第21話 国家からの使者
朝の来客というものは、だいたい三種類に分かれる。宅配便か、回覧板か――人生の方角が変わる類のやつだ。
チャイムが鳴った。研いだ米を炊飯器に仕掛けてから、俺は玄関を開けた。
背広が二人、外階段を上りきったところに立っていた。年配のほうが、警察手帳によく似た黒い身分証を開く。国章と、ダンジョン庁の文字。
「安全統計課の、真壁と申します。柊慎一さんで、お間違いないですね」
「……はい。あの、先に言っておきますと」
二十年も裏方をやっていると、役所が来る理由の想像くらいはつく。俺は頭を下げた。
「配信の件でしたら、止めろと言われれば、今日止めます。無資格でやっているのは、本当なので」
背広の二人が、顔を見合わせた。若いほうが、なぜか少し泣きそうな顔をした。
「逆です」と、真壁という調査官は言った。「我々は、お願いに来ました。――上がらせていただいても」
◇
六畳間に、座布団が二枚しかない。俺は自分のぶんを若いほうに譲り、湯呑みを三つ並べた。真壁は部屋をゆっくり見回して、眼鏡を直した。
「……ここが、あの教室ですか」
「教室というか、ただの六畳間ですが」
「存じています。死亡報告書を四万件読んできた人間として申し上げますが――この六畳間は、当庁のどの施設よりも、人を生かしています」
真壁俊則。ダンジョン庁安全統計課、勤続十八年。探索者の死に方を分類し続けてきた男は、湯呑みに口をつけてから、鞄の中の分厚い紙束を畳の上に置いた。
「先月、庁の死因分類に、十八年ぶりの新しいコードが正式採用されました。P-1・教育による未然防止。……採用にあたって集めた適用事例は百件を超えますが、出どころは、全件この六畳間です」
「数字には、必ず理由があります。私の十八年で、理由がここまで一箇所に集まった例は、初めてです」
「……視聴者の皆さんが、廊下で足の指を握ったからですよ。俺は横で喋っていただけです」
「本日は、その『横で喋る』に値札を付けに来ました」
用件の一つ目は、そういう話だった。「探索者育成指導者」の公的資格化。死なせないための教え方を国の制度にする構想で、そのカリキュラムの監修をしてほしい、と真壁は言った。
「天羽さんの昇格試験も、現地で拝見しました。報告書は、予告通り長くなりました。――長くしたものを制度に変えるのが、今回の仕事です」
「俺は、B級ですよ」
「存じています」真壁は即答した。「我々が探しているのは、強い人ではありません。人が死なずに済む教え方を、体系として持っている人です。統計上、該当者は国内に一名でした」
俺は湯呑みを置いて、少し考えた。断る理由を探したのだが、見つかったのは条件のほうだった。
「……二つだけ、お願いがあります」
「伺います」
「一つ。資格は『持っていると信用される』ためのものにしてください。『持っていないと教えてはいけない』にはしないでほしい。教えることを免許制にしたら、田舎の道場の爺さんや、新人に飯を食わせながらコツを教える先輩が、違法になります。それで死ぬ子が、必ず出ます」
若いほうが、ものすごい速さでメモを取り始めた。
「二つ目。試験に戦闘の実技を入れないでください。入れるなら、教える実技にしてください。強い人が受かる試験にすると、教えるのが下手な強い人が量産される。……俺の業界で一番人を殺してきたのは、たぶん、それなので」
真壁は黙ってこちらを見て、それから深く頷いた。
「持ち帰ります。――いえ。今のお言葉ごと、条文の骨にします」
◇
話が一段落して、お茶を注ぎ足したところで、俺はひとつだけ訊いてみた。
「最近ネットで、うちの講座は法的にグレーだという話が回っているらしいんですが」
「拝見しています」真壁の声は、温度が変わらなかった。「現行法に抵触する規定はありません。庁の法務に確認した上で、今日ここへ来ています。……ついでに申し上げると、その種の書き込みには、作成時期と活動時間帯に統計的な偏りがあります。当庁の所管外ですので、これ以上は申しませんが」
