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第17話 再入門


その一行は、滝のようなコメントの真ん中で、岩みたいに動かなかった。

【獅子王丸・公式】『親父、俺だ。弟子入りし直したい』

試験の祭りから数日。初見さんが万単位で増えたので、今週は「第一回からの総復習週間」と銘打って、地味な回を地味にやり直している最中だった。ロープの結び方、復習編。その出鼻である。

【三人目だ! 三人目が来たぞ!】

【最硬の盾きたあああああ】

【玲、澪、ときて、ついに獅子王丸】

【「親父」呼びなのか……】

「ええと……丸くん、久しぶり。元気そうで何よりだけど、今、講座の途中で――」

【獅子王丸・公式】『げんきだ』

【獅子王丸・公式】『いま、ドアのまえにいる』

「……ん?」

チャイムが、鳴った。

【ドアの前wwww】

【行動が早すぎる】

【分かったぞ。コメントしてから来たんじゃない。来てから、コメントしたんだ】

配信を流したまま、俺は玄関を開けた。

外廊下の照明が、半分隠れた。見上げるほどの巨漢が、薄暗がりに直立していた。肩幅はドア枠とほぼ同じ。背中には大盾――ではなく、大盾サイズの何かを律儀に包んだ風呂敷。世界で一番硬い男は、築三十二年のアパートの玄関先で、腰から深々と折れた。

「親父。ただいま」

「……おかえり、は少し違う気もするけど。まあ、上がりなさい。頭、ぶつけないように」

「おう。住所は玲に聞いた」

六畳間の、あの安い座布団に、今度は倍ほどの質量が正座した。畳が、みしりと鳴いた。カメラのフレームに、肩から上が入りきっていない。

【画面に収まってないんだが】

【人類最硬の盾が、また六畳間にいる】

【あの座布団、人類最強専用座布団になりつつあるな】

「獅子王丸だ。盾をやってる。――今日から、ここの生徒に戻る」

挨拶が、もう全部終わっている。昔から、こういう男である。

「丸くん。うちは初心者講座だよ」

「おう。だから来た」

丸は、太い首で頷いた。

「俺は難しいことは分からん。だから全部もう一回、基礎からやり直す。初心者のやることだろ、それは」

「君はS級で――」

「親父」

遮り方まで、まっすぐだった。

「俺はこの二年で強くなった。盾も厚くした。けどな、この前、初めて分かんなくなったんだ」

「……何が」

「うちのクランに、新人が入った。十六の、デカいだけの坊主だ。昔の俺みたいなやつだ。だから俺が教えた。『地面を噛め』って。……通じなかった。『腹の石を運べ』も通じなかった。三日やって、一個も通じなかった」

丸は、自分の膝の上の拳を見下ろした。

「それで、やっと分かった。あれは、人類共通の言葉じゃなかったんだ。親父が、俺のためだけに作った言葉だった」

コメント欄の流速が、落ちた。聞く態勢に入った教室の速度である。俺は一応、確認した。

「丸くん。その話、配信が乗ってるよ」

「かまわん。むしろ、言いに来た」

丸は、カメラを正面から見た。盾を構えるときと同じ目だった。

「俺は孤児院の出だ。十五まで、字が満足に読めなかった」

【……】

【最硬の盾の経歴、ほとんど公表されてなかったやつだ】

「最初の道場は、教本を渡してきた。読めなかった。座学で寝た。『頭が悪い』で終わりだ。次の道場も同じだった。体はデカいのに使い物にならんと、どこでも言われた。玄武の育成棟でも、最初はそうだった。……そこに、親父が来た」

丸の声は、報告みたいに平坦で、だから余計に、響いた。

「親父は、教本を捨てた。代わりに、畳一枚ぶんのデカい紙に絵を描いた。足の裏の絵だ。どこに体重が乗ると俺が一番硬いか、矢印で描いた。専門用語をひとつも使わなかった。『荷重配分』じゃなく『地面を噛む』。『重心移動』じゃなく『腹の石を運ぶ』。俺の知ってる言葉しか、使わなかった」

「字はな、そのあとで親父が教えてくれた。……親父のノートが、読みたかったからだ。読めるようになって、人生で最初に読み通した本が、表紙に『獅子王丸・荷重』って書いてあるノートだ」

【おい】

【待ってくれ】

【最硬の盾に読み書きを教えたのも、この人なのか】

【「教え方ごと変える」って、こういうことか……】

「親父は俺に合わせて、教え方ごと変えてくれた。あれがどれだけ凄いことか、自分が教える側になって、独立して、初めて分かった。――玲のメッセージは、長期攻略から上がって読んだ。ふた月ばかり、電波の届かん地の底にいたからな。それから三日三晩でアーカイブを全部観た。ヒナの試験も観た。それで、決めた」

丸は、畳に両手をついた。世界で一番硬い頭が、深く下がった。

「もう一回、最初から教えてくれ。今度は字も読める。ノートも取れる。――月謝は払う」

「……うちは、無料だよ」

「玲も同じこと言われたって言ってたぜ」

【この流れ、二回目www】

【教え子たち、全員月謝を払いたがる】

【玲は黙ってスパチャを投げた。丸は正面から月謝と言った。性格が出るなあ】

さて。照れる、というのは、たぶんこういう時の顔のことを言う。湯呑みで顔の下半分を隠してから、俺は観念して、壁際の段ボール箱を開けた。二年分の埃の下から、あのノートを引き抜く。『獅子王丸・荷重』。

