぼんやりPC画面を見ていた。
数字。
メール。
会議予定。
全部見えている。
でも。
頭のどこかが、
ずっと二〇三号室へ残っている。
昼休み。
上司と廊下ですれ違う。
「佐伯さん」
真昼は反射的に顔を上げる。
「明日の件、少しだけ時間もらうから」
「……はい」
短い返事。
上司は少し困ったように笑う。
「そんな重く考えなくていいからな」
真昼は曖昧に笑い返した。
でも。
その“重さ”が、
最近よく分からなくなっている。
異動。
東京。
普通の生活。
全部。
少し遠い。
帰宅。
夜。
雨は止んでいた。
アパートの階段を上がる。
古い手すり。
湿った空気。
二〇三号室。
鍵。
ドア。
暖かい空気。
味噌汁の匂い。
真昼はそこで、
ほとんど反射みたいに目を閉じた。
安心している。
本当に。
「……ただいま」
数秒。
ミシ。
返事。
真昼は靴を脱ぎ、
ゆっくりソファへ座る。
その時。
上から、低い声。
「……今日は、かなり静かだったので」
真昼は天井を見る。
「……会社ですか」
「……はい」
真昼は少し笑った。
「……疲れてると、喋らないので」
言ってから止まる。
また。
説明している。
生活を。
自分の状態を。
天井裏の男へ。
でも。
最近はもう、
その異常さを考える方が疲れる。
上は静かだった。
少しして。
「……帰ってきたので」
低い声。
真昼はそこで止まる。
短い言葉。
でも。
その意味が、
妙に胸へ落ちてくる。
帰ってきた。
会社から。
外から。
ここへ。
真昼はぼんやり天井を見る。
最近。
“帰宅”
という言葉の意味が、
少しずつ変わり始めていた。
外で過ごす時間は、
ただの空白みたいに流れていく。
でも。
二〇三号室だけは、
毎日ちゃんと積み重なっていく。
味噌汁。
加湿器。
ミシ。
小さい生活音。
その全部が、
静かに真昼を閉じ込める。




