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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第十六章 再起動する門編

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第二百二十九話 別の手順

第229話 別の手順



【現実世界・帰還した学園/仮設通信室・朝】


ハレルは、スマホの画面から目を離せなかった。


父・匠からの返信。


『白峰の門を使うな。』

『Cが乗っている。』

『待て。別の手順を送る。』


それは短い文章だった。


だが、今まで届いたどの言葉よりも重かった。


白峰の門。


その言い方だけで、クロスワールドゲートがただのアプリではないことが分かる。

そして、父はそれを「白峰のもの」と呼んだ。


白峰律。


クロスゲート・テクノロジーズ社の幹部。

父・匠の古い知人かもしれない男。

クロスワールドゲートを作った張本人の一人。


ハレルは、震える指で返信を打った。


『父さん、白峰律を知ってるのか。』


送信。


画面は、しばらく何も返さなかった。


リオは横から、低く聞く。


「返ってくるのか」


「分からない」


ハレルは正直に答えた。


サキは、自分のスマホを胸に抱えていた。

画面の中で、reが細く揺れている。


リオのスマホには、まだクロスワールドゲートの表示が残っていた。


『接続保留』


リオはそれを睨むように見ている。


押さなかった。

罠だと分かった。

それでも、そこに姉の名前が出たことは、消えない。


一ノ瀬ユナ。


名前だけを使われた。

それだけで、リオの胸はまだ乱れていた。


「白峰の門ってことは」


リオが言った。


「あのアプリは、その白峰って奴が作った門なんだな」


ハレルは頷く。


「たぶん」


「じゃあ、姉さんもそこに関わってた」


その言葉に、空気が少し重くなる。


一ノ瀬ユナは、クロスゲート社のエンジニアだった。

クロスワールドゲートの開発に深く関わっていた。


けれど、その先で何が起きたのか。

どこまで知っていたのか。

いつから被害者になったのか。


まだ、誰も知らない。


その時、ハレルのスマホがもう一度震えた。


新しい返信。


『白峰は、昔の友人だった。』


ハレルの呼吸が止まる。


サキが小さく言った。


「お父さんの……友達……」


さらに一行。


『今は違う。』

『説明は後だ。今は門を使うな。』


ハレルは画面を握りしめた。


「父さん……」


文字は、さらに続いた。


『日下部奏一に解析部を送る。』

『ノノ=シュタインに結界部を送る。』

『二つを合わせるまで、誰も起動するな。』


ノノの声が、通信の向こうで跳ねた。


『私にも?』


ほぼ同時に、日下部の声も入った。


『こちらにも着信があります』

『送信元、不明』

『でも、署名が……雲賀匠さんの形式です』


ハレルは顔を上げた。


「父さんが、日下部さんにも送ってる」


リオが低く言う。


「現実側と異世界側に分けたのか」


ノノがすぐに答える。


『たぶんそう』

『一つにまとめたら、Cに読まれる』

『だから、片方だけでは意味がない形にしてる』


サキのスマホで、reが小さく光った。


reは、ハレルのスマホと、通信画面のノノの表示と、

日下部の解析端末を結ぶように、細い白い点を三つ並べた。


サキは息を呑む。


「reが……反応してる」


ハレルはその光を見る。


今度のreは、嫌がっていない。


警戒はしている。

けれど、さっきクロスワールドゲートを見た時のような激しい震えではない。


「これは、危ない道じゃないのか」


ハレルが聞く。


ノノは少しだけ間を置いて答えた。


『まだ分からない』

『でも、Cの針は薄い』

『さっきのアプリとは違う』


リオは、机の上のスマホを見た。


接続保留。


その黒い画面は、まだこちらを見ているようだった。


◆ ◆ ◆


【現実世界・オルタリンクタワー/南東サービス導線跡・朝】


日下部の端末に、暗号化されたデータが届いていた。

通常のファイルではない。


拡張子もない。

ファイル名もない。

ただ、淡い緑の線で囲まれた小さな塊が、画面の中央に浮かんでいる。


日下部はすぐに解析を始めた。


「これは……プログラムじゃない」


木崎が横から覗き込む。


「じゃあ何だ」


「プログラムの形をした、手順書です」


「分かりやすく言え」


「実行するものじゃなくて、読むものです」