数字には必ず理由がある、と調査官はもう一度言った。
◇
帰り支度かと思ったところで、真壁は若いほうに目配せをした。部下は録音機を止め、書類を鞄にしまい、一礼して玄関の外へ出ていった。
「ここからは、記録に残らない話です」
「……はあ」
「もしも、の話をします」眼鏡の奥の目は、統計を語るときと同じ、平らな目だった。「柊さん。もしもですが――S級探索者が五人、それぞれ別々に挑んで、五人全員が『単独では攻略不能』と判断して撤退したダンジョンがあるとしたら。何が足りないと思いますか」
変な仮定だ、と思った。S級というのは、単独で戦況を変えるからS級と呼ばれる。それが五人。五人とも。
俺は湯呑みを両手で持ったまま、しばらく考えた。考えるとき、いつも顔が浮かぶ。玲の踏み込み。澪の詠唱の間。丸の足裏。夜鴉の最短距離。こころの、顔を上げる治癒。
「……装備でも、レベルでもないでしょうね」
「ほう」
「その五人が本物なら、撤退の判断は五人とも正しかったはずです。正しく退ける人ほど、単独では退く。つまり、誰も間違えていないのに、全員届かなかった。――そういう場所に足りないのは、個の強さじゃなく、チームの設計図でしょうね」
「設計図、ですか」
「最強が五人いても、五人を一枚の絵にする紙がなければ、最強の線が五本、ばらばらに引かれて終わります。誰がどこで何を見るか。誰の癖と誰の癖を噛み合わせるか。どの順番で危険を消すか。それを先に紙へ描く係が要るんです。……戦う係より、ずっと地味な係ですが」
「その紙は」真壁の声が、半音だけ低くなった。「誰に描けますか」
「さあ。……ただ、描き方なら昔から変わりませんよ。全員を観察して、言葉に直して、噛み合う順番に並べる。それだけです」
それだけです、と。
四万件の死を読んできた調査官は、目の前の中年が自分の言ったことの意味をまるで分かっていないことを、はっきりと確認した。確認して――確信した。
この男しか、いない。
「お時間を取らせました」真壁は立ち上がり、深く一礼した。「資格の件は、改めて正式に伺います」
「あの、真壁さん。今の『もしも』のダンジョンは」
「まだ、無いことになっています」
調査官は眼鏡を直して、静かに付け加えた。
「ですが柊さん、統計の経験で申し上げると――無いことになっているものほど、ある日急に、有ることになるんです」
◇
公用車の後部座席で、真壁は鞄から一冊の綴りを出した。表紙に判が三つ。最上段の管理等級は、彼の十八年で二度しか見たことのないものだった。
特別管理区分・未踏破迷宮〈深淵〉。S級探索者による単独攻略試行、五件。成功、零件。
「報告書、どう書くんですか」と部下が運転席から訊いた。
「長くなる」とだけ真壁は答えた。それから所見の欄に、短い一行を書き足した。
『攻略指揮官候補・該当者一名』
◇
その夜の配信は、第四十回「地図の畳み方」。いつも通り、びっくりするほど地味にやった。国の話はしなかった。正式に決まってからでいいと思ったのと、単純に、課題の説明で時間が尽きたのである。
寝る前に、ノートへ二行だけ書いた。
【ダンジョン庁・真壁さん。資格の監修、引き受け。条件二つ、通る見込み】
【それと、設計図の話。どこの誰が描くにせよ――五人の癖なら、うちのノートに全部ある】
我ながら、ずれた感想だと思う。まあ、もしもの話だ。俺は灯りを消して、寝た。
◇
同じ週。クラン玄武本部、最上階の会長執務室。
「会長。世論対策の件、広報の追加案はすべてこちらに――」
「やめだ」
戸隠厳は、机に積まれた稟議書の束を、手の甲で半分に減らした。残ったのは、一枚だけだった。表題を読んだ幹部たちが、凍りつく。
『柊慎一氏・再契約交渉の件』
「策はもう要らん。頭を下げて、買い戻す」五十五歳の声は、静かだった。「金額は俺が書いた。それで動け」
決裁欄の数字を拾った経理担当が、桁を三度、数え直した。
かつて「寄生コーチ」と呼んで切り捨てた男への提示年俸は――八年前の、ちょうど百倍だった。




