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第12話 死亡率


その異変を最初に見つけたのは統計課の新人で、最後までそれを疑い続けたのは、真壁俊則という勤続十八年の調査官だった。

ダンジョン庁安全統計課。探索者の死傷報告を集計し、分類し、年次白書にまとめる部署である。華はない。庁内では「お悔やみ課」と陰で呼ばれている。真壁はそこで十八年、人の死を読み続けてきた。目を通した死亡報告書、推定四万件。現行の死因分類コードの大半は、彼が書いた。「C-3・撤退遅延による戦闘継続死」「D-1・転倒起因の連鎖事故」「E-2・結索不良」。探索者の死に方は、十八年前から、ほとんど変わっていない。

だから、変わったときには分かる。

「真壁さん。これ、何度集計しても、こうなるんですが」

新人が持ち込んだ折れ線グラフは、先月の中堅帯――C級からB級――の死傷率が、前年同月比で三割落ちたことを示していた。

「集計ミスだ」と真壁は言った。十八年の経験がそう言わせた。