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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第十七章 消された研究者編

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第二百四十四話 案内人セラ

第244話 案内人セラ



【異世界・王都イルダ/医療棟・治療室・昼】


白峰律の黒い線が、ユナの寝台へ伸びていた。


まっすぐではない。

医療棟の床や壁に刻まれた治癒術式を避け、

ハレルの主鍵から伸びる白い線の隙間を選びながら、ユナの選択反応へ近づいていく。


「ハレル、線を固定しろ!」


匠の声が響く。


ハレルは主鍵を強く握った。

「一ノ瀬ユナは、王都イルダ医療棟にいる」

「今、この身体で治療を受けている」

「記憶の中のユナさんじゃない!」


白い光がユナの身体を囲む。

黒い線は一度止まった。

だが、すぐに形を変える。


細い文字が何本も浮かび上がった。


『弟と帰る』


『弟を守る』


『自宅へ戻る』


『以前の生活へ戻る』


どれも、ユナが望みそうな言葉だった。

だからこそ危険だった。


リオがユナの前へ立つ。

「姉さん、見るな」

「聞こえても選ぶな」

「そいつが出してる言葉は、姉さんの答えじゃない」


ユナのまぶたが小さく震える。

寝台の下の影も反応した。


白峰の声が、白い壁の向こうから聞こえる。


『選ばせないつもりか、匠』


匠は黒い線へ手を向けた。

「お前が並べた答えを選ばせないだけだ」


『本人が望むものを示している』


「望んでいるように見えるものだ」


黒い線と白い線が重なる。

壁に刻まれた治癒術式が、一瞬だけ暗くなった。


イデールがすぐに両手を広げる。


「〈治環・第三級〉!」


青い光が部屋全体へ広がった。

消えかけた術式が戻る。

だが、黒い線は消えない。

むしろ、治癒光の外側を回るように位置を変えた。


ノノの声が通信から聞こえる。

『黒い線、治癒結界の形を読んでる!』

『同じ防ぎ方を繰り返すと、そのたびに避けられる!』


匠の顔が険しくなる。


白峰は、この補助層の原型を知っている。

学生時代、二人で作った層。

匠がどこへ負荷を逃がすか。

どこへ補助線を増やすか。

白峰には予測できる。


「父さん」

ハレルが言う。

「このままじゃ、向こうに全部読まれる」


「ああ」

匠は認めた。

「私の線だけでは駄目だ」


サキのスマホで、reが激しく揺れた。

白い光が画面の中央から飛び出す。

reの補助線は、匠の線とも、白峰の黒い線とも違う方向へ伸びた。


治療室の壁。


天井。


ユナの寝台。


そのどれにも向かわない。


一度、イデールの足元を回り、リオの後ろを通り、何もない空間へ曲がっていく。


ノノが息を呑む。

『また違う線……』

『白峰も予測できてない!』


黒い線がreの補助線を追おうとする。

しかし、reはすぐに方向を変えた。


右へ。


次は左。


さらに大きく戻る。


決まった形がない。

地図にも、術式にもない線だった。


白峰の声が、わずかに低くなる。


『それは何だ』


匠は答えなかった。

答えられない。

reが何者なのか。

なぜCの針や白峰の線を避けられるのか。

匠にも分かっていない。


「re、どこへ繋ごうとしてるの?」

サキが画面へ聞く。


reは答えない。

