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異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―  作者: 橘靖竜
第十二章 光影反転編

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第百七十九話 役割のノイズ

第179話 役割のノイズ



【現実世界・駅周辺対応点/規制区域内・朝】


駅前の希望は、静かに広がっていた。


駅名標の文字が、また少し読める。

バス停の標識も、輪郭を保つ時間が長くなった。

駅舎の柱は、薄く揺れながらもそこに立っている。


人々は規制線の後ろで、それを見つめていた。


「戻すために、今やっています!」


警官たちは何度もそう言った。


その言葉は効いていた。

避難者たちは前へ出たい気持ちを抑え、隣の人にも「待とう」と声をかけている。


だが、木崎はその中に混じる小さな乱れを見逃せなかった。


駅員の一人が、同じ動作を繰り返している。


右手を上げる。

二歩下がる。

振り返る。

同じ言葉を言う。


「こちらには進まないでください」

「安全確認中です」

「こちらには進まないでください」


三回。

四回。

五回。


疲れているだけにも見える。

混乱の中で同じ案内を繰り返しているだけにも見える。


だが、間が揃いすぎていた。


木崎はカメラを向ける。


レンズの中で、その駅員の顔が大きく映る。

汗。

疲労。

乱れた髪。

人間の顔だ。


しかし、目だけがほんの一瞬、遅れた。


顔は右を向いたのに、視線だけがわずかに遅れてついてくる。

まるで、外側の顔と中の何かの反応がずれているみたいに。


「……今の」


木崎が呟いた。


隣の隊員が聞く。


「何か見えましたか」


「分からん」

木崎は答えた。

「でも、あいつだけじゃないかもしれない」


その言葉が終わる前に、別の場所で警官の声が響いた。


「この位置を保ってください!」

「この位置を保ってください!」

「この位置を保ってください!」


木崎はそちらを見る。


若い警官だった。

緊張で声が硬くなっているようにも見える。

だが、言い方が同じすぎる。


避難者の一人が、その警官へ不安そうに言う。


「ここにいれば大丈夫なんですか」


警官はすぐに答えた。


「この位置を保ってください」


「いや、そうじゃなくて――」


「この位置を保ってください」


会話になっていない。


その瞬間、木崎の背中に冷たいものが走った。


敵だ、と断定できるほどではない。

だが、人の動きではない。


木崎はすぐに通信を入れた。


「駅周辺、誘導員の動きに違和感」

「同じ言葉の繰り返し。視線の遅れ。

まだ敵とは切れないが、記録しろ」


返ってきた城ヶ峰の声は短い。


『現場を止めるな』

『ただし、同じ発話を繰り返す者は交代させろ』

『理由は疲労扱いでいい』


「了解」


木崎はカメラを下ろさなかった。


人に混じっている。

だが、黒い影として現れているわけではない。

ラストのように顔を切れる相手でもない。


もっと面倒だ。


人が、人の役割のまま、少しずつずれている。


◆ ◆ ◆


【現実世界・湾岸方面/資材ヤード・朝】


日下部の端末にも、駅周辺からの報告が届いていた。


《同一発話反復》

《視線追従遅延》

《誘導員交代指示》

《人流ノイズ増加》


佐伯がそれを見て、眉を寄せる。


「これ、ラストとは違いますよね」


「違うと思います」

日下部が答える。

「錆や腐食の反応は出ていない。

金属でも設備でもなく、人の行動パターンに乱れが出ています」


村瀬が小さく言う。


「行動パターン……」


「役割のノイズ、かもしれません」

日下部は画面を切り替えた。

「駅員は駅員らしく、警官は警官らしく動いている。

