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第38話 書き換わる世界


帰り道は、三日だった。

行きにあれだけ俺たちを試した道が、帰りは何も言わなかった。«千の偽道»は相変わらず千本の顔をしていたが、もう迷わない。澪さんの設計図と、ヒナちゃんの歩数台帳がある。行きに六時間かけた層を、帰りは二時間で抜けた。

夜鴉くんの発光標識は、回収せずに置いていくことにした。

「次に来る誰かの、道しるべだ。……俺の仕事が人類の財産ってのは、悪くねえ響きだな」

最後の縦坑は、ヒナちゃんが先頭だった。

「先生! 光です、上! 空ですっ!」

三日ぶりの空は、夕方だった。

そして――音の、壁だった。

規制線の向こうの人垣が、地鳴りみたいな歓声を上げていた。報道のドローンが空の一角を埋め、誰かが泣き、誰かが笑い、誰かがずっと「おかえり」と叫んでいた。

【おかえり】

【おかえり!!!】

【世界トレンド1位「おかえり」】

【2位が「死者ゼロ」で3位が「基礎」。この攻略の全部が並んでる】

丸くんが盾を下ろして空に吠え、玲くんが珍しく、誰にでも分かる顔で笑った。こころちゃんは円の中心で、今日だけは自分のために泣いた。

俺は点呼の代わりに、ひとつだけ訊いた。

「種は」

「あります」「補足。あります。以上です」「あるぞ」「あるぜ」「……あります」「ありますっ!」

七人、全員。験担ぎは、果たされた。

「親父、約束だ。今夜は続きを飲むぞ」

「報告会が先。……の、あとでね」

最深部の手記は、庁の研究機関に引き渡された。

素材は紙でも羊皮紙でもないらしく、年代の特定には時間がかかる。分かったのは「少なくとも数百年は古い」ことと、大半の頁が風化して読めないこと。

そして、最初の頁の一文だけが、昨日書かれたみたいに鮮明なことだった。

『この先へ進めるのは、最強の個ではなく、最良の群れである』

庁は議論の末、頁の画像をそのまま公開した。俺が現地で読み上げてしまった以上、いまさら隠す意味もない、という判断だったらしい。

一文は、その日のうちに世界中の言語に訳された。

学者たちは筆者を論じた。何百年前に、どんな装備で、何人で、あの最深部まで潜ったのか。帰れたのか。答えの出る材料は、何ひとつ見つからなかった。

けれど世界は、学説を待たなかった。みんな、もっと単純に読んだのだ。

何百年も前の探索者が命がけで最深部まで運んだ言葉が、「個の強さがすべて」と言い続けてきた現代の等級制度に、時間を越えて突きつけられた――そういう読み方を、した。

【B級の指揮官が人類初を達成して、死者ゼロで】

【最後の一撃は、ちょっと前までE級だった子で】

【で? 現行の等級表のどこを見れば、この二人の価値が書いてあるんだ?】

【どこにも書いてない。そもそも、書く欄が無い】

【欄が無いなら、表のほうが間違ってるんだよ】

「等級制度」は、一週間ずっと、世界トレンドに残り続けた。

朝の来客には、もう驚かなくなった。チャイムの鳴り方で分かるようになってきたのだ。宅配便か、回覧板か――人生の方角が変わる類のやつか。

「おはようございます、柊さん。本日は、統計のご報告に」

六畳間に、湯呑みが三つ。何度目かの、いつもの配置である。真壁さんは鞄から分厚い綴りを出して、畳の上に置いた。

『探索者等級制度・改定案(最終)』

「来週、正式に発表されます。戦闘等級は残ります。ただし、それと並ぶ柱として――育成、指揮、支援。『戦わない強さ』の三部門が、新設されます」

頁をめくって、育成部門の認定基準のところで、手が止まった。

資格は「持っていると信用される」ためのものであり、持たない者の指導を禁じないこと。

実技試験は、戦う実技ではなく、教える実技であること。

いつかこの六畳間で言った二つのお願いが、条文の骨になって、そこに並んでいた。

「……通ったんですね」

「お言葉ごと、通しました」真壁さんは眼鏡を直した。「私は十八年、人が死んだ理由を分類してきました。これは、人が生きた理由に等級を付ける、最初の制度です」

それで、と調査官は綴りの最終頁を開いた。

「発表に合わせて、育成部門の第一号認定が行われます。等級は、S。――氏名の欄だけが、まだ空白です」

湯呑みを置いた。嫌な予感しか、しなかった。

