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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第十二章 光影反転編

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第百八十話 混界

第180話 混界



【現実世界・駅周辺対応点/規制区域内・朝】


駅前の輪郭は、これまでで一番はっきりしていた。


ロータリーの白線が、ほとんど途切れずに見える。

バス停の標識も、文字の一部が読める。

駅舎の柱は、半透明ではあるものの、確かに“そこに立っている”ように見えた。


避難者たちの間に、抑えきれないざわめきが広がる。


「見える」

「駅だ」

「あれ、本当に駅だよ」


警官たちは必死に声を張っていた。


「前へ出ないでください!」

「安全確認中です!」

「戻すための作業を続けています!」


“戻すために、今やっている”。


その言葉は、人々を踏みとどまらせていた。

不安はある。

怖さもある。

だが、それ以上に、希望がそこにあった。


木崎は規制線の内側で、カメラを構えながら駅前を見ていた。


前より良い。

確かに、良い方向へ動いている。


だが、胸の奥の嫌な感覚だけは消えなかった。


「……良すぎるな」


隣の隊員が聞く。


「何がですか」


「戻り方が、少し急に見える」


そう言った直後だった。


駅前ロータリーの白線が、ふっと濃くなった。


一瞬、現実の舗装が完全に戻ったように見えた。

避難者の間から歓声に近い声が上がる。


だが、その次の瞬間。


現実の白線の上に、異世界の石畳の割れ目が重なった。


白い道路線。

灰色の舗装。

その下から、茶色い石畳が透ける。

透けるだけではない。

石の模様が、舗装の表面へ浮き上がってくる。


「……何だ」


木崎が低く言った。


駅舎の柱の横に、見覚えのない石造りの柱が重なった。

ロータリーの向こうに、

王都イルダの建物に似た尖塔の影が、ほんの数秒だけ立ち上がる。

バス停の屋根の向こうに、異世界の木組みの看板が揺れた。


戻っているのではない。


混ざっている。


「下がれ!」

木崎が叫んだ。

「全員、規制線をもう一段下げろ!」


その声に、警官たちが動く。

だが、人々は駅前の変化に目を奪われていた。


「戻ったんじゃないの?」

「違うのか?」

「何でまた変なものが――」


その群衆の中で、一人の駅員が顔を上げた。


そして、同じ声で言った。


「こちらへお進みください」


木崎の目が鋭くなる。


さっきまでの案内とは違う。

進ませるなと言っていたはずだ。

それなのに、その駅員は柔らかい声で、避難者へ向かって手を差し出している。


「こちらへお進みください」

「駅は開いています」

「こちらへお進みください」


その言葉につられて、前へ出かける人がいた。


「止めろ!」


警官が駆け寄る。


だが、別の警官がその前へ立った。


「順番に進んでください」


その警官の目は普通だった。

顔も人間のままだ。

でも声が違う。

人を守るための声ではなく、決められた役割だけが勝手に喋っている声だった。


木崎はカメラを下ろし、叫んだ。


「名前を呼べ!」

「役割で喋ってる奴を止めろ!」

「駅員、警官、係員、全部だ!」


◆ ◆ ◆


【異世界・駅周辺/臨時防衛線・朝】


異世界側でも、同じ異変が起きていた。


石畳の上に浮かんでいた現実の白線が、急に濃くなる。

兵士たちの前に、現実のロータリーの影が広がる。

異世界の木組みの柵の向こうに、現実の改札口が見えた。


「成功したのか?」


若い兵士が声を漏らした。


だが次の瞬間、改札口の影の上に、王都の石門が重なった。


二つの構造物が同じ場所に立とうとして、ぐにゃりとねじれる。

現実の自動改札の金属光沢。

異世界の石門の重い影。

その両方が、同時に存在しようとしている。


術師が叫んだ。


「光路が膨らんでる!」

「広げてないのに、周囲が勝手に近づいてる!」


指揮兵が怒鳴る。


「光具を守れ!」

「避難者を下げろ!」

「前へ出るな!」


だが、その声に重なるように、別の兵士が言った。


「進め」

「道が開いた」

「進め」


周囲の兵士たちが一斉に振り向く。


その兵士の顔は普通だった。

汗もかいている。

手も震えている。

だが、口だけが命令を繰り返していた。


「進め」

「道が開いた」

「進め」


同僚がその肩を掴む。


「ミルド! お前、妹は何歳だ!」


兵士の口が止まる。


「……11」


「下がれ!」


その兵士は、はっとしたように自分の口を押さえた。


だが、次は別の場所から声が上がった。


「進め」

「待機しろ」

「整列しろ」

「通せ」


命令が増えていく。


正しい命令。

間違った命令。

半分だけ正しい命令。

それらが、人の口を借りて、あちこちから生まれていく。


そして、光路の外側に、人型の黒い影が薄く立ち始めた。


まだ完全な姿ではない。

だが、警官の帽子に似た影。

駅員の制服に似た影。

兵士の鎧に似た影。

役割だけをかぶったような黒い人影が、群衆の端にゆっくり増えていく。


指揮兵は青ざめながら叫んだ。


「名前を呼べ!」

「命令だけを繰り返す者を下げろ!」

「光具の線を踏ませるな!」


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/体育館脇・朝】


ハレルの手の中で、主鍵が激しく震えた。


「っ……!」


これまでの震えとは違う。

細い光路が、急に何本にも裂けて、手の中で暴れ始めるような感覚だった。


ノノの声がイヤーカフから飛び込む。


『駅周辺、混線拡大!』

『広げてないのに、現実側と異世界側の輪郭が重なり始めてる!』

『人流ノイズ、急増!』


リオの右腕の副鍵も光を乱していた。


「勝手に引っ張られてる……!」


ダミエが結界を強める。


「ハレル、押すな!」

「引き戻すな!」

「ここで力を入れると、余計に広がる!」


ハレルは歯を食いしばった。


分かっている。

分かっているのに、手の中の主鍵が駅周辺の悲鳴を拾っている気がする。

押さえたい。

助けたい。

だが、力を入れれば壊れる。


「ノノ!」

サキが叫ぶ。

「どうすればいいの!」


『今、解析してる!』

『第一層と第二層はまだ生きてる!

