表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
33/36

第033話 |無冠刑《クラウンレス》

王の翼骨が、玉座の間を裂いた。


白い祈りの骨が壁へ突き刺さり、黒い拍動がその中を走る。壁に掛けられていた歴代王の肖像が、次々に落ちた。金の額縁が赤い絨毯に転がり、王たちの顔が踏まれる。


王は笑った。


背に偽神をまとい、玉座の段の上で両手を広げている。


「見よ。これが王権だ」


白い祈祷紐が盾になった。


黒銀が踏み込むたび、盾の表面に民の顔が浮かぶ。さっき市場で救った母親。門前で倒れていた兵。名札を守っていた老婆。王は彼らを守っているのではない。


盾にしている。


黒銀の黒炎が、盾の表面で止まった。


王は、その一瞬を見逃さない。


白い翼骨が振り下ろされる。


黒銀は横へ跳ぶ。


翼骨が赤い絨毯を裂き、床の石を砕いた。遅れて、砕けた石片が宙に浮く。祈祷紐に吸われ、王の背へ戻っていく。


「切れぬか」


王の声が、玉座の間に響く。


「民を傷つけぬよう、刃を選ぶか。死んでもそれか。ならば、そなたは今も王国の剣だ」


黒銀の肩へ、白い翼骨がかすった。


黒い外套が裂け、死んだ肌に白い焦げ跡が残る。痛みに顔は動かない。だが、胸の印だけが強く鳴った。


どくん。


その拍に合わせ、黒炎が床を叩く。


王はそれを見て、また笑った。


「魔王の鼓動で動く勇者か。何と便利な死体だ」


イシュカラの目が冷えた。


黒銀は、怒鳴らない。


怒鳴れば、王の言葉に付き合うことになる。


黒炎が床を這い、盾の下へ潜った。


民の影に触れないよう、祈祷紐の裏側へ回る。白い糸の編み目が見えた。一本一本に、小さな祈りが結ばれている。


乱暴に切れば、祈りの持ち主へ返る。


切る場所を選ぶ必要がある。


王は、それを知っている。


知っていて、民を盾にした。


イシュカラが、玉座の柱へ手を置いた。


「黒銀、冠ではない」


黒銀の目だけが動く。


イシュカラは、王の頭上に浮かぶ白黒の冠を見ていない。


その下。


玉座と王の背骨を繋ぐ、細い輪を見ていた。王冠、血統、神殿の祝福、民の恐怖。それらを一つに束ね、王という言葉へ縛っている結び目。


「あれは飾りだ。王を王にしておる根は、玉座の下にある」


王の翼骨が、イシュカラへ向いた。


「黙れ、魔王」


白い骨が伸びる。


黒銀の黒炎が、間へ入った。


黒い影火が翼骨へ絡み、軌道をずらす。翼骨はイシュカラの肩をかすめ、壁へ突き刺さった。白い破片が散り、彼女の頬に細い赤が浮く。


黒銀の黒炎が荒れる。


イシュカラは血を拭わず、王を見た。


「焦ったな」


王の顔が歪む。


白黒の冠が揺れた。


黒銀は、玉座の下へ走った。


盾が立つ。


民の影が浮かぶ。


黒銀は正面から切らない。


一歩目で、左から翼骨が来る。


黒炎が床から立ち、骨の腹を押す。軌道がわずかにずれ、翼骨は黒銀の背後の柱を砕いた。


二歩目で、祈祷紐が足首を狙う。


黒銀は跳ばない。跳べば、背後の盾に影が触れる。銀の剣筋を爪先の先で走らせ、紐の結び目だけを落とした。


三歩目で、王の命令が降る。


「跪け」


玉座の間の床が白く光る。


だが、その言葉はセヴランの時ほど軽くはなかった。


王都中の祈りが、命令の重さになって床からせり上がる。


イシュカラの膝が、一瞬だけ石へ落ちかけた。


黒銀の黒炎が、彼女の足元を支える。


少女の唇の端に、赤がにじんだ。


それでも、魔王の目は床の命令を睨み返していた。


彼女の足元で、黒い王冠の陣が開きかける。


すぐに半分潰れた。


潰れた半分だけで、玉座の白い光が一段沈む。


「その言葉は、もう聞いた」


少女の声が、王の命令へ食い込む。


細い声だった。だが玉座の間の命令は、その声の前で膝を折った。


黒銀の膝は折れない。


代わりに、床の白い命令だけが割れた。


割れ目から黒炎が入り、玉座の下へ伸びる。王を守るために刻まれた古い誓文が、内側から煤けていった。


王は片手を伸ばし、落ちた王冠を呼ぼうとする。


王冠は動かない。


もう、王を選んでいない。


赤い絨毯の上で、ただの金属として冷えていた。


音も返さない。


黒炎が床へ広がり、祈祷紐の束を下から押し上げる。影火の腕が何本も立ち、民の影を盾の表面へ残したまま、白い紐の結び目だけを露出させた。


王が吠える。


「余へ刃を向けるな!」


命令だった。


玉座の間に刻まれた古い聖印が、一斉に光る。王へ刃を向ける者を罰するための、王城の防護式。


黒銀の足元に白い槍が突き出した。


黒炎がそれを噛む。


銀の剣筋が、槍の芯だけを裂いた。


黒銀は止まらない。


「余は王だぞ」


王の声に、焦りが混じった。


「王に逆らえば、国が」


黒銀は、初めて顔を上げた。


「国を盾にするな」


短い声だった。


王の口が止まる。


その隙に、イシュカラが床へ掌を当てた。


黒い魔王文字が、爪の下から石へ沈む。


半分の陣で足りた。王が積み上げた祈りは、裏面を隠せなかった。


「――冠は影を持つ」


玉座の下の白い溝が震えた。


「――座は下に罪を隠す」


血の匂いを含んだ白い光が、床の継ぎ目から漏れる。


「――裏なき王権はなし」


イシュカラは、掌をさらに押し当てた。


『裏を向け』


玉座の下の白い溝が、一瞬だけ反転する。


王を守るために流れていた命令が、内側を見せた。


そこにあったのは、王冠ではない。


血の署名。


処刑命令。


神殿への承認印。


勇者の功績を塗り替える文書。


妹を研究区画へ送る封印。


民を燃料として数えた台帳。


それらが、白黒の輪になって王の背へ繋がっている。


黒銀の黒炎が、その輪を押さえた。


王が悲鳴を上げる。


悲鳴は、王らしくなかった。


老人の喉から出た、ただの恐怖の声だった。


「やめろ。そこは」


銀の剣筋が、黒炎の奥で細く光った。


黒銀は言った。


無冠刑(クラウンレス)


剣筋は、王冠を切らなかった。


王の頭上の白黒の冠は、一瞬遅れて崩れた。


本当に断たれたのは、もっと下だ。


玉座と王を繋いでいた輪。


王冠、血統、神殿、民の恐怖、勇者を殺した命令。


それらを束ねていた白黒の結び目が、音もなく裂けた。


王の背の翼骨が、根元から抜けた。


民の影が盾から剥がれた。


消えたのではない。


細い息のように壁を抜け、王都へ戻っていく。


白い祈祷紐が、王城から外へ向かって逆流した。


王の身体から、光が抜ける。


若さは戻らない。


力も残らない。


残ったのは、玉座の段の上で王冠を失った老いた男だった。


王は膝をついた。


杖を探す手が震える。


王冠が、肘掛けから転がり落ちた。


金属の音が、赤い絨毯の上で小さく鳴る。


王は、それへ手を伸ばす。


指先は届かない。


黒銀が、段を上がった。


王は初めて、玉座から床へ落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