第31話 最強の教室
返事というものは、書くと決めてからのほうが長い。
朝の机で封筒を開け、便箋に向かって一時間。書いては丸めるのを三回やって、残ったのは結局、三行だった。
『お受けします。ただし、攻略の準備と方針は、すべて配信で公開します』
『隠し事のできない指揮官ですが、それで良ければ、お使いください』
『柊慎一』
国に出す文章がこれでいいのかは知らない。ただ、嘘のない三行ではある。
期限を六日残して、封筒は俺の机から消えた。
そして今朝の配信で、五人に――昨夜帰ってきた五人目を含めた全員に、そのことを報告した。さて、今日からは作戦会議だ。深淵を、攻略します。そう言ったときの世間の騒ぎは、たぶん一生分だったと思う。
『柊慎一氏、〈深淵〉総指揮官就任を受諾』
『条件は「全過程の公開」。庁、異例の全面承認』
『人類初の〈公開攻略〉へ――世界中が教室になる日』
見出しを三つ眺めて、端末を伏せた。米を研ぐ。今朝は一度も研ぎ損ねなかった。腹が決まると、米も決まるらしい。
ヒナちゃんからメッセージが二件。
『先生! 今夜の同時視聴、予測が「測定不能」だそうです! 回線、増強しておきました!』
『あと、玲さんたちが「教室の準備」をしたいそうです。合鍵、お渡ししていいですか?』
人類最強の五人が、昼日中から六畳間で何の準備をするというのか。
……考えるのはやめて、『お願いします』とだけ返した。
◇
夜八時、五分前。
六畳間は、限界を迎えていた。
こたつ机を二つ繋げた「長机」を囲んで、人類最強の剣士、最強の魔導師、最硬の盾、最高効率の影、最大範囲の聖女、そして元・落ちこぼれの新人B級が、行儀よく正座している。畳一枚あたりの人類戦力で言えば、史上最高密度の和室である。
「親父、座布団が足りん」
「丸くんが二枚使ってるからだよ。……庁が会場を用意すると言ってくれたんだけどね」
「断ったんでしょう、先生」と、こころちゃんが笑う。昨夜より、ずっといい顔で笑う。
「うん。教室はここだから」
時間になった。配信開始。
視聴者数の表示は、立ち上がった瞬間に桁を数えるのをあきらめた。
「こんばんは、シンです。今日からこの講座は、〈深淵〉攻略の作戦会議を兼ねます。準備も、方針も、失敗も、全部ここで公開します。人類が初めて潜る場所に、隠し事を持ち込みたくないので」
【来た】
【世界史の生放送】
【会場、六畳間www】
【最強五人が正座してるの何回見ても駄目だ】
俺は一拍置いて、いつものように言った。
「じゃあ今日は、基礎の話をしましょう」
【基礎wwww】
【人類の最終戦力を前に基礎】
【ブレなさすぎる】
【いや待て。この人の「基礎」は、もう常識を三回書き換えてるんだぞ】
玲だけが、当然のように頷いていた。
◇
「チームというのは、長所を足し算する場所だと思われがちですが――違います」
ノートを開く。八年ぶんの、観察の報告を始める。
「弱点を、編む場所です。長所は放っておいても仕事をします。チームの良し悪しを決めるのは、弱点の置き場所です。なので今日は、この五人の弱点の話を、本人と世界の前で全部します」
【S級の弱点を全世界に公開!?】
【敵に回る奴がいたらどうすんだ】
【↑「人類に隠し事をしない」ってそういうことだろ】
「まず、玲くん」
「はい」
「君の強さは初速だ。けど、君の時間は速すぎる。君の『今』は、隣の人の『半秒後』だ。単独なら無敵のその癖が、連携では全員を置き去りにする」
「……はい」
「だから君は、丸くんの盾を時計にしなさい。あの盾が据わった場所が、戦場の正午だ。君の速さは、基準点を持って初めて兵器になる。――丸くん」
「おう」
「君の硬さは『守るもの』が決まって初めて出る。守備対象が曖昧なとき、君はただの大きい人だ」
「ぐっ……否定できん」
