第13話 比較される玄武
火種は、内側から漏れた。
『クラン玄武・期待の十九歳が重傷 育成部門で事故続発か』
クラン側は、公表していなかった。だが業界最大手のエース候補が一人、戦線から消えて、隠し通せるはずもない。欠場した合同訓練。止まったスポンサー案件。報道各社が事実確認を入れた時点で、玄武広報の回答は丸一日遅れた。
その一日で、ネットの検証のほうが先に終わった。
『【検証】玄武エースの事故、シン講座の撤退基準を守っていれば防げていた説』
スレ主の手口は単純だった。報道に出た事故の経緯を時系列に並べ、その横に、講座第十四回――撤退基準の回のアーカイブを貼っただけである。
報道:交戦開始から十二分、隊列の崩れを確認した後も戦闘を継続。
講座:「隊列の崩れは、撤退条件の一番上です。立て直しは、安全圏まで下がってからやるものです」
報道:疲労状態で岩棚を移動中に転倒。戦闘継続中のため受け身が取れず。
講座:「疲れた日の足は、かかとから置く。それと、転んでいい場所でしか戦わないでください」
【答え合わせやめろ】
【無料の初心者講座が、大手の育成部門の上位互換になってるんだが】
【この撤退基準、先月から生還報告が百件単位で出てるやつだからな……】
流れが変わったのは、夕方だった。
【前から気になってたんだが。剣条玲、氷堂澪、獅子王丸、夜鴉、白瀬こころ。S級五人、全員が玄武育成棟の出身なんだよな】
【で、五人が育った時期は、例の「柊慎一」って元専属コーチの在任八年間と、きれいに重なってる】
【つまり玄武は、人類最強五人を育てた男を「寄生」扱いで切って、おまけに「無関係」って公式声明まで出したクラン、ってことになるが】
【点と点が、線になっちまったなあ】
「人類最強五人を育てた男を、切ったクラン」。
その一行は夜には見出しの形になり、初めて、ネットの外の世界へ出回り始めた。
◇
翌日。玄武本部一階の大会見場には、椅子が足りなくなっていた。
壇上の戸隠厳は、背筋を伸ばしていた。A級アタッカーとして鳴らし、業界最大手を一代で築いた男である。修羅場の数なら、この会場の誰にも負けないつもりだった。
「このたびの事故につきましては、当該団員の回復支援に全力を尽くします。ただし、一部で言われているような、育成体制の不備はありません。当クランの育成プログラムは、専門機関と連携した科学的・体系的なものであり――世界最高水準であると、自負しております」
用意した原稿は、そこで終わりだった。質疑応答。最初に指名した経済紙の記者が、手元の資料をめくりながら立ち上がった。
「世界最高水準、とのことですが」
記者の声は、淡々としていた。
「貴クランの育成部門が輩出したS級探索者は、創設以来五名。剣条玲氏、氷堂澪氏、獅子王丸氏、夜鴉氏、白瀬こころ氏です。この五名は全員、柊慎一氏が専属コーチを務めた八年の間に育っています。一方、同じ八年間、柊氏の指導を経ていない訓練生からは、S級どころかA級昇格者も出ていない。そして近年は、事故報告だけが増えている。――お伺いします。世界最高水準なのは、貴クランの育成プログラムですか。それとも、貴クランが先日『無関係』と声明を出された、柊慎一氏ですか」
会見場が、静まり返った。
戸隠は、口を開いた。
開いて――何も、出てこなかった。
反論の材料なら、あるはずだった。だが頭に浮かんだのは、会長室の机に積まれた資料の山だった。研究班がまとめた、あの講座の全記録。読めば読むほど、玄武が八年かけて育成棟から切り捨ててきたものの目録になっていく、あの紙の束。
それから――「ま、そうですね」と通知を二つ折りにして頭を下げた、あの男の薄い背中。
沈黙は、五秒続いた。会見の沈黙としては、永遠に近い。
「……育成の成果は、複合的な、要因によるものと……認識しております」
絞り出した声からは、もう決まったことだけが持つはずの、あの平坦さが消えていた。
会場の最後列で、戦略企画部の南雲が、音を立てずに天井を仰いだ。
その五秒は一時間後には切り抜かれ、『世界最高水準(無言・5秒)』というタイトルで、翌朝までに再生数八桁へ達した。
◇
俺はといえば、その日も平和――と言いたいところだが、さすがにそうもいかなかった。
通知は切ってある。それでも世間の騒ぎは、隙間から入ってくる。配信サイトの運営からは取材依頼の転送が二十三件。協会からは「コメントは慎重に」という、丁寧で遠回しな電話が一件。