第三層が引っ張られてる!』


その時、箱の中のレアがぽつりと言った。


「……早かったね」


ハレルが睨む。


「知ってたのか!」


「ここまでとは知らない」

レアは答えた。

「でも、光がきれいに通ると、外側の影も通り道を見つける」

「だから言ったでしょ。光の外側が濃いって」


リオが一歩前へ出る。


「ふざけるな。止め方を言え」


レアは、初めて少しだけ真顔になった。


「止めるなら、光路を太くしちゃだめ」

「太くすると影も一緒に乗る」

「細く絞って、どこを戻すか決めるしかない」


「どこを戻すか……?」


サキが呟く。


レアは静かに言った。


「全部を戻そうとすると、全部が混ざる」


その一言が、体育館の空気を凍らせた。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・朝】


ノノの端末には、赤い警告が一斉に出ていた。


《STATION AREA / OVERLAP INCREASE》

《ROLE NOISE / MULTIPLE》

《THIRD LAYER / PULLED OUTWARD》

《CIVILIAN FLOW / UNSTABLE》


「なんで……!」


ノノは画面を睨む。


「広げてないのに、なんで周囲が勝手に広がるの!」


セラが隣で、流れを見ていた。


「希望で人が集まった」

「人が集まれば、役割も集まります」

「駅員、警官、兵士、避難者」

「光路が通ったことで、“戻る場所”として駅が強く見えすぎたんです」


「それだけで、こんなに……?」


セラは表情を硬くする。


「それだけではありません」

「誰かが、そこへ影を乗せています」


ノノの指が止まった。


「パイソン……?」


セラは答えない。

だが、否定もしなかった。


ノノはすぐに全体回線を開く。


『全班へ!』

『駅周辺、混線拡大!』

『光路は切らない! でも広げない!』

『人を前へ出さない!』

『役割ノイズ、複数発生! 名前確認を徹底!』


アデルの声が割り込む。


『北西にも揺れが来た』

『こちらの獣影も動き出している』


ノノの顔が強張る。


「今なの……?」


『ああ』

アデルの声は冷静だった。

『向こうも、この揺れを見ている』


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/北西区画・朝】


北西区画の奥で、黒い獣影が一斉に顔を上げた。


猪型。

狼型。

牛型に似た黒い塊。

それらの背中から、細い文字列が浮かび上がる。


ヴェルニが舌打ちした。


「おいおい、休憩終わりかよ!」


アデルは左腕の副鍵を押さえながら、前へ出た。


第三層が駅周辺へ引っ張られている。

その負荷が、アデルの副鍵にも来ていた。

腕の奥が焼けるように痛む。


イデールが叫ぶ。


「アデル、無理に支えすぎないで!」


「支えなければ駅が崩れる!」


「倒れたら北西が崩れる!」


その言葉に、アデルは一瞬だけ歯を食いしばった。


正しい。

どちらも正しい。


ヴェルニが前に出る。


「だったら、前は俺が押す!」

「お前は腕を保て!」


「ヴェルニ!」


「いいからやれ!」


黒い獣影が突進する。


ヴェルニは両手に炎と風を巻いた。


「〈爆風・第四級〉――『押し返せ!』」


轟音が北西区画に響く。

だが、獣影は完全には止まらない。

駅周辺の混線に呼応するように、その輪郭も前より濃くなっていた。


アデルは副鍵の光を細く絞る。


広げない。

太くしない。

細く、支える。


それが今、自分にできることだった。


◆ ◆ ◆


【現実世界・駅周辺対応点/規制区域内・朝】


現実側の駅前では、混乱が一気に広がっていた。


「こちらへお進みください」


駅員の声。


「この位置を保ってください」


警官の声。


「安全です」


係員の声。


「危険です」


別の係員の声。


真逆の言葉が、同じような調子で飛び交う。