日下部は画面を見たまま言う。

「起動させた瞬間に動くコードではない」

「人間が内容を理解し、必要なところだけを組み直す形式になっています」


城ヶ峰が目を細める。


「Cに自動解析されないようにしているのか」


「はい」

日下部は頷く。

「Cがプログラムとして読もうとすると、意味が欠ける」

「人間が文脈で補わないと完成しない」


佐伯の声が通信越しに入る。


『反記録に近いですね』


日下部はすぐに反応した。

「はい」

「でも、もっと複雑です」

「通常のコード、観測ログ、境界補正、全部が混ざっている」

「白峰律のオリジナル言語を前提にしながら、それに対抗するために書かれている」


村瀬が聞く。

『白峰律の言語を、雲賀匠さんが読めたということですか』


日下部は画面を見つめたまま言った。

「読めた、というより……」

「白峰さんと同じところから始めて、別の方向へ進んだ感じです」


木崎が低く呟く。

「元友人、か」


「……しかし、匠のやつ」


城ヶ峰が目だけを向ける。

「何だ」


「白峰律なんて名前、俺は一度も聞いてねえ」


木崎は、端末に表示された文字を睨む。


「同じ事件を追って、同じ業界の裏側を嗅ぎ回ってた」

「少なくとも俺は、あいつの協力者のつもりだった」

「なのに、学生時代からの友人がクロスゲートの中枢にいたなんて話、俺には一言もしてねえ」


日下部は手を止めずに聞いていた。


城ヶ峰は短く言う。

「話せなかったのかもしれない」


木崎は鼻で笑った。

「便利な言い方だな」


「あるいは、話せば君も巻き込むと判断した」


木崎は返事をしなかった。


それが匠らしいと言えば、匠らしい。

だが、納得できるかは別だった。


「……だったら今さら巻き込むなって話だ」


そう言いながらも、木崎はカメラを下ろさなかった。

怒っている。

だが、降りる気はない。


城ヶ峰が聞いた。

「日下部、何が必要だ」


日下部は端末に表示された内容を確認する。


「現実側で必要なのは三つです」

「一つ、クロスワールドゲート本体を使わないこと」

「二つ、白峰の門が使っている残存入口を直接開かないこと」

「三つ、ノノさん側の結界部と同期するまで、どの端末も接続確定させないこと」


木崎が顔をしかめる。

「簡単に言うと、待てってことだな」


「はい」

日下部は頷いた。

「でも、待つだけでは止まりません」

「別の仮設門を作る必要があります」


城ヶ峰が短く言った。


「匠の門か」


日下部は少しだけ首を振る。


「まだ門ではありません」

「門になる前の、手順です」


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/分析室・朝】


ノノの水晶板にも、データが届いていた。


現実側の文字ではない。

王国語でもない。

だが、ノノには読める部分があった。


結界の向き。

戻り線。

入口ではない場所を、入口として固定しないための条件。

人の名前と器と場所を、別々に確認するための手順。


ノノは、画面に顔を近づけた。


「すごい……」


セラが静かに聞く。


「読めますか」


「全部は無理」

ノノは答えた。

「でも、意図は分かる」

「これは、クロスワールドゲートみたいに“開ける”手順じゃない」

「間違った入口を、入口として確定させないための手順」


セラは、少しだけ目を伏せた。


「白峰律は、入口を作った」

「雲賀匠は、入口に騙されない方法を作ったのですね」


「たぶん」


ノノは表示を切り替える。


そこには、三つの単語が並んでいた。


「名前」

「器」

「場所」


ノノはその三つを見て、息を止めた。

「やっぱり、ユナさんを戻す時にも必要になる」


セラが言う。

「一ノ瀬ユナを戻すには、その三つが揃わなければならない」


「うん」

ノノは頷いた。

「名前だけじゃ駄目」

「器だけでも駄目」

「場所だけでも駄目」

「三つを別々に確認して、それから重ねる」


サキから聞こえたreの反応。

リオの画面に出たユナの名前。

Cが仕掛けた罠。


それらが、急に一つの線で繋がる。


Cは、名前だけでリオを釣ろうとした。

匠の手順は、それを否定している。


名前だけでは、人ではない。


ノノは、強く息を吸った。


「これなら、リオを守れる」

「ユナさんも、名前だけで奪われずに済むかもしれない」


セラは小さく頷いた。


だが、その表情は明るくなかった。


「問題は、Cもそれを見るということです」


ノノの手が止まる。


「……うん」


画面の端に、黒い針が一瞬だけ浮かんだ。


すぐに消えた。


Cが読もうとしている。


