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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第十七章 消された研究者編

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第二百四十五話 戦争の少女

第245話 戦争の少女



【異世界・王都イルダ/分析室・昼】


「普通の、人間の少女でした」


セラの言葉が、静かな分析室に落ちた。


ノノは何も言わなかった。

通信の向こうでも、ハレルたちが黙っている。

白い壁の向こうにいる匠も、セラの言葉を止めようとはしなかった。

水晶板の上では、reの補助線がユナの選択反応を囲んでいる。


黒い影は一度離れた。

だが、消えてはいない。

今も寝台の下で、次に入り込める瞬間を待っている。


セラはその反応を見ながら話し始めた。


「今から、ずっと昔のことです」


「私が生まれた町は、王都から離れた場所にありました」


「隣国との境界に近い、小さな町でした」


◆ ◆ ◆


【異世界・国境近くの町/過去】


その頃のセラは、魔術師でも分析官でもなかった。

特別な力もない。


町に暮らす、普通の少女だった。


朝になれば母親に起こされる。

父親が焼いた固いパンを食べる。

水を汲みに行き、母親の仕事を手伝い、時々友人たちと町の外まで遊びに行く。


それだけの毎日だった。


「セラ、あまり遠くまで行かないで」

母親は何度もそう言った。


「分かってる」


「あなたの分かってるは、信用できないのよ」

母親は困ったように笑う。


父親は、その横で木製の道具を直していた。

「帰ってこなかったら、夕飯はなしだ」


「それは困る」


「なら、日が沈む前に帰ってこい」


「うん」


そんな会話が、ずっと続くものだと思っていた。


町の外では、隣国との争いが続いていた。

大人たちは知っていた。

兵士も増えていた。

町を通る荷馬車には、食料ではなく武器が積まれるようになった。


けれど、子供だったセラには遠い話だった。

戦争は、地図の向こうで起きているものだった。

自分たちの家へ来るものではない。


そう思っていた。


その日の朝までは。


◆ ◆ ◆


最初に聞こえたのは、鐘だった。


町の中央にある、大きな警告鐘。


一度。


二度。


続けて、何度も鳴る。


母親の顔色が変わった。

「セラ、家の中へ」


「何があったの?」


「いいから、早く」


外で誰かが叫んでいる。


「敵軍だ!」


「東門が破られた!」


「地下へ逃げろ!」


セラは窓へ近づこうとした。


母親が腕を掴む。

「見ないで」


次の瞬間。


町の東側で、赤い光が上がった。

音は少し遅れて届いた。

地面が揺れる。

窓ガラスが割れた。

セラは耳を塞ぎ、その場へしゃがみ込んだ。


「お父さん!」


父親が奥の部屋から大きな布袋を持ってきた。


「必要なものだけ入れた」

「地下避難所へ行く」


「店は?」

母親が聞く。


「捨てる」

父親は迷わず答えた。

「命より大事なものはない」


三人は家を出た。


町の通りは、もういつもの通りではなかった。


煙。


炎。


走る人々。


泣く子供。


倒れた荷車。


逃げる人の流れへ逆らい、武器を持った兵士たちが東門へ向かっていく。


セラは両親の間を走った。

右手を母親。

左手を父親。

どちらの手も強く握っていた。


離れなければ大丈夫だと思った。


家を失っても。

町が燃えても。

三人で逃げれば、どこかでまた暮らせる。

そう信じていた。


だが。


避難所へ続く通りへ入った時。


上空から、黒いものが落ちてきた。

大きな岩ではない。

炎でもない。

魔術で固められた衝撃の塊。


父親が気づいた。

「伏せろ!」


セラの身体が強く押された。

母親と一緒に、道の端へ倒れる。


直後。


耳の奥まで潰すような音が響いた。

通りの中央が吹き飛んだ。

石壁が崩れる。

土煙が広がる。


セラは何も聞こえなくなった。


視界も白くなった。


少しして、音が戻る。

甲高い耳鳴り。

誰かの悲鳴。

燃える木材の音。