「守る順番は澪さんの設計図が決める。君は考えなくていい。考えない君が、一番硬い」
「親父、それは褒めてるのか?」
「最大級にね。――澪さん。君の設計図は例外に強い。でも君は、自分の目で見たものしか計算に入れない癖がある。前提の欠けた設計図は、綺麗なだけの図面だ」
「補足。自覚はあります。対策は」
「夜鴉くんの偵察を、君の目に直結する。――夜鴉くん。君は危険を読む速さなら、俺なんかよりずっと上だ。けど君は、情報を抱える。報告は正確だが、遅い。一人で死なないために身につけた癖だ。チームでは、その三秒が人を殺す」
「……手厳しいねえ、先生は」
「だから君の報告は、生のままヒナちゃんに投げなさい。ヒナちゃんが全員の言葉に翻訳して流す。君は綺麗に報告する手間を捨てて、三秒を拾え」
「了解」
そして俺は、最後の一人を見た。
「こころちゃん」
「は、はい」
「君の治癒範囲は、半径でいえば人類最大だ。でも君には、その円の中心に、自分を置かない癖がある」
六畳間が、少しだけ静かになった。
「範囲術式の中心は、術者であるべきです。教科書どおりの話だ。だから今回から、君の立ち位置はチームが決める。君がどこに立つかを――君の遠慮には、任せない」
こころちゃんは一度だけ唇を結んで、それから、ちゃんと顔を上げて言った。
「はい、先生」
【今の沈黙、全員分かってて優しい】
【弱点の指摘なのに、なんで泣きそうになるんだ俺は】
「最後に、ヒナちゃん。君はこの教室で一番長く、俺の言葉を浴びた人だ。だから君が基準器だ。五人は迷ったら、ヒナちゃんの基礎を見て、自分のズレを測りなさい」
「は……はいっ!!」
【最強五人の基準が、元E級】
【ちょっと前まで昇格試験に四連続で落ちてた子だぞ】
【この人事だけで泣ける】
◇
「個別の報告は以上。ここからが本題です」
ノートを一枚めくる。
「いま挙げた弱点を、言った順番に繋ぐと――輪になります。玲くんの時間は丸くんが計る。丸くんの順番は澪さんが描く。澪さんの前提は夜鴉くんが運ぶ。夜鴉くんの三秒はヒナちゃんが訳す。全員の消耗はこころちゃんが拾う。そして、こころちゃんの立ち位置は、玲くんの剣が守る。……一周して、どこにも単独の死角が残らない」
誰も、何も言わなかった。
コメント欄だけが、悲鳴を上げていた。
【鳥肌が治らない】
【バラバラの最強が、一個の生き物に編み上がっていく】
【これを無料で見ていいのか】
【深淵がちょっと可哀想になってきた】
澪さんが小さく手を挙げた。
「補足。いまの編成理論、協会の様式で書類にすると推定百四十ページです。先生は口頭で、十一分でした。……以上です」
それは補足というのだろうか。
最後に、俺は紙に三行書いて、カメラに掲げた。
『目的:全員で潜り、全員で帰ること』
『撤退基準:誰か一人でも「次の一歩」を言葉にできなくなったとき』
『帰還後:観察の報告会(全員ぶん)』
「〈深淵〉に何が隠れていても、この三行より上には何も置きません。――以上、今日の講座でした」
◇
配信を切ったあとの六畳間は、湯呑みの数だけ騒がしい。
丸さんが座布団を三枚目にしようとして玲さんに没収され、澪さんはもうノートの余白に補足を書き始めている。先生は台所に立って、六人分のお茶を淹れ直している。
その背中が水音に紛れたのを見計らったように、夜鴉さんが、湯呑みを揺らしながらボソッと言った。
「……なあ。気付いてるか、お前ら」
「何がだ」
「俺たちさ、先生の『授業』は、嫌ってほど受けてきた。けど――先生の『指揮』を実戦で受けるのは、実は全員、これが初めてなんだぜ」
玲さんの手が、止まった。丸さんの笑いが、止まった。澪さんのペンが、止まった。
人類最強の五人が、初めて、同じ顔で黙り込む。
台所では先生が、のんきに薬缶を鳴らしている。




