第25話 6月18日 沈黙
木曜日。
真昼は、仕事中ずっと落ち着かなかった。
理由は分かっている。
帰宅しても、
もう“返事”がないからだ。
昼休み。
スマホを見る。
何も来ていない。
当たり前だった。
でも。
真昼は気づけば、
ぼんやり天井裏のことを考えている。
どこへ行ったんだろう。
見つかったんだろうか。
体調悪かったのか。
真昼はそこで思考を止めた。
駄目だ。
本当に。
帰宅。
夜。
アパートの階段を上がる。
静か。
二〇三号室。
鍵。
ドア。
冷たい空気。
真昼は部屋へ入り、靴を脱ぐ。
静かだった。
冷蔵庫。
遠くの車。
それだけ。
最近では、
この静けさの方が異常に感じる。
真昼はソファへ座り込み、ぼんやり天井を見る。
返事はない。
ミシ、もない。
その時。
ふと、視線がテーブル端へ向く。
メモ。
真昼はしばらく見つめたあと、ゆっくり手を伸ばした。
紙の感触。
少し柔らかくなっている。
何度も触ったせいだ。
真昼はそこで止まる。
何やってるんだ。
本当に。
その時。
スマホが震えた。
上司。
『異動の返事、今週中で大丈夫だから』
真昼は画面を見つめる。
今週中。
つまり。
もう決めなければいけない。
東京へ戻るか。
ここへ残るか。
真昼はゆっくりスマホを伏せた。
部屋は静かだった。
味噌汁もない。
加湿器も止まっている。
生活音が足りない。
その時。
真昼は、無意識に立ち上がっていた。
キッチンへ向かう。
鍋。
水。
味噌。
豆腐。
ネギ。
真昼はぼんやりしたまま味噌汁を作り始める。
静かな音。
包丁。
湯気。
コンロ。
その時。
ふいに気づく。
最近。
味噌汁を作る時、
“誰かがいる前提”
で動いていた。
会話がある。
音が返る。
ミシが鳴る。
でも今は。
何も返ってこない。
真昼は味噌を溶かしながら、小さく息を吐いた。
「……静かすぎる」
掠れた声。
返事はない。
ただ。
湯気だけが静かに揺れている。
真昼は味噌汁を器へよそい、ソファへ座る。
一人分。
当たり前の量。
なのに。
少ない、と思ってしまった。
真昼はそこで止まる。
数秒。
ゆっくり天井を見る。
静か。
誰もいない。
そのはずなのに。
真昼は気づけば、
もう一つ器を出していた。
真昼は、その器を見つめたまま動けなかった。
二つ。
味噌汁。
湯気。
静かな部屋。
真昼はゆっくり目を閉じる。
「……何やってるんだろ」
掠れた声。
でも。
器を戻せなかった。
真昼はテーブルへ二つ並べる。
一人分の部屋。
なのに。
食卓だけが、
まだ二人分のリズムを覚えている。
真昼はそのまま座り込む。
静かだった。
返事はない。
ミシも鳴らない。
その時。
ふいに。
上で、小さく音がした。
コツ。
真昼の呼吸が止まる。
部屋が静かになる。
冷蔵庫。
換気扇。
遠くの車。
その全部の奥で。
確かに。
小さい音。
真昼はゆっくり天井を見る。
「……三浦さん?」
沈黙。
長い沈黙。
真昼は立ち上がりそうになる。
その瞬間。
ミシ。
小さい床板の軋み。
真昼はそこで止まった。
胸の奥が、
一気に熱くなる。
安心。
本当に。
反射みたいに。
真昼は数秒、何も言えなかった。
上は静かだった。
でも。
いる。
気配がある。
それだけで、
部屋の空気が急に埋まる。
真昼はゆっくりソファへ座り直した。
「……いたんですね」
掠れた声。
数秒。
長い沈黙。
それから。
「……すみません」
低い声。
真昼は目を閉じた。
また、その声だ。
静かな。
生活の声。
「……どこ行ってたんですか」
少し間。
「……少し」
曖昧な返事。
でも。
真昼はそれ以上聞かなかった。
聞いた瞬間、
また消えそうな気がした。
その感覚が、自分でも怖い。
真昼はゆっくり味噌汁を見る。
二つ並んだ器。
湯気。
静かな部屋。
その時。
上から、低い声。
「……作ってたので」
真昼は止まる。
「……味噌汁」
真昼は何も言えなかった。
見られていた。
戻ってきて。
静かに。
また。
真昼はゆっくり天井を見る。
そして。
気づいてしまう。
さっきまで空っぽだった部屋が。
今。
少しだけ、
“帰ってきた”
と思ってしまっていることに。