「……お父さん?」


返事はなかった。


セラは身体を起こそうとした。


母親が横に倒れている。


「お母さん」


肩に触れる。

動かない。


「お母さん?」


母親の顔には傷があった。

けれど、それ以上に、その目が何も見ていないことが怖かった。


セラは母親を揺らした。

「起きて」


返事はない。


「お母さん、避難所に行くんでしょ」


母親の身体は動かなかった。


少し離れた場所。

崩れた石の下から、父親の腕が見えていた。


「お父さん」


セラは這うように近づいた。


石をどけようとする。

重い。

動かない。

何度押しても、指が痛くなるだけだった。


「お父さん」


返事はない。


「ねえ」


セラの声は小さくなった。


「置いていかないで」


炎が近づいていた。


町の兵士が、遠くから叫ぶ。

「そこを離れろ!」


セラは動かなかった。

父親の腕を握る。

母親の方を見る。

どちらも動かない。


戦争は、地図の向こうで起きるものではなかった。


一度来れば。


家も。

毎日の会話も。

次の約束も。


何も残さず奪っていく。


◆ ◆ ◆


次の攻撃が落ちた。


セラには、それが何だったのか分からなかった。


光。


衝撃。


身体が浮く感覚。


そして、地面。


息ができない。

胸の奥が熱い。

右脚の感覚がない。

視界の半分が赤く染まっていた。

周囲の声が遠くなる。


逃げる人たちの足音。

兵士の叫び。

燃える家。


全部が水の中に沈んだように聞こえる。


セラは手を伸ばした。

父親の腕には届かない。

母親の姿も、煙で見えなくなっていた。


「……一人に、しないで」


声になったかどうかも分からなかった。


身体が冷たくなる。

痛みも少しずつ遠ざかる。

眠い。


ここで目を閉じれば、もう起きない。

子供だったセラにも、それだけは分かった。


その時。


白い光が、煙の向こうから近づいてきた。


誰かが走っている。


兵士ではない。


白と灰色の長衣。


片手に、結界術師が使う短い杖。


もう片方には、見たことのない銀色の道具を持っていた。


男はセラのそばへ膝をつく。


「聞こえるか」


セラは答えられない。


男は首元へ指を当てる。


呼吸。

脈。

瞳の反応。

傷だけではなく、何か別のものまで確かめるように見ていた。


「身体の維持は難しい」


男は小さく言った。


近くにいた治療術師が首を振る。


「エリウス様、この傷では――」


「分かっている」


エリウスと呼ばれた男は、セラの胸元へ手をかざした。


白い光が身体へ入る。

普通の治癒魔術とは違う。

傷を閉じるのではない。

消えかけている何かを探している。


「意識反応は残っている」


「ですが、身体が持ちません」


「身体だけを見れば、そうだ」


エリウスは銀色の道具を開いた。

中には、小さな透明の結晶が入っている。


その周囲へ、細い術式と数字が同時に浮かんだ。


治療術師が息を呑む。


「その装置を使うのですか」


「この子の意思を確認する」


「会話できる状態ではありません」


「言葉でなくてもいい」


エリウスはセラへ顔を近づけた。

その声は、燃える町の中でも不思議とはっきり聞こえた。


「君の身体は、助けられないかもしれない」


セラの指が、わずかに動く。


「だが、君が君であるものは、まだ消えていない」


白い光が、セラの胸の奥へ触れる。


「名前を覚えているか」


セラの唇が動いた。

声は出ない。

それでも、頭の中で答えた。


セラ。


母親が呼んだ名前。

父親が呼んだ名前。


「生きたいか」


分からない。

両親はいない。

家もない。

戻る場所もない。

一人で残って、どうすればいいのか分からない。


それでも。


最後に母親が握った手。

自分を押して守った父親。

その記憶まで消えることが、怖かった。


セラの目から、涙が流れた。


エリウスはそれを見た。


「分かった」


治療術師が聞く。


「何がです」


「この子は、まだ消えることを選んでいない」


エリウスは透明の結晶をセラの胸元へ置いた。


「結界層を開く」


周囲にいた者たちが驚く。


「ここでですか?」