白い光が、一度だけ強くなる。

だが、線の意味は誰にも読めなかった。

安全な道なのか。

ただ逃げているだけなのか。

ユナへ繋がるのか。

現実側の受け入れ室へ向かうのか。


分からない。


ノノが焦った声を出す。

『線は避けてる』

『でも、このままだと目的地へ届かない!』

『危険な場所は分かっても、どこへ進めばいいかが分からない!』


その時。


ノノの隣で、セラが立ち上がった。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/分析室・同時刻】


水晶板の上を、reの白い線が動いていた。


黒い針を避ける。

記憶の強い場所も避ける。

ユナの選択反応へ近づこうとして、また離れる。


ノノは何枚もの水晶板を開いた。

「何を避けてるのかは分かる」

「でも、どうしてそこで曲がるのかが分からない」


セラは黙って線を見ていた。

白い光が、また一度曲がる。

その瞬間、セラの目が小さく揺れた。


「この曲がり方……」


ノノが振り向く。

「分かるの?」


セラはすぐには答えなかった。

水晶板へ手を伸ばす。

reの白い線へ指先が触れた。


その途端。


セラの周囲に、細い光の文字が浮かび上がった。


王都の現在の術式とは違う。


ノノが使う分析式とも違う。


もっと古い。


文字というより、道の両側へ置かれた目印に近い形。


一つは、安全。


一つは、停止。


一つは、記憶。


一つは、戻れない場所。


ノノは目を見開いた。

「セラ、それ……何の術式?」


「術式ではありません」

セラは静かに答えた。


「案内標識です」


「案内標識?」


「昔、情報層の中で迷わないように使われていたものです」


セラはreの線を指で追う。

「reは、ただ黒い針を避けているのではありません」

「道に残った意味を避けています」


ノノは水晶板を見る。

「意味……」


「ここは、自宅へ戻る記憶」

セラの指が一つ目の曲がり角で止まる。

「ここは、一ノ瀬ユナがクロスゲート社で働いていた頃の記録」

「ここは、リオを置いていったという後悔」

「ここは、弟を守るためなら自分は戻らなくていい、という偽の選択」


reは、それらすべてを避けていた。

黒い線がなくても危険な道。

ユナ自身の記憶から作られた、戻ってはいけない入口。


「reには、それが見えてるの?」

ノノが聞く。


「見えているのだと思います」


「でも、どうしてセラには意味が分かるの」


セラの指が止まった。


ほんの一瞬。

答えることをためらう。


その間にも、黒い線はユナへ近づいている。

匠の補助層も揺れている。

今は隠している場合ではなかった。


「私が、案内人だったからです」


ノノは何も言えなかった。


セラは通信を開く。

『ハレル、聞こえますか』


医療棟から返事が来る。

『聞こえる』


『reの線を、そのまま止めないでください』

『目的地へ向かっていないように見えても、今は止めてはいけません』


匠が聞く。

『線の意味が読めるのか』


セラは少しだけ間を置く。


『はい』


匠の表情が変わった。

驚きではない。

何かを確認したような反応。


『そうか』


短い言葉だった。


だが、その声には、セラが何者なのかを以前から疑っていたような響きがあった。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/医療棟・治療室・昼】