やることは、変わらないのだが。米を炊き、ノートをめくり、夜の配信の準備をする。
夜。第二十七回は、予告通りに始めた。
「こんばんは、シンです。初見の人がいたら、いつものやつを。ここは初心者向けの講座です。派手な技も、最強装備の話もしません。地味です。多分、びっくりするほど地味です。――第二十七回、『地図の描き方』」
【来た、伝説の予感がしてた地図回】
【「地図を渡しただけ」の人の、地図の授業】
【先生、会見……】
【やめろ。今は授業の時間だ】
「前回も言いましたが、遭難はね、迷ってから始まるんじゃありません。記録をやめた瞬間から始まります。なので今日やるのは、絵の上手い下手の話じゃない。分岐で立ち止まって、三つ書く習慣の話です。時刻。進んだ方角。振り返って見える目印。……帰り道というのは、帰るときに探すものじゃないんです。行きの自分が、描いておくものです」
四十分、いつも通りの授業をやった。いつも通りでないのは、視聴者数と、コメントの端々に混じる、別の話題の気配だけだった。
「それじゃ、最後に質問コーナーです」
来るだろうな、とは思っていた。一つ目に拾った質問が、それだった。
『玄武の事故と、今日の会見について、先生はどう思いますか。先生の撤退基準を守っていれば防げた、という検証も出ています』
コメント欄の流速が、上がった。
【それ聞くか】
【いや、全員が聞きたかったやつではある】
【先生、言ってやれ。ざまぁみろって言っていいんだぞ】
「そうですね。まず――」
俺は、湯呑みを置いた。
「怪我をされた方が、ちゃんと回復されることを祈っています。十九歳でしょう。探索者の体は、これからいくらでも作り直せる年です。焦らないでほしい」
【……】
【先生、そうじゃなくてですね】
「で、検証の話。『防げたかどうか』は、俺には分かりません。現場の空気は、現場にいた人間にしか分からない。録画を外から眺めて全部分かった気になるのは、探索者として一番危ない癖です。みなさんは、やらないように」
【耳が痛い】
【検証スレ民、生きてるか】
「ただ、一つだけ言っておきます。――事故を責めても、技術は上がりません。誰の事故でも、です。責める時間があったら、学べることだけ拾いましょう。今回の件から拾えるものは、第十四回の撤退基準と、今日の地図の話です。隊列が崩れたら、下がる。下がる道は、行きの自分が描いておく。……それだけ覚えて帰ってもらえたら、あの事故は誰かの命を一つ、救ったことになる。ニュースの使い方としては、それが一番上等だと、俺は思います」
コメント欄が、少しの間、静かになった。
【……先生はそう言うよな】
【ざまぁ待ちで来た自分が恥ずかしくなってきた】
【「事故を責めても技術は上がりません」、額に入れて飾るわ】
【五人が全員この人のところで育った理由、毎回ちょっとずつ分かっていくな】
【会見の切り抜きと同じ日にこれを見ると、効くなあ……】
【先生……! 私、地図、ちゃんと描きます……!】
【ヒナちゃんはまず課題をやりなさい】
【お前は先生か】
その夜、二本の切り抜きが並んで拡散された。一本は、五秒黙る会長。もう一本は、誰も責めない講座。
並べたのは、俺ではない。世間という編集者は、昔から仕事が早い。
◇
配信を終えて、俺は次回の準備に取りかかった。
リクエスト箱で、ずっと票が積み上がっているお題がある。『雪山型ダンジョンの歩き方』。雪山型の遭難報告は季節を問わず後を絶たないし、そろそろやるべき回だった。
壁際の段ボール箱から、雪山の巻を引き抜く。表紙の日付は六年前。ページを開くと、几帳面な図解と数式の間から、明け方の訓練場の冷えた空気の匂いがした気がした。
雪面の魔力残響の読み方。ホワイトアウト下での詠唱の統制。低体温時の魔力循環の落ち方。――このノートの半分は、俺が観察して言葉にしたものだ。
そして残りの半分は、その観察をさせてくれた本人が、誰もいない明け方の訓練場で、誰よりも静かに、誰よりも正確に実演してみせたものだった。
雪山型ダンジョンのスペシャリスト。単独での雪山型深層踏破を、人類で唯一成功させた魔導師。
――氷堂澪。あの子の、十八番だ。
「……まあ、本人は見てないだろうけど」
俺は誰にともなく呟いて、ノートの続きをめくった。
画面の向こう側。高評価欄の片隅で、手縫いの小さな袋のアイコンが、今夜もいつも通りに灯っていることには――気付かないまま。




