第19話 6月12日 金曜日
金曜日。
真昼は、会社で少しミスをした。
大きなものではない。
数字の入力ミス。
確認不足。
すぐ修正できる程度。
でも。
上司に軽く注意された瞬間、妙に疲れた。
「最近ぼーっとしてるぞ」
笑い混じりの声。
真昼は曖昧に頭を下げた。
「すみません」
そのあと。
デスクへ戻っても、しばらく画面が頭に入らなかった。
ぼーっとしている。
その通りだった。
最近。
頭のどこかが、ずっと部屋へ引っ張られている。
帰宅。
夜。
アパートの階段を上がる。
少し寒い。
風も強かった。
二〇三号室。
鍵。
ドア。
暖かい空気。
味噌汁の匂い。
真昼はそこで、小さく目を閉じる。
安心している。
帰ってきた、と思っている。
その感覚が怖い。
「……ただいま」
数秒。
ミシ。
小さい音。
真昼は鞄を置き、ソファへ座り込む。
疲れていた。
その時。
上から、低い声。
「……今日、何かありました?」
真昼は少し止まる。
「……なんでですか」
「足音、重いので」
真昼は思わず笑いそうになって、止めた。
本当に。
全部そこなんだな、と思う。
足音。
咳。
歩き方。
生活音。
三浦は、それだけで人を見ている。
真昼はソファへ身体を預けた。
「……仕事でミスしました」
言った瞬間。
真昼は目を閉じる。
まただ。
報告している。
今日あったことを。
自然に。
上は静かだった。
数秒。
それから。
「……最近、前より頑張ってるので」
真昼はゆっくり天井を見る。
「……慰めてます?」
「……はい」
真昼は、少しだけ吹き出した。
本当に少し。
息が漏れる程度に。
その瞬間。
自分で固まる。
今。
笑った。
三浦との会話で。
部屋が静かになる。
冷蔵庫。
風。
換気扇。
その全部の中で。
上から、小さく床板が鳴る。
ミシ。
真昼は顔を覆った。
「……駄目だ」
掠れた声。
でも。
何が駄目なのか、
もう少しずつ曖昧になってきている。
その時。
ふいに、上から低い声。
「……佐伯さん」
「……何ですか」
少し間。
「……最近、帰るの早くなったので」
真昼は止まる。
「……そうですか?」
「……はい」
静かな返事。
真昼はぼんやり天井を見る。
帰宅時間。
生活。
疲れ方。
全部。
三浦は覚えている。
そして。
真昼自身も。
少しずつ、
“この部屋へ帰る”
前提で生活し始めている。
テーブルの端。
昨日のメモがまだ置かれている。
真昼はそれを見つめたまま、小さく息を吐く。
捨て忘れていた。
いや。
本当は。
捨てなかった。