セラの声が続く。


『ハレルは、今のユナさんの場所を固定してください』

『リオは、帰った後のことだけを話してください』

『過去の家や、以前の生活は言葉にしないで』


ハレルは主鍵へ手を添えた。

「一ノ瀬ユナは、今ここにいる」

「王都イルダ医療棟」

「治療室の寝台」

「身体とコアは繋がっている」


リオはユナを見る。

何を言うべきか考える。


家へ帰ろう。

昔のように暮らそう。

その言葉は使えない。

過去ではなく、帰った後。

これからのこと。


「姉さん」


ユナの指先が動く。


「帰ったら、まず身体を診てもらう」

「すぐに全部話さなくてもいい」

「眠かったら寝ればいい」


リオは一度息を吸う。

「元気になったら、俺が聞きたいことを聞く」

「姉さんも、俺に言いたいことを言えばいい」

「その後のことは、それから決めよう」


ユナの青い反応が強くなる。


黒い線は動いた。

だが、近づけない。


リオの言葉に、決められた形がなかったからだ。


自宅。


昔の生活。


元通り。


Cが入口にできる強い記憶がない。

ただ、帰った後に二人で決めるという未来だけがある。


セラがサキへ言う。

『サキは、reの線を追ってください』

『ただし、どこへ行く線なのか決めつけないで』


「決めつけない?」


『はい』

『案内人は、目的地を作りません』

『危険ではない方向を示すだけです』


サキはスマホを両手で持った。


「re」

白い光が揺れる。

「どこへ行くかは、ユナさんが決める」

「だから今は、危なくないところだけ教えて」


reが強く光った。


大きく曲がっていた補助線が、少しずつ形を変える。

まっすぐにはならない。

黒い影を避ける。

自宅の記憶を避ける。

後悔を避ける。

白峰が用意した二つの答えも避ける。


その線が、ユナの指先へ近づいた。


セラの声が静かに響く。

『そのままです』

『その線は帰還線ではありません』

『ユナさんが、自分で帰還線を作るための場所へ案内しています』


匠が白い壁の向こうで手を動かす。

「分かった」


補助層に、新しい空間が作られる。


帰る。


残る。


そのどちらの言葉も置かれていない空間。

まだ何も決まっていない場所。

ユナ本人だけが答えを作れる場所。

匠はその空間を白い線で囲んだ。


「選択の空白を確保した」


ノノの声が上がる。

『黒い影と本人反応、分離してる!』

『完全じゃないけど、間に空白ができた!』


黒い影が激しく揺れた。


白峰の声が響く。

『その案内式を、どこで覚えた』


セラは答えなかった。

代わりに、reの線を読み続ける。


『右へ』

『次は止まってください』

『黒い針が通り過ぎてから、ユナさんの反応へ近づけます』


reが止まる。

黒い針がその前を横切る。

通り過ぎた直後、reの白い線がさらに一歩進んだ。


白峰の声が、今度は少し強くなる。

『答えろ』


匠が言う。

「律、今見るべきものはセラじゃない」


『私はすべてを見る』


「だから、本当に見るべきものを見失った」


黒い線が匠へ向きを変える。

その隙に、reの補助線がユナの指先へ届いた。


ユナの手が、ほんの少し持ち上がる。


青い光。

白い補助線。

その二つが触れた。


黒い影は、寝台の下へ押し戻された。

消えてはいない。

だが、ユナの選択反応から一度離れた。


リオが息を吐く。


「離れた……」


セラは水晶板へ手を置いたまま、静かに言った。

「今だけです」

「また入り込もうとします」


ノノがセラを見る。

「でも、今のはセラがいなかったらできなかった」


セラは目を伏せた。

「reが道を示したからです」

「私は、その意味を読んだだけです」


「それが案内人なんでしょ」


ノノの言葉に、セラは黙った。


◆ ◆ ◆


【どこでもない層/深層】


オルガ・セフィロは、セラが使った光の標識を見つめていた。

冷静だった表情が、初めてわずかに変わる。


ヴァルドも、深層の境界へ触れていた手を止めた。

「古い案内式」


低い声。


オルガが答える。

「ああ」


ジャバは意味が分からないという顔をする。

「何だよ、あれ」


オルガは答えなかった。


白峰律は、セラの姿を拡大して見る。


案内標識。


道の意味。


情報層の中で、存在を正しい場所へ導く技術。


「残っていたのか」

白峰が小さく言う。


カシウスが聞く。

「知っているのか」


白峰ではなく、オルガが答えた。

「技術は知っている」


短い沈黙。


「作った者も」


ヴァルドが低く言う。


「だが、記録には残っていない」


白峰の目が細くなる。

「なら、あの少女が覚えている」


Cはセラを観測する。


「未登録の記憶を確認しました」


オルガの声がわずかに冷たくなる。

「今は触れるな」


Cの黒い針が止まった。


「理由を要求します」


「開けば、案内式だけでは済まない」


オルガはセラの奥にある、閉じられた記憶を見る。


「消したはずの研究まで戻る」


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/分析室・昼】


黒い影が一度離れたことで、医療棟の数値は少し落ち着いていた。


ノノは水晶板を確認してから、セラを見る。

「さっきのこと、聞いてもいい?」


セラはまだreの白い線を見ていた。


「何でしょう」


「案内人だったって話」


セラの指先が止まる。


ノノは慎重に続けた。

「無理に全部話してとは言わない」

「でも、白峰たちがセラの使ったものを知ってるみたいだった」


セラは目を閉じた。

今までなら、まだ話せないと答えていただろう。

記憶を開けば、そこが入口になる。

名前を出せば、Cに読まれる。

だから避けてきた。


だが、もう白峰たちは気づいた。

案内式を使ったことで、隠していた扉は見つかった。


「話す必要があります」

セラは静かに言った。


ノノは黙って待つ。

通信の向こうでは、ハレルたちも聞いている。

匠も、白い壁の向こうでセラの言葉を待っていた。


セラは自分の胸元へ手を置いた。


「私は、最初から今の姿だったわけではありません」


ノノが息を止める。


セラは続けた。


「ずっと昔」


「私は、王都の分析官でも、案内人でもありませんでした」


その声に、わずかな震えが混じる。


「普通の、人間の少女でした」


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