読めないはずの手順を、観測しようとしている。


◆ ◆ ◆


【異世界・オルタ・スパイア入口前・朝】


アデルたちは、まだ扉の前にいた。


開けてはいない。

壊してもいない。


ノノに言われた通り、扉の表面、床、周囲の結界線を記録していた。


王国術師が、薄い光の板へ術式の残りを写し取っている。

ヴェルニは少し離れた場所で、塔の周囲を見張っていた。


「動きがないってのが一番気持ち悪いな」


ヴェルニが言う。


アデルは扉から目を離さずに答えた。


「動かないように見せているだけかもしれない」


左手首の副鍵は、さっきから微かに震えていた。


強い反応ではない。

だが、完全な沈黙でもない。


扉の表面には、白と黒の細い線が残っている。

開く線ではない。

閉じた線でもない。


閉じた後に、さらに「ここは入口ではない」と上書きした線。


アデルは低く言った。


「ノノ」


『聞こえてる』


「閉じ目は一つではない」

「表面の術式は、扉を消した跡だ」

「だが、その下に別の層がある」


『別の層?』


「これは、入口を消した後に、誰かが再び触った跡だ」


通信の向こうで、ノノが息を呑む。


『C……』


「おそらくな」


ヴェルニがこちらを見た。

「つまり、ヴァルドが消して、Cが上からいじってるってことか」


アデルは頷いた。

「だから、今ここを壊せば、ヴァルドの閉じ目も、Cの針も、両方見失う」


ヴェルニは苦い顔で息を吐いた。

「殴らない理由が増えたな」


「そういうことだ」


アデルは扉に手を伸ばさない。

見るだけ。

読むだけ。

そして、必要な情報だけをノノへ送る。


かつてここは、オルタリンクタワーの地下と重なっていた。

ならば、この扉の消し方にも、現実側の門を閉じた手順が残っているはずだった。


◆ ◆ ◆


【異世界・旧石造建物跡/地上部・朝】


石造建物でも、調査は続いていた。


ダミエは、地下階段があったはずの石壁の前に座り込んでいる。

眠っているようにも見える姿勢だが、意識は壁の奥へ向いていた。


ミレイは水晶板を抱え、壁に浮かんでは消える細い線を記録している。


「……また出ました」


水晶板に、白い線が一瞬だけ焼き付く。


ミレイはすぐに拡大した。


「一つ目は、消失処理」

「二つ目は、上書き」

「そして、三つ目に……別の針があります」


ダミエが短く聞く。


「C?」


「断定はできません」

ミレイは慎重に答える。

「でも、ノノ主任が送ってきたC反応と近いです」


王都軍の隊長が壁を見た。

「なら、この壁を壊せば針も消せるのではないか」


ダミエは、ゆっくり首を横に振った。

「壊すと、分からなくなる」


「分からなくなる?」


「誰が先で、誰が後か」

ダミエは言った。

「ヴァルドが消した。Cが触った。たぶん、順番が大事」


ミレイは小さく頷いた。

「はい」

「この石壁は、ただの封鎖ではありません」

「消した手順そのものが、次の門の材料にされかけています」


ダミエは壁を見る。


そこに階段はない。

でも、かつて階段だったという記憶だけは、まだ完全には消えていない。


「ここも、門に戻されるかもしれない」


ミレイの顔が強張る。


「はい」

「ただし、戻る先が元の地下とは限りません」


ダミエは小さく息を吐いた。

「じゃあ、見張る」

「開きそうになったら、止める」


王都軍の隊長が頷く。

「探索班を二班に分ける」

「一班は周辺調査。もう一班はこの壁を監視」

「術師は記録を優先。破壊は許可が出るまで行わない」


ミレイはすぐに水晶板を操作した。

「ノノ主任へ送ります」

「石造建物側、消失手順とC反応の重なりを確認、と」


ダミエは、壁の前から動かなかった。


そこに何もないように見える。

けれど、何もない場所ほど、今は危険だった。


◆ ◆ ◆


【現実世界・市内各所/同時刻】


警告は、遅れて届き始めた。


テレビ速報。

スマホ通知。

自治体の防災アプリ。

駅構内の放送。

避難所の掲示。


「クロスワールドゲートが起動しても操作しないでください。」

「表示された名前に反応しないでください。」

「端末を破壊せず、画面を伏せて管理者へ渡してください。」


だが、すべての人に間に合うわけではない。


ある避難所で、中年の女性がスマホを見て泣いていた。


画面には、亡くなった息子の名前が表示されている。


『接続候補を検出』

『戻りたいですか?』


女性の指が震える。


「嘘……」


隣にいた職員が気づき、慌てて声をかける。


「触らないでください!」


女性は泣きながら首を振る。


「でも、名前が……」

