第30話 帰ったら味噌汁あるかな
火曜日。
朝。
真昼は、目覚ましが鳴る前に目を覚ました。
天井を見る。
白い木目。
点検口。
数秒後。
ミシ。
小さい音。
真昼はそこで、ほんの少し肩の力を抜く。
もう。
朝の確認になっている。
いるか。
静かか。
気配があるか。
それを確かめてから、
一日が始まる。
真昼はゆっくり起き上がった。
キッチン。
味噌汁の匂い。
加湿器。
暖かい空気。
生活が回っている。
昔より、ずっとちゃんとしている。
でも。
最近、
会社へ向かう足取りだけが重い。
会社。
午前。
真昼はデスクへ座ったまま、ぼんやりPC画面を見ていた。
メール。
資料。
数字。
全部見えているのに、頭へ入ってこない。
「佐伯さん、大丈夫?」
同僚の声。
真昼は反射的に顔を上げる。
「あ、はい」
「最近疲れてる?」
真昼は曖昧に笑った。
「ちょっと寝不足かもです」
嘘ではなかった。
でも。
本当の理由は違う。
最近。
頭の半分が、
ずっと二〇三号室へ残っている。
昼休み。
真昼は自販機前で缶コーヒーを買い、そのまま外のベンチへ座った。
曇り空。
風。
遠くの車の音。
真昼はぼんやり缶を握ったまま、スマホを見る。
上司から返信は来ていない。
返答待ち。
保留。
宙ぶらりん。
その状態が、
少しずつ当たり前になり始めている。
真昼はそこで止まる。
昔の自分なら、
もっと焦っていたはずだ。
将来。
異動。
評価。
そういうものを。
でも今は。
それより先に、
“今日帰ったら味噌汁あるかな”
を考えてしまう。
真昼は強く目を閉じた。
駄目だ。
本当に。
帰宅。
夜。
アパートの階段を上がる。
二〇三号室。
鍵。
ドア。
暖かい空気。
真昼はその瞬間、
胸の奥の緊張がほどけるのを感じた。
帰ってきた。
そう思う。
「……ただいま」
数秒。
ミシ。
小さい音。
真昼は靴を脱ぎながら、小さく息を吐いた。
その時。
上から、低い声。
「……今日は、かなり疲れてるので」
真昼は天井を見る。
「……分かるんですか」
「……音、重いので」
真昼は少し笑った。
最近。
そういう言葉へ、
安心する自分がいる。
怖いくらいに。
真昼はソファへ座り込み、ぼんやり天井を見る。
静かな部屋。
味噌汁。
加湿器。
小さい生活音。
その全部が、
もう真昼の“正常”へ置き換わっている。