でも、少しだけ人間の反応からずれてる」


木崎の通信が入る。


『言葉は正しい』

『だから逆に気づきにくい』

『“危ないこと”は言ってない。

ただ、人を動かす言葉だけが空回りしてる』


城ヶ峰が低く言う。


「つまり、命令系統に紛れている」


日下部は頷いた。


「はい」

「今はまだ小さいですが、もしこれが増えると、避難誘導そのものが信用できなくなります」


その一言で、資材ヤードの空気が重くなった。


ラストは設備を壊した。

だが今起きているのは、設備ではない。


人の役割。

現場を動かす声。

誘導する立場。


そこに小さな歪みが混じっている。


「駅周辺の指示系統を一本化する」

城ヶ峰が言った。

「現場判断を減らす。同じ文言を繰り返す者は交代。

目視だけで判断するな」


日下部がすぐに入力する。


《駅周辺:指示系統一本化》

《反復発話者:疲労扱いで交代》

《役割異常の可能性》

《光路維持継続》


村瀬が不安そうに聞く。


「これ、試行は止めないんですか」


日下部は少しだけ黙った。


止めたい。

そう思う自分がいる。

けれど、今止めれば光路の安定が失われる。

駅周辺の輪郭も、また揺れ戻るかもしれない。


「止めません」

日下部は言った。

「ただ、広げない」

「今の範囲を保ったまま、人の動きだけを締めます」


城ヶ峰が頷いた。


「それでいい」


木崎の声が、もう一度入る。


『分かった』

『こっちは人を見る。

そっちは線を見ろ』


◆ ◆ ◆


【異世界・駅周辺/臨時防衛線・朝】


異世界側でも、似た異変が起き始めていた。


最初に気づいたのは、若い術師だった。


光具の外側にいる兵士の一人が、同じ言葉を繰り返している。


「その場で待て」

「その場で待て」

「その場で待て」


命令としては正しい。

避難者を抑えるために必要な言葉だ。


だが、その兵士は避難者が何を言っても、同じ言葉しか返さなかった。


「子どもが水を――」


「その場で待て」


「具合が悪い人がいるんです」


「その場で待て」


「少しだけ後ろへ――」


「その場で待て」


近くの別の兵士が、さすがに声をかける。


「おい、聞け。水の話だ」


その兵士は振り向いた。


顔は普通だ。

黒い影もない。

目も人間のままだ。


だが、口だけが先に動いた。


「その場で待て」


言い終えてから、本人が少しだけ戸惑ったような顔をした。


「……あれ」


その瞬間、周囲の空気が変わった。


完全に乗っ取られているわけではない。

本人も自分の違和感に気づいている。

だからこそ、余計に気持ち悪い。


指揮兵がすぐに判断した。


「交代」

「疲労だ。下がれ」


「自分はまだ――」


「下がれ」


強く言われ、兵士はようやく後退した。


だが、下がる途中でその兵士は、自分の手を見つめていた。


「今、何を言った……?」


その声は、本当に本人のものだった。


光具のそばの術師が、低く言う。


「影というより、言葉が引っ張られている」


指揮兵が聞き返す。


「どういう意味だ」


「分かりません」

術師は答える。

「でも、役目の言葉だけが先に出ている感じです」


その時、ノノからの通信が入る。


『駅周辺、現実側でも同じような乱れ』

『同じ言葉の繰り返し。役割のずれ』

『今は疲労扱いで交代させて。

敵だと騒がないで』


指揮兵は短く答えた。


「了解」


そして、周囲の兵たちへ声を低く落として命じる。


「同じ言葉を繰り返す者は下げろ」

「理由は疲労でいい」

「避難者の前で騒ぐな」


兵たちは頷いた。


光路はまだ通っている。

駅前の輪郭も戻り続けている。

だからこそ、この小さな違和感を大きな混乱へ変えてはいけなかった。


◆ ◆ ◆


【異世界・転移した学園/体育館脇・朝】


学園では、ノノからの報告を聞いたサキが、顔を曇らせていた。


「人の役割が、ずれてる……」


