表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/19

第17話 2人分のリズム

 日曜日。


 昼前。


 真昼は、珍しく外へ出ていた。


 スーパー。


 日用品。


 洗剤。


 ティッシュ。


 カゴへ必要なものを入れていく。


 普通の買い物。


 普通の休日。


 なのに。


 真昼は何度も後ろを振り返りそうになる。


 誰かを探しているみたいに。


 真昼は小さく舌打ちした。


「……いないって」


 自分へ言い聞かせる。


 でも。


 視界の端へ、人影が入るたび少しだけ緊張する。


 三浦かもしれない。


 そう思ってしまう。


 真昼は会計を済ませ、アパートへ戻った。


 階段を上がる。


 二〇三号室。


 鍵を回す。


 ドアを開ける。


 静かだった。


 だが。


 その静けさの奥に、気配がある。


 真昼はほんの少し肩の力を抜いた。


 もう。


 完全に身体が覚えている。


 この部屋の空気を。


 買い物袋をキッチンへ置く。


 その時。


 上で、小さく床板が鳴った。


 ミシ。


 真昼は天井を見る。


「……いますね」


 少し間。


「……います」


 低い声。


 真昼は袋から洗剤を取り出す。


 新しい詰め替え。


 その瞬間。


 上から、静かな声。


「……前の、切れてたので」


 真昼の手が止まる。


 洗剤。


 少し前。


 勝手に補充されていたやつ。


 真昼はゆっくり視線を落とす。


「……あれ、三浦さんだったんですか」


 数秒。


「……はい」


 静かな返事。


 真昼は小さく息を吐く。


 最初は。


 疲れているせいだと思った。


 記憶違いだと。


 でも。


 最初から、全部いた。


 ゴミ。


 洗剤。


 エアコン。


 生活の隙間へ、静かに入り込んでいた。


 真昼はぼんやり洗剤を見つめる。


「……なんで、そんなことしたんですか」


 上は静かだった。


 長い沈黙。


 やがて。


「……ちゃんと、生きてなさそうだったので」


 真昼は止まった。


 その言葉。


 前にも聞いた気がした。


 でも今。


 真正面から落ちてくる。


 生活。


 睡眠。


 コンビニ袋。


 風呂。


 泣いていた日。


 三浦は、それを全部見ていた。


 そして。


 “放っておけなかった”。


 真昼はソファへ座り込む。


 怖い。


 本当に。


 普通じゃない。


 でも。


 その言葉の中に、妙な静けさがある。


 支配したいわけじゃない。


 傷つけたいわけでもない。


 ただ。


 生活へ入り込んでいる。


 それが、この人の怖さだった。


 その時。


 上で、小さく咳。


 ゴホ。


 真昼は反射的に天井を見る。


 そして。


 また、その咳を聞いて少し安心してしまった自分に気づき。


 静かに、目を閉じた。


 月曜。


 仕事は、朝から妙に忙しかった。


 電話。


 資料修正。


 メール。


 細かい確認。


 真昼は昼過ぎにはもう疲れていた。


 肩もまだ少し痛む。


 気づけば、ため息ばかり増えていた。


 夕方。


 駅からアパートへ戻る道。


 空は薄暗い。


 住宅街の窓に、少しずつ灯りがついている。


 真昼はコンビニ袋を提げたまま歩いていた。


 中身。


 牛乳。


 卵。


 それから。


 味噌。


 真昼は途中で止まる。


「……なんで味噌買ってるんだろ」


 小さく呟く。


 自分で作るつもりだったのか。


 それとも。


 無意識に“切れたら困る”と思ったのか。


 真昼は顔をしかめ、また歩き出した。


 帰宅。


 階段を上がる。


 二〇三号室。


 鍵。


 ドア。


 暖かい空気。


 その瞬間。


 真昼は、もう自然に天井の気配を探していた。


 静か。


 だが。


 いる。


 分かる。


「……ただいま」


 数秒。


 ミシ。


 小さい音。


 返事。


 真昼は靴を脱ぎながら、小さく息を吐く。


 最近。


 このやり取りが、完全に生活へ入り込んでいる。


 キッチンへ向かう。


 袋を置く。


 その時。


 上から、低い声。


「……疲れてますね」


 真昼は止まる。


「……分かるんですか」


「歩き方、重いので」


 真昼は何も言えなかった。


 また観察。


 でも。


 もう驚きより先に、

“ああ、見てるんだ”