「時間がない」


エリウスは杖を地面へ突き立てた。


白い線が円を描く。


一重。


二重。


三重。


外の炎や煙を遮断するための結界ではない。

場所を切り離すための結界。

セラの身体がある場所と、意識が残っている場所を、一時的に分けるための層。


「名前を固定」


エリウスが言う。


「セラ」


結晶が光る。


「場所を固定」


白い円が強くなる。


「戦場の中ではなく、私の結界層へ」


視界が白く染まる。

燃える町が遠ざかる。

身体の痛みが消えていく。


腕も。


脚も。


呼吸も。


何も感じない。


セラは怖くなった。


自分まで消えてしまうと思った。


だが、エリウスの声が聞こえた。


「大丈夫だ」


「君を道具にはしない」


「記録として保管するつもりもない」


「目を覚ました時、もう一度君の名前を聞く」


白い光が閉じる。


最後に見えたのは、エリウスの顔だった。

父親ではない。

知らない大人。

けれど、セラを一人にしないために、そこに残っている人。


「生きろ、セラ」


その言葉と同時に。


セラの意識は、身体から離れた。


◆ ◆ ◆


【異世界・エリウスの結界層/過去】


最初は、何もなかった。


地面もない。


空もない。


身体もない。


あるのは、白い光だけ。


声を出そうとしても、口がない。


手を伸ばそうとしても、腕がない。


眠っているのか。


死んだのか。


それすら分からなかった。


セラは、自分が誰だったのかを思い出そうとした。


燃える町。

父親。

母親。

握っていた手。


全部が遠い。

消えそうになる。


その時。


どこからか、男の声が聞こえた。


『聞こえるか』


エリウス。


戦場でセラを見つけた男。


『君の名前を教えてほしい』


白い光の中で、セラは答えようとした。


声は出ない。

それでも、残っているものを集める。

自分が最後まで失いたくなかったもの。


セラ。


その名前を、光の中へ押し出した。


小さな文字が浮かぶ。


《セラ》


少しの沈黙。


それから、エリウスの声が柔らかくなった。


『よかった』

『君は、まだここにいる』


白い光の中で。


セラは初めて、自分が生き残ったことを知った。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/分析室・現在】


セラは、そこで一度言葉を止めた。


ノノは水晶板から目を離し、セラを見ていた。


「それが……エリウス?」


「はい」


セラは静かに答えた。


「王都の結界魔術師」

「そして、魔術だけではなく、意識や情報を科学的に分析していた研究者です」


通信の向こうで、ハレルが聞く。

『エリウスが、セラをコアにしたのか』


「今のコアとは、少し違います」

セラは自分の胸元へ手を置く。

「当時は、まだ名前すらありませんでした」


「ですが、身体から意識を分け、結界層の中で保存するという意味では、近いものです」


リオの声が入る。

『両親は……』


セラは一瞬だけ目を閉じた。

「亡くなりました」


淡々とした声。

だが、何も感じていないわけではない。

長い時間を経ても消えなかった痛みが、その奥にあった。


「私にとって、元の家族の記憶はそこで終わりました」


「そして、エリウスとの時間が始まりました」


ノノが小さく聞く。

「結界層の中で、ずっと一人だったの?」


セラは首を振る。

「いいえ」


ほんの少しだけ、表情が柔らかくなる。


「エリウスは、毎日来てくれました」

「私が私であることを忘れないように」


その時。


水晶板の端で黒い針が動いた。

セラの記憶へ向かうように。


ノノがすぐに気づく。

「Cが記憶を見てる」


セラは黒い針を見る。

「分かっています」


「話を止める?」


「いいえ」

セラは静かに首を振った。


「もう、隠しても同じです」


「白峰たちは、エリウスの案内式に気づきました」


その声が、少しだけ強くなる。


「なら、今度は私が」


「エリウスが存在したことを、話します」


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