「真壁さん。第一号なら、もっとふさわしい人がいるでしょう」

「どなたです」

「……全国で、新人に飯を食わせながらコツを教えている、現場の先輩のみなさんとか」

「その方々が信用されるための制度です。第一号が軽いと、その方々の資格まで軽くなります」

役人は、綴りの下からもう一束、書類を出した。推薦書、とあった。

推薦人の欄に、剣条玲。氷堂澪。獅子王丸。夜鴉。白瀬こころ。天羽ヒナ。ダンジョン庁長官。――そして続紙に、受講生有志、署名三百二万筆。

「タグは確か、#うちの先生、でしたか。統計上、該当者は国内に一名です」

「……その統計、前から思っていたんですが、最初から答えありきでは」

「統計とは、現実を数えることです」真壁さんは、平らな目のまま言った。「数えたら、こうなりました」

三日考えて、断る理由は見つからなかった。

代わりに、お願いをひとつだけ付けた。肩書きが付いても、講座の中身は変えないこと。

「むしろ変えないでください」と真壁さんは言った。「変わられると、統計が崩れます」

寝る前に、ノートへ二行だけ書いた。

【等級制度、変わる。死なせない仕事に、名前が付く】

【第一号は荷が重い。が、軽くしたら全国の先輩たちに失礼になる。背筋を伸ばすこと】

認定式の朝も、米を研いだ。二度、研ぎ損ねた。

緊張は、しているらしい。

会場は、庁の大講堂だった。発表された改定案は、議会も世論も、ほとんど素通りに近い速さで通過した。反対の声が無かったわけじゃない。ただ、反対意見が画面に出るたび、死者ゼロの十一時間二十七分のアーカイブが貼られて、議論が終わるのだ。

壇の下の最前列に、見慣れた顔が並んでいた。正装の玲くん。ノートを膝に置いた澪さん。礼服の肩がはち切れそうな丸くん。どう見ても警備動線ばかり観察している夜鴉くん。背筋を伸ばしたこころちゃん。そして、世界一姿勢のいいB級がひとり。

八年と、二年と、それからの日々。ぜんぶが、一列に座っている。

長官の手から、認定証が渡された。

『探索者等級制度・育成部門 S級 第一号 柊慎一』

二十年、書類の等級欄に「B」と書いてきた。その続きに並ぶには、ずいぶん見慣れない文字だった。

【うおおおおおおお】

【B級止まりの男が、世界の基準のほうを書き換えやがった】

【違うぞ。書き換わったんじゃない。「最初から間違ってた採点」が、やっと直ったんだ】

【総指揮・柊慎一、育成S級。歴史の教科書、確定です】

スピーチを求められたので、俺はマイクの前で、いつものように紙を三行、掲げた。

『この等級は、廊下で足の指を握った全員のものです』

『教室は、今までどおり続けます』

『次回講座・来週月曜。題は「基礎」』

【泣かせにきてる】

【月曜、行きます】

【人類の攻略常識を書き換えた男の次回作が「基礎」】

【それでこそ、うちの先生だ】

基準を書き換えたのは、俺じゃない。

何百年も前にあの一文を最深部まで運んだ誰かと、それを証明してみせた教え子たちと、毎晩廊下で足の指を握った、何百万人の生徒たちだ。俺は横で、観察して、言葉にしていただけである。

――そう言ったら、最前列の六人が六人とも、ものすごく複雑な顔をしたが。

万雷の拍手の中で、ふと、視線を感じた。

来賓席でも、報道席でもない。会場の一番うしろの、一番目立たない席。

戸隠厳。

かつて俺を「寄生コーチ」と呼んで切り捨てた男が、背筋だけは昔のままに、まっすぐこちらを見ていた。

その手に――角の擦り切れた、古い封筒が、ひとつ。

観察と言語化を二十年やってきたが、あの目の意味だけは、まだ言葉にならなかった。


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― 新着の感想 ―
物語は大変面白いのですが、 個人の技術が制度を変える… 実はちょっと呑み込めないところがあります。 制度や多数の是認は、根本、技術技量とは全く関係がないかと、私は思っています。 もちろん、本作には、そ…
読んでたら俺も冒険者出来そうな気がしてきた
玄武というか戸隠さんはどうするんでしょうね? シン先生の今までの言動に倣うなら、玄武が潰れることや戸隠さんが落ちぶれる事を期待するのは良く無い筈 戸隠さんがかつて攻略隊を率いていた頃を思い出して、一か…
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