「分かった。再入門ということで。――じゃあ丸くん、ちょっと立ってみようか」

「おう」

立った。天井に、髪が触れた。六畳間の限界である。

「そのまま、いつもの構え。盾は風呂敷のままでいい」

三十秒、黙って見た。二十年やってきた仕事の、いちばん古い手順だ。見て、分解して、言葉に直す。

「……丸くん。一年くらい前に、右肩、やったね」

丸の眉が、動いた。

「公表してないぞ、それ」

「公表は要らないよ。右足のカカトが教えてくれる。庇った癖が、足裏まで降りてる。今の君は、昔の君より三センチぶん、右が薄い」

【こわい】

【立たせて三十秒で非公表の負傷を当てた】

【これが「観察と言語化」……】

「肩はもう治ってるから、癖だけ取ればいい。よし――」

俺はノートの新しいページを開いた。書きながら、口も動く。コーチというのは因果な商売で、生徒が目の前に立つと、勝手に頭が回り始めるのだ。

「丸くん専用、再入門カリキュラム。第一週は足裏の棚卸し。畳一枚の紙に、今の足の裏の絵をもう一回、二人で描き直すところから。第二週で右の三センチを取り戻す。第三週は――これは宿題にしようか。例の十六の坊主に、『地面を噛む』を君の言葉じゃなく、あの子の言葉で言い直してくること。教わるのと教えるのを、今回は同時にやる。君はもう、教える側でもあるんだから」

丸は目を丸くして、それから、笑った。岩が割れるみたいな笑い方だった。

「……あんた、やっぱり化け物だよ、親父」

「初心者講座のコーチだよ」

【てか先生、いまその場でカリキュラム組まなかったか】

【秒で組んでた】

「ああ、皆さんに言っておくと、特別なことはしていません。基礎は一種類しかないんです。ただ、効かせる入り口が、体の数だけ違う。言葉から入る子もいれば、ノートから入る子も、絵から入る子もいる。入り口さえ間違えなければ、基礎は誰にでも届きます。――個別最適化なんて言うと立派ですが、要するに、鍵穴を見てから鍵を作るというだけの話です」

【その「だけの話」を、世界中の道場がやってないんだよなあ】

【だから「頭が悪い」で切られる子が出るんだろ。十五歳の丸さんみたいに】

【無料で聞いていい話じゃない(毎週言ってる)】

コメントの奔流の中に、見慣れた跳ね方の一行が、転がり込んできた。

【せ、先生! あの、それでは獅子王丸さんと私は、同じ教室ということに、なるんでしょうか……!?】

丸が、カメラに向かって頷いた。

「ヒナってのは、お前か。試験、観たぞ。――いい半歩だった」

【は、はいっ! ありがとうございます……!】

「それと、同じ教室じゃない。お前が先輩だ。教室ってのは、先に入ったほうが先輩だろ」

コメント欄が、沸騰した。

【B級の先輩と、S級の後輩】

【体育会系の鑑】

【ヒナ先輩、誕生】

【画面の前で直立してそうだなヒナ先輩】

配信の最後に、丸はその場で「受講生名簿」に登録した。課題提出用に作った、無料のただの登録機能である。受講生番号は、八万と少し。世界で一番硬い新入生は、番号を二度読み上げて、満足そうに頷いた。

「親父。宿題は、来週までだな」

「うん。紙は大きめにね」

「おう。――じゃあな、先輩」

最後のは、画面の向こうへ。人類最硬の盾は、来たときと同じようにまっすぐ頭を下げて、六畳間の教室から帰っていった。

翌朝には、世界中が知っていた。

安い座布団に正座する人類最硬の盾。畳一枚の紙。立たせて三十秒の診断。『お前が先輩だ』。切り抜きは各国の言葉で字幕を付けられ、『世界一硬い新入生』という題で、ミームになって駆け回った。S級が初心者講座を受ける――その絵面は、もう何の説明も必要としなかった。

俺はといえば、米を炊き、ノートをめくり、画材屋で一番大きい紙を二枚買った。新しいページには、二行だけ書き込んである。

【獅子王丸・再入門。右の三センチ。教わりながら、教える側へ】

【それと――そろそろ、教室の広さを考えること】

受講生名簿の番号は、週末を待たずに九万を超えた。

そして週が明ける朝、カウンタは静かに、六桁に変わった。

――受講生、十万人。

教室は、また少し広くなる。


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― 新着の感想 ―
先生お米いつも炊いてるけどそれしか食べてないとかないよね?大丈夫だよね、おかずもたべてるよね?いきなり栄養失調とかでパタっと倒れたりしないでね
毎回お話が本当にすきすぎる。 世界最硬の男も男気あってかっこいい。
面白かった。 家賃的に六畳一間で家具とかあるならその分狭いよな? 入口で頭気を付ける必要あるガタイいい奴と並んで一畳サイズの紙広げるってカメラの画角大丈夫だろうか?
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