避難者たちは戸惑い、押し合いそうになる。

そこへ本物の警官が必死に割って入る。


「名前を呼んで確認しろ!」

「同じ言葉を繰り返す者は下げろ!」

「前へ出すな!」


木崎はカメラを構えながら、人の波の奥を見た。


そこに、黒い人影がいた。


完全な実体ではない。

だが、駅員の制服の形をしている。

顔は黒く塗りつぶされ、胸元に名札のような白い四角だけが浮かんでいる。


その影は、人々へ向かって手を伸ばした。


「こちらへ」


木崎は叫ぶ。


「そこだ!」

「駅員の形をした影! 群衆の左!」


警官が駆け寄る。

だが、影は人混みの中へ溶けるように薄くなる。


そして別の場所で、警官の帽子をかぶった影が現れた。


「整列してください」


その声に反応して、避難者が列を作ろうとする。


木崎は歯を食いしばる。


「役割で人を動かしてる……!」


ラストのように建物を錆びさせるのではない。

ジャバのように力で押すのでもない。

今起きているのは、人の群れそのものを動かす攻撃だった。


◆ ◆ ◆


【どこでもない層/薄い演算空間】


パイソンは、白い配置図を見下ろしていた。


駅周辺の光は強い。

その周囲に、人の流れが生まれている。

警官。

駅員。

兵士。

避難者。

教師。

係員。


役割の線が、光の周囲に次々と集まっていく。


その間に、黒い点が増える。


パイソンは静かに言った。


「いい」


焦ってはいない。

勝ち誇ってもいない。

ただ、盤面が想定通りに動き始めたことを確認しているだけだった。


「光を太くしようとすれば、影も乗る」

「光を切れば、希望が落ちる」

「細く保てば、人の流れが歪む」


彼は、駅周辺の一点を指先で軽く叩いた。


黒い点が、いくつか線になった。


「さて」

「どこを守りますか」


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/体育館脇・朝】


ハレルは主鍵を握りしめていた。


全部を戻したい。

駅周辺を助けたい。

人々を帰したい。


だが、今それを願って強く押せば、影も一緒に広がる。


リオが叫ぶ。


「ハレル、迷うな!」


「分かってる!」


「分かってない顔だ!」


その言葉に、ハレルは一瞬だけ息を止めた。


そうだ。

迷っている。


全部を戻したい。

でも全部を戻そうとしたら、全部が混ざる。


サキが紙を握りしめて言った。


「ハレル」

「今は、駅全部じゃなくていい」

「人がいる場所を守ろう」


その言葉に、ハレルの目が動く。


駅全体ではない。

戻すべき場所全部ではない。

まず、人がいる場所。

避難者が押し寄せそうな導線。

光具の周囲。

現実側の規制線。


ハレルは主鍵の熱を、ぎゅっと細く絞るように意識した。


「ノノ!」

「範囲を絞る!」

「駅全体じゃない。人がいる導線だけを支える!」


ノノの声がすぐ返る。


『了解!』

『現実側、異世界側、駅周辺の人流中心へ光路を再設定!』

『広げない。絞る!』


リオが副鍵を合わせる。


「右側を支える!」


遠く北西で、アデルの声が入った。


『左側は私が薄く支える!』


ダミエが叫ぶ。


「箱の外側も揺れるぞ!」


レアは、箱の中でじっとハレルを見ていた。


「……選んだね」


ハレルは答えなかった。


選ぶしかなかった。


全部ではなく、今守るべき場所を。


◆ ◆ ◆


駅周辺は、戻り始めた。


そして、その希望の中へ影が混じった。


警官の声。

駅員の案内。

兵士の命令。

人を守るための役割が、人から少しずつ離れ、黒い影をまとい始めている。


光路はまだ切れていない。

だが、太くすれば影も乗る。

切れば希望が消える。

だから、ハレルたちは初めて選ばなければならなかった。


全部ではない。


まず、今そこにいる人を守る。


その細い選択の上で、光路はもう一度、形を変え始めた。


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