「息子の名前が……」


職員はスマホを奪おうとはしなかった。


奪えば、反応が強くなるかもしれないと通達にあったからだ。


代わりに、ゆっくり言う。


「名前だけです」

「そこに、本人がいるとは限りません」


女性の指が、画面の上で止まる。


同じことが、別の場所でも起きていた。


会いたい名前。

戻したい人。

失ったもの。


クロスワールドゲートは、人の一番弱い場所を探していた。


◆ ◆ ◆


【現実世界・帰還した学園/仮設通信室・朝】


ハレルのスマホに、さらに短いメッセージが届いた。


『日下部に任せろ。』

『ノノに任せろ。』

『お前たちは、白峰の門を見ないこと。』


ハレルはその文章を読んだ。


見ないこと。


それは、ただ画面を見るなという意味ではない。


信じるな。

反応するな。

名前だけで確定するな。


リオは横で、机の上のスマホを見ていた。


『接続保留』


まだ消えていない。


ハレルは言った。


「リオ」


リオは顔を上げる。


「父さんが言ってる」

「白峰の門を見るなって」


リオはしばらく黙っていた。


そして、自分のスマホを裏返した。


画面が机に伏せられる。


それだけの動作なのに、リオの肩から少し力が抜けた。


「……見ない」

リオは低く言った。

「姉さんの名前を、あいつらの餌にさせない」


サキは、その言葉を聞いて小さく頷いた。


reが、サキの画面で少しだけ明るくなる。


ハレルは父へ返信を打つ。


『分かった。』

『でも父さん、どこにいる。』


送信。


今度は、すぐに返事が来なかった。


代わりに、日下部とノノの解析画面が、同時に点滅した。


二つの場所に届いた別々の手順。

まだ完成していない門。

Cの乗った白峰の門とは別の道。


ノノの声が通信に入る。

『ハレル』

『これ、すぐには使えない』

『でも、作れる』

『Cの門じゃない道を』


日下部も続けた。

『現実側の処理はこちらで組みます』

『ただし、異世界側の結界部と完全に合わせる必要があります』

『少しでもずれたら、Cに横取りされます』


城ヶ峰の声が入る。

『必要なものを言え』


ノノは、息を吸った。

『時間』

『静かな場所』

『ユナさんの正しい反応』

『そして、reの補助線』


サキは、自分のスマホを見た。


reは、画面の中央でゆっくり揺れていた。


小さな光。


名になりきっていない名。

けれど、Cの針を見ることができるもの。


ハレルは、静かに頷いた。


「じゃあ、作ろう」


リオも顔を上げる。


「姉さんを、本当に戻すための道を」


◆ ◆ ◆


【どこでもない層/深層】


Cは、二つに分かれた手順を見ていた。


現実側。

異世界側。


片方だけでは意味を持たない。

合わせなければ、門にならない。


人間が読まなければ、完成しない。


Cは、それを静かに観測した。


ジャバが言う。

「読めねえのか」


「読めます」


「じゃあ、奪えよ」


「まだ奪えません」


Cは答えた。


「これは、読むものではなく、合わせるものです」

「合わせる瞬間に、意味が生まれる」


ジャバが不満そうに舌打ちした。

「面倒くせえな」


「はい」


Cは、ハレルたちの通信を見た。


リオがスマホを伏せる。

ハレルが父の手順を待つ。

サキのそばでreが揺れる。

ノノと日下部が、それぞれの半分を読み始める。


その時、奥から静かな声がした。


「三人の名が、向こうへ渡ったようだな」


カシウスだった。


ジャバが振り返る。


「白峰だの、オルガだの、ヴァルドだのってやつか」


カシウスは微笑んだ。


「ああ」


「いいのかよ。知られたんだろ」


カシウスは少しも慌てていなかった。


「いずれ知られることだ」

「時間の問題だ」


Cは、カシウスの方を見ないまま言った。


「想定内ですか」


「完全に、とは言わんよ」

カシウスは穏やかに答える。

「だが、隠し続ける段階は終わっている」

「名が表に出れば、彼らは調べる」

「調べれば、門へ近づく」

「門へ近づけば、こちらも観測できる」


ジャバは鼻を鳴らす。

「結局、餌かよ」


「餌ではない」

カシウスは静かに言う。

「道標」


Cの黒い針が、ゆっくりと回った。


「では、合わせる瞬間を待ちましょう」


カシウスは頷いた。


「ああ」

「雲賀匠が別の手順を出すなら、それもまた、観測に値する」


深層の暗がりで、閉じた門の輪郭がかすかに光った。


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