第4話 攻略wikiが書き換わる夜
深夜一時の匿名掲示板、探索者板に、一本のスレッドが立った。
『【検証】シンさんの初心者講座は本物なのか、攻略勢が本気で確かめるスレ』
【1:例の切り抜きの出典になってる講座な。「地味なだけ」で片付けられてるが、俺は引っかかってる。アーカイブ全七回、全部見た。気になる発言を順に検証していく】
【4:暇人すぎるだろ】
【7:>>1 俺も見た。第三回のやつだろ。「三層・大回廊は壁沿いを歩くな」。あれ、wikiの定説と真逆のこと言ってる】
【9:は? 大回廊は壁沿い一択だろ。中央は囲まれるって二十年言われてるぞ】
【12:講座の言い分はこうだ。「大回廊の魔物は天井と壁の継ぎ目に潜む。壁沿いは、奴らの真下を自分から歩いていくルートになる。中央寄りなら、左右どっちに跳ばれても半歩で外せる」】
【15:理屈は通ってる。けど二十年の定説を覆すには根拠が足りん】
【23:協会の公開事故データベースと照合してきた。過去十年、三層大回廊で起きた死亡・重傷事故百八十六件のうち、発生位置の記録が残っている百五十二件中――百二十九件が壁際だ】
【24:は?】
【25:八割超えてるじゃねえか】
【31:おい、待て。じゃあ俺たちは二十年、死にやすい方を「安全ルート」って呼んでたのか?】
スレの空気が、ここで変わった。
嘲笑が消え、入れ替わりに、攻略勢特有の偏執的な熱が流れ込んできた。
検証は夜通し続いた。第一回の「立ち方」は、医療系の住人が「重心動揺の理屈として教科書より正確」と裏を取った。第六回の「下がり方」は、現役C級の住人が訓練場で実測し、後退時の転倒回数が半分になったと計測データ付きで報告した。
【88:結論を言っていいか。この講座、「正しい」とかのレベルじゃない。正しすぎる。個人の経験則で出る精度じゃないんだ。何百件、死亡報告書を読み込めばこの結論に届くんだよ】
【90:で、最初の疑問に戻るわけだ。――このおっさん、何者だ?】
【93:自己紹介は「元・育成コーチです。……元、です」だけ。どこの誰を育てたのかは一切言わない】
【95:声に聞き覚えがある気がして眠れねえ】
◇
俺はといえば、その日も平和だった。
米を炊き、ノートをめくり、夜の配信の準備をする。健全な無職生活、八日目である。
平和でないのは、数字だけだった。チャンネル登録者は朝の時点で四千を超え、昼に六千になり、夕方には一万に届いた。第一回のアーカイブに至っては、再生数が五万を超えている。
「明日には飽きて、いつもの教室に戻ってる」という俺の予想は、見事に外れ続けていた。不具合説は、もう諦めた。となると、考えられる理由は一つしかない。
「……ヒナちゃんが、宣伝してくれたのかな」
律儀な子だとは思っていたが、これは少し頑張りすぎだろう。今度、お礼を言わないといけない。
その夜。配信開始ボタンを押すと、視聴者数の表示は開始十秒で【2,000】を超えた。
【来た】
【本物だ】
【検証スレから来ました】
【wiki書き換わるってマジ?】
こちらが口を開く前から、コメント欄は洪水である。挨拶くらいはさせてほしい。
「こんばんは、シンです。初見の人が多いみたいなので、いつものやつを言っておきます。ここは初心者向けの講座です。派手な技も、最強装備の話もしません。地味です。多分、びっくりするほど地味です」
【知ってる】
【それを聞きに来た】
「第八回。今日は――『ポーションは、腰の右に差すか左に差すか』という話をします」
【は?】
【地味すぎる】
【そこ!?】
【スレの皆さん、これが通常運転です】
通常運転で何が悪いのか。俺はいつも通り、ノートの中身を言葉にしていった。
「結論から言うと、利き手と逆側の腰、体の正面寄りです。理由は三つ。まず――ポーションが要る場面というのは、だいたい、利き腕がもう使い物にならない場面だということ」