ハレルも主鍵を握ったまま、眉を寄せる。


「前の片鱗と同じか?」


『似てるけど、まだ違う』

ノノの声が返る。

『今のところ完全に乗っ取られてるわけじゃない』

『本人の意識も残ってるっぽい。

でも、役割の言葉だけが勝手に強く出てる』


リオが低く言う。


「厄介だな」

「敵か味方かで切れない」


ダミエがレアの箱を見ながら言う。


「だから顔で見てはいけない」


レアが、箱の中で静かに笑った。


「そうそう」

「顔より、言葉」

「言葉より、間」


サキがレアを見る。


「間?」


「うん」

レアは膝を抱えたまま言う。

「本物の人間は、ちょっと迷う」

「同じことを言っても、相手の顔を見て、少し言い方を変える」

「でも役割だけになると、変えない」

「正しい言葉を、正しいまま繰り返す」


ハレルはその言葉を聞きながら、前に見た片鱗を思い出していた。


兵士の姿で、兵士らしい言葉を使い、治療所の裏へ入り込もうとしたもの。

あれはもっとはっきりしていた。

今はもっと薄い。

薄いから、見えにくい。


サキがレアに聞く。


「これも、あなたみたいなものなの?」


レアは一瞬だけ黙った。


「私みたい、とは違うかな」

「でも、材料は近いと思う」

「人の顔、声、役割。

それを少しだけ引っ張る」

「引っ張られた人は、自分の仕事をしてるつもりで動く」


「じゃあ、どう止めるの」


サキが聞くと、レアは少しだけ首を傾げた。


「役割を外す」


「外す?」


「うん」

レアは言う。

「駅員なら駅員をやめさせる。

警官なら警官として喋らせない。

兵士なら命令を繰り返させない」

「名前で呼ぶとか、別のことを聞くとか」

「その人自身に戻す」


サキはすぐに紙へ書いた。


同じ言葉を繰り返す

役割の言葉が先に出る

名前で呼ぶ

仕事以外の質問をする

本人の反応を見る


ノノの声がすぐ入る。


『使える』

『駅周辺へ共有する。

疲労扱いで交代、名前確認、役割外の質問』


リオがレアを見る。


「ずいぶん詳しいな」


レアは笑った。


「私、役割で作られたようなものだから」


その声は軽かった。

でも、サキには少しだけ重く聞こえた。


◆ ◆ ◆


【現実世界・駅周辺対応点/規制区域内・朝】


木崎の指示で、反復していた駅員が一度後ろへ下げられた。


理由は疲労。

周囲にはそう説明した。


その駅員は最初、まだ仕事を続けようとした。


「こちらには進まないでください」

「安全確認中です」

「こちらには――」


その時、別の駅員が彼の肩に手を置いた。


「佐野さん」


名前を呼ばれた瞬間、駅員の目が少しだけ揺れた。


「……え?」


「佐野さん。休みましょう」

「さっきから同じ案内ばかりです」


駅員――佐野は、しばらく相手の顔を見ていた。

それから、自分の手元に持っていた誘導板を見下ろす。


「……俺、何回言ってました?」


「かなり」


「すみません」

佐野は顔色を悪くした。

「頭がぼんやりして……言わなきゃって、それだけが」


木崎は遠くからその様子を見ていた。


黒い影は見えない。

目も普通。

だが、名前で呼ばれた瞬間に戻った。


「……当たりか」


通信で日下部に伝える。


「役割から外すと戻る場合がある」

「名前で呼ぶ。仕事と関係ない質問をする。

反応を見る」


日下部の声が返る。


『共有します』


別の場所では、同じ言葉を繰り返していた警官に、先輩警官が声をかけていた。


「おい、田村。昨日の夜、何食った」


「この位置を保って――」

警官はそう言いかけて、はっとした。

「……え? 昨日?」


「そうだ」


「カップ麺……だったと思います」


「よし、下がれ。疲れてる」


警官は数秒遅れて、自分が何をしていたかに気づいたようだった。


「すみません」


木崎はそれを見て、低く言う。


「薄い。

でも、確かに入りかけてる」


◆ ◆ ◆


