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第27話 教え子たちの反撃


教えることのない夜というのは、思っていたより長い。

講座を休んで、二日目の夜だった。机の上には国の封筒と、五人ぶんのノートと、貼ったままの付箋。返答の期限は、まだ九日残っている。

考えは、進んでいない。正確には、同じ場所を几帳面に回り続けている。紙の上の五人は、誰も死なない。本物の〈深淵〉は、紙ではない。それだけのことを、俺は二日かけて何百回も確認していた。

夜八時の五分前に、ノートを閉じた。

今夜だけは、考え事を休むと決めていた。教え子の初配信を、考え事をしながら観られるほど、俺は器用な人間ではないのである。

座布団に座り直して、念のため、紙に三行書いた。

『目的:生徒の初配信を、最後まで観ること』

『撤退基準:なし(ただしコメントは一件も書かないこと)』

『帰還後:感想を、観察の報告として一通だけ送ること』

我ながら、何の潜行だという話である。

八時ちょうど。画面が、切り替わった。

映ったのは、見覚えのない白い壁の部屋だった。機材はたぶん借り物で、マイクの位置が少し遠い。

「こ、こんばんは。天羽ヒナです。……B級、探索者です」

噛んだ。お辞儀が深すぎて、頭が画面の下に消えた。

【きた】

【ヒナちゃんの初配信だ】

【がんばれ】

【始まる前からもう泣きそうな顔してるが】

「今日は、私の先生の話をします。うまく話せないと思います。私、配信は初めてで、先生みたいに上手じゃないので。……だから、いつもの通りにやります。先生に教わった、通りに」

彼女は手元の紙を持ち上げた。嫌というほど見覚えのある、書式だった。

「潜る前の、三行です。目的。先生の本当の価値を、私の言葉で世界に話すこと。撤退基準。泣いても止まらないこと。泣くのは想定の範囲内です。帰還後――先生に、怒られること。以上です」

【撤退基準w】

【泣くの織り込み済みなのか】

【待て、最後の一行はなんだ】

怒らないよ、と画面に言いかけて、やめた。コメントは書かない。俺の三行も、守られなければならない。

「私は四年前に探索者登録をして、ずっとE級でした。D級昇格試験に、四回落ちました。……知ってる人も、いると思います。有名だったので。『四回落ちる子』って」

彼女は笑い話にしなかった。事実を、在庫でも数えるように並べていった。

「ギルドの教官には『全部ダメ』と言われました。同期は全員、先に昇格しました。母とは、高校を卒業するまでに芽が出なかったら辞める約束をしていました。四回目に落ちた夜、辞めようと思いました。……本当に、思いました」

コメントの流れが、ゆっくりになっていく。

「そのとき、視聴者0人の講座を見つけました。くたびれた感じの元コーチの人が、誰もいないコメント欄に向かって、丁寧に話してました。――装備より先に、立ち方の話をさせてください、って」

「アーカイブに質問を書いたら、次の日、全部に返事が来てました。二十三件、一件ずつ数百字。……無料ですよ? 私、一円も払ってません。向こうは、私が誰かも知らないのに」

【二十三件全レスは草】

【初期から先生は先生だった】

【知ってる。今もアーカイブに残ってるぞ】

「それで、試験の録画を観てもらいました。四十秒で場外にされた、私の四回目の不合格です。先生は最初の三秒で映像を止めて、言いました」

ヒナちゃんは、一度だけ息を吸った。

「『君、踏み込みの最初に重心が浮いてる。カカトが早く床から離れてる。だから上体が先に出て、目線がぶれる。目線がぶれるから相手の初動が見えない。見えないから、全部が後手になる』――四年間の『全部ダメ』に、初めて順番がつきました。崩れの一枚目に、初めて名前がつきました」

「直し方は、廊下で足の指を握ることでした。千回やりました。次の日、四年間一度も見えなかった灰犬の初動が、見えました」

紙から顔を上げて、彼女は言った。

「才能じゃ、ありません。私に才能がないことは、私が世界で一番よく知ってます。私は、言葉で変わったんです。言葉なら――誰にでも、届くんです。再現できるんです。実際、この教室には今、十万人の『私』がいます」

それから彼女は、世間の問いに正面から触れた。

「『B級に指揮ができるのか』って、みんな言ってます。……あの、等級って、その人が自分の体でどこまで潜れるかの数字です。先生の仕事は、最初から、そこじゃありません」