が来る。


 それがまずい。


 真昼は袋から味噌を取り出した。


 その瞬間。


 上で、小さく床板が鳴る。


 ミシ。


「……味噌、切れそうだったので」


 真昼はゆっくり天井を見る。


「……だから買ったんですかね」


 気づけば、独り言みたいに言っていた。


 上は静かだった。


 だが。


 少しして。


「……最近、佐伯さん作るので」


 真昼の動きが止まる。


「……え」


「前より、キッチン立ってるので」


 真昼は味噌を握ったまま固まる。


 見られている。


 生活を。


 変化を。


 でも。


 その言葉を聞いた瞬間。


 胸の奥へ、妙な感覚が落ちた。


 生活が戻っている。


 少しずつ。


 ちゃんと。


 その変化を。


 三浦は見ている。


 真昼は小さく息を吐いた。


「……三浦さん」


 上で、小さく音。


 ミシ。


「……今日、味噌汁いらないです」


 言った瞬間。


 部屋が少し静かになる。


 真昼は自分で止まった。


 今。


 普通に“報告”した。


 生活の予定を。


 天井裏の男へ。


 上は数秒静かだった。


 やがて。


「……分かりました」


 低い声。


 静かな返事。


 それだけ。


 なのに。


 真昼は、そのやり取りへ妙な安心感を覚えてしまった。


 もう。


 完全に。


 この部屋の生活は、

二人分のリズムで回り始めていた。


 その夜。


 真昼は、自分で味噌汁を作っていた。


 鍋へ水を入れる。


 味噌。


 豆腐。


 ネギ。


 簡単な味噌汁。


 キッチンへ立ちながら、真昼はふと思う。


 少し前まで。


 こんなこと、面倒でやらなかった。


 コンビニ。


 カップ麺。


 シャワー。


 寝落ち。


 それだけだった。


 でも今。


 部屋には、生活のリズムがある。


 真昼は味噌を溶かしながら、小さく息を吐いた。


 その時。


 上で、小さく床板が鳴る。


 ミシ。


 真昼は反射的に天井を見る。


「……起きてるんですね」


 少し間。


「……匂いするので」


 低い声。


 真昼は思わず笑いそうになって、止まる。


 危ない。


 本当に。


 最近。


 こういう会話へ慣れすぎている。


 真昼は味噌汁を器へよそう。


 湯気。


 暖かい匂い。


 静かな部屋。


 その時。


 上から、低い声。


「……今日、会社で」


 真昼は箸を止める。


「……笑ってましたね」


 真昼はゆっくり目を閉じた。


「……見てたんですか」


「……はい」


 静かな返事。


 真昼はソファへ座る。


 もう。


 驚かない自分がいる。


 それが怖い。


「……どこまで見てるんですか」


 少し間。


「……駅まで」


 真昼は味噌汁を見つめた。


 駅まで。


 つまり。


 生活圏のかなり近くにいる。


 その事実が、じわじわ現実味を持つ。


 だが。


 今はもう、

恐怖だけでは終わらない。


「……今日は別に、面白い話じゃなかったですよ」


 気づけば返していた。


 普通みたいに。


 上は静かだった。


 やがて。


「……でも、前より笑ってるので」


 真昼は何も言えなかった。


 その言葉。


 最近、何度も聞く。


 ちゃんと寝てる。


 食べてる。


 笑ってる。


 三浦は、

“生活が戻っている”

ことをずっと見ている。


 真昼は味噌汁を飲んだ。


 暖かい。


 その時。


 ふと。


 真昼は自然に口を開いていた。


「……今日、結構疲れました」


 言った瞬間。


 真昼は止まる。


 部屋が静かになる。


 冷蔵庫。


 換気扇。


 外の車。


 その全部の中で。


 自分が今、

“報告”

をしたことに気づく。


 仕事帰りの。


 同居人みたいに。


 真昼はゆっくり顔を覆った。


「……何やってるんだろ」


 掠れた声。


 上は静かだった。


 数秒。


 それから。


「……お疲れさまです」


 低い声。


 静かな返事。


 それだけ。


 それだけなのに。


 真昼の胸の奥へ、

じわりと何かが落ちる。


 安心。


 ではない。


 でも。


 “帰ってきた”

感覚に近い何か。


 真昼は強く目を閉じた。


 駄目だ。


 本当に。


 この部屋は、

少しずつ、

普通の孤独を壊してしまう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