【異世界・駅周辺/臨時防衛線・朝】


異世界側でも、同じ方法が使われた。


「その場で待て」と繰り返していた兵士に、同僚が名前を呼ぶ。


「ミルド」


兵士は反応しない。


「ミルド。お前の妹、今いくつだ」


兵士の口が、いつもの言葉を出しかけて止まった。


「……10、いや、11だ」

「春に11になった」


「よし、下がれ」

「お前、今おかしかった」


ミルドと呼ばれた兵士は、顔を青くした。


「俺、何かしたか」


「まだ何もしてない」

同僚は答えた。

「だから下がれ」


兵士は震える手で槍を握り直し、それからゆっくり後退した。


光路の周辺では、同じように何人かが交代させられていく。


大きな混乱にはならない。

だが、現場の空気は変わった。


敵が見えない。

でも、人の内側に薄く触れてくる。


指揮兵は歯を食いしばった。


「全員、互いの名前を呼べ」

「返事が遅い者は下げろ」

「命令を繰り返すだけの者を前に置くな」


兵たちは互いに名前を呼び合った。

それは奇妙な光景だった。

だが、その声が、役割だけに引っ張られそうな人間をこちら側へ引き戻していた。


◆ ◆ ◆


【異世界・王都イルダ/臨時分析拠点・朝】


ノノは、次々に入る報告を処理していた。


現実側。

異世界側。

駅周辺。

人流。

名前確認。

反復発話。

交代。


「これ、かなり嫌だね」


ノノが呟く。


セラも静かに頷く。


「はい」

「人の役割を利用しています」

「でも、まだ深くはありません」


「深くなる前に戻す」

ノノが言う。

「名前で呼ぶ。役割じゃないことを聞く。本人に戻す」


セラは画面を見る。


「光路は安定しています」

「ですが、人の流れに乱れが出ています」


ノノは歯を食いしばった。


光路はうまくいっている。

駅周辺も戻り始めている。

だが、その希望に人が集まり、人が動き、その役割に影が触れている。


まだ、小さい。

まだ、止められる。


そう思いたかった。


ノノは全体回線へ言った。


『駅周辺、光路維持』

『人流ノイズへの対処を継続』

『同じ言葉を繰り返す人は、疲労扱いで下げる』

『名前で呼んで、本人に戻して』


その言葉が、現実側と異世界側の両方へ流れていく。


◆ ◆ ◆


【どこでもない層/薄い演算空間】


白い配置図の上で、駅周辺の光は確かに強くなっていた。


だが、その周囲で小さな黒い点も増えている。


パイソンはそれを見ていた。


焦りはない。

驚きもない。


ただ、静かに観察している。


「役割を外す方法に気づきましたか」


彼は、ほんの少しだけ口元を動かした。


「悪くない」


黒い点のいくつかが、名前を呼ばれるたびに薄くなる。

警官。

駅員。

兵士。

それぞれが、役割ではなく個人へ戻されていく。


だが、パイソンはまだ動かない。


「それでいい」

「まだ、薄い方がいい」


白い光の周りで、人の流れは続いている。

戻りかけた駅周辺へ、希望が集まっている。

希望は動きを作る。

動きは役割を呼ぶ。

役割は、影が触れる場所を増やす。


パイソンは、配置図の一部を指先でなぞった。


今はまだ、点でいい。

線にするのは、もう少し後でいい。


◆ ◆ ◆


駅周辺では、世界が戻り始めている。


同時に、人の中に小さな影が入り始めている。


それはまだ、敵の姿をしていない。

黒い化け物でもない。

警官の声。

駅員の案内。

兵士の命令。

人を守るための役割が、少しだけ人から離れて動こうとしている。


けれど、名前を呼べば戻る。

思い出を聞けば戻る。

その人自身に触れれば、まだ戻せる。


光路は通っている。

駅前の輪郭も保っている。

希望はまだ消えていない。


ただ、その希望の周りで、影は少しずつ、人の形を覚え始めていた。



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