「先生は、四年間誰にも見えなかった私の三秒を、一回で見た人です。人類最強の五人を、五人とも死なせなかった人です。四十四回の講座で、何万人ぶんの『死ぬはずだった夜』を消した人です。指揮っていうのが、もし『全員を観察して、生きて帰す順番を決める仕事』のことなら――それを二十年やってきた人を、私は一人しか知りません」

言い切ってから、彼女は急に不安そうな顔をした。

「……これ、反論になってますか。論破とか、得意じゃなくて。でも、嘘は一個も言ってません。アーカイブも試験の記録も、全部残ってるので、全部確認できます。記録は、本人が忘れた頃に勝手に仕事をするんです。……これも、先生の受け売りですけど」

最後のほうは、宣言どおりになった。

「私、先生に会わなかったら、三層で死んでました。だから、世界中の人がなにを言っても……っ、私だけは、ぜったい……」

泣いても、止まらなかった。撤退基準は、正しく運用されたのである。

深いお辞儀でまた頭が画面から消えて、初配信は終わった。一時間。台本も編集もない、たどたどしい一時間だった。

だから――どこを切っても、本物だった。

切り抜きは、今回ばかりは要らなかった。

終了時点の同時視聴者は二百万を超えていたといい、配信が終わった瞬間から、あのタグが洪水になった。

【#うちの先生 三層で落盤に遭った。「撤退基準は潜る前に決める」を笑ってた俺が、その基準で生きて帰った。先生、俺の葬式をひとつ消してくれてありがとう】

【#うちの先生 夫が探索者です。毎晩「潜る前の三行」を書く人と結婚しました。今夜も帰ってきました。それが全部です】

【#うちの先生 E級です。先月初めてD級に受かりました。試験官に「基礎が綺麗だね」って言われました。生まれて初めて褒められました】

【#うちの先生 海外勢。字幕で全話観た。うちの国のギルドは今、講座の翻訳権を取り合ってる】

【#うちの先生 俺は受講生じゃない。受講生に救助された側だ。担いでくれたあの人の手順が、異常に正確だった理由を今日知った】

数えるのをやめた頃には、証言は数万件を超え、世界中の言語が混ざっていた。

「B級に指揮ができるのか」という声は、まだ画面のどこかにあった。ただ、何万件の「生きて帰った」が流れていく横では、もう、声の大きさが違った。

潮目というのは、こういうふうに変わるものらしい。

俺は約束どおり、コメントは一件も書かなかった。代わりに、観察の報告を一通だけ送った。

『初配信の報告、確認しました。論の組み立て、証拠の出し方、撤退基準の運用、いずれも満点。一点だけ訂正があります。――帰還後の欄。怒られる予定は、中止です。よくやりました』

返信は、三十秒で来た。

『先生、ずるいです。今やっと泣き止んだのに』

寝る前に、ノートへ二行だけ書いた。

【天羽ヒナ、初配信。教えていないことまで、できるようになっていた】

【世界中に、知らない教え子が大勢いたらしい。教室は、思っていたより広い】

同じ夜。地の底ほども深い役所のどこかで、一枚の決裁書類に最後の印が押された。

『秘匿等級変更申請――承認』

申請書の職業欄には、嘘のない三文字だけが書いてある。受理印を押した窓口の役人が、その三文字の意味を知るのは、翌日の夜のことになる。

日付が変わる、少し前だった。

タグの洪水が続く画面に、一枚の告知画像が落ちた。世界同時配信の予告。日時は、明日の二十時。

発信者は、四つの公式アカウントだった。

【剣条玲・公式】

【氷堂澪・公式】

【獅子王丸・公式】

そして、四つ目。その夜に作られたばかりの、真新しい認証マーク。S級序列表で、顔写真が黒い四角で潰されているはずの、その名前。

【夜鴉・公式】

人類最強の剣士と、最強の魔導師と、最硬の盾と――公的には存在しないはずだった、最高効率の暗殺者。

世界が二度見する中、四人が同時に投稿した告知文は、たった一行だった。

『俺たちの先生の話をします』


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― 新着の感想 ―
聖女が来るとしたらまず、言わされたとしても今も恩師を傷つけている言動にケリをつけないと無理では? 今もそれを言わせた組織に所属しているのだろう?
兵を無事に家族の元に帰す 人類の歴史の果てから、これほど優秀な指揮官はおらんのよ
聖女ちゃん、拘束力の無い「おねがい」は無視してええんやで。
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