剣を握ったままの利き手で、栓は抜けない。だから、逆の手で抜けない位置にある薬は、無いのと同じだ。
「二つ目。背中側に差すと、転がったときに割れます。探索者は前には警戒して倒れますが、後ろには無防備に倒れるので」
「三つ目。これが一番大事なんですが――死にかけている人間は、自分の右と左を、普通に間違えます」
だから、毎回同じ場所。考えなくても手が届く場所。指が震えていても、ベルトに引っかけて引き抜ける角度。そこまで含めて「置き場所」だ。
十五分、その話だけをした。
コメント欄は、最初の三分こそ【地味】の弾幕だったが、五分を過ぎる頃には流れが変わっていた。
【……探索者六年やってるが、薬は鞄に入れてた】
【鞄は死ぬぞ。うちの相方はそれで片腕やられた】
【「死にかけは左右を間違える」で背筋が冷えた。先週の俺だ】
【なんだろうな。この講座、理屈の一個一個の後ろに、死体の数を感じるんだよ】
【今ベルト差し替えた。受講料どこで払えばいい】
そして、見慣れた名前のコメントが、奔流の中を必死に流れていく。
【先生、今日も勉強になります! あの、それで、その、視聴者さんがすごく増えていて……!】
「ああ、うん。ヒナちゃん」
俺は少し改まって、マイクに向き直った。言うなら今だろう。
「宣伝、してくれたんでしょう。ありがとうね」
コメント欄が、一秒止まった。
【wwwww】
【宣伝wwww】
【違うんだよなあ】
【ヒナちゃんのせいではあるが、ヒナちゃんではない】
【誰かこのおっさんに現状を説明してやれ】
【ち、違います先生! 私じゃないです……! いえ、きっかけは私かもしれないですけど……!】
よく分からないが、コメント欄は今日も元気である。
「? ……まあいいか。それじゃ、今日はこのへんで」
◇
日付が変わる頃、攻略wiki「三層・大回廊」のページで、編集合戦が始まった。
二十年間守られてきた「壁沿い推奨」の記述を、検証スレの住人が事故データ付きで書き換える。十分後、古参の編集者が差し戻す。理由欄には一言、「出典が個人配信。信頼性なし」。
三度の差し戻しの後、検証班は協会データベースとの照合結果を一覧表に整えて再々々編集を敢行し、明け方四時、ついに管理人が裁定を下した。
『データの提示がある以上、棄却する理由がない。改訂を承認する』
朝日が昇る頃、三層・大回廊の推奨ルートは「中央寄り」に書き換わり――攻略wikiの歴史上初めて、その出典欄に個人配信の名が刻まれた。
【出典:『シンさんの初心者ダンジョン講座』第三回】
承認コメントの末尾に、管理人は一行だけ付け足している。
『定説より死亡率の低いものが現れたなら、今後はそちらを定説と呼ぶ』
◇
同じ朝。玄武本部、最上階の会長室。
「――会長。例の講座の件、研究班から報告が」
資料の束を抱えた研究班主任は、徹夜明けの顔で立っていた。wikiの改訂。検証スレの熱狂。そして、件の講座の理論精度が、自社の新人研修プログラムを上回っている可能性について。
戸隠厳は、資料を見なかった。
「『シンさんの初心者講座』……だったか」
窓の外、自社ビルから見下ろす街に目をやったまま、五十五歳の会長は、喉の奥で嗤った。
「どこの馬の骨かは知らんが、どうせ探索者崩れが素人相手に講釈を垂れているんだろう。素人どもには数字の珍しさの区別がつかんから、騒いでいるだけだ。ひと月で飽きて消える」
「ですが、wikiの改訂は業界への実害が――」
「うちはS級の才能を集める会社だ。初心者の死亡率など、商売に関係あるか」
主任は口を閉じた。資料は受け取られないまま、応接机の端に置かれた。一礼して部屋を出る。――その資料の最後のページに、配信者「シン」の声紋照合を進言する一文が挟まれていたことを、戸隠は知らない。
素人が、騒いでいるだけ。
この朝の、その一言の値段を――戸隠厳はやがて、自分の持っている全てで支払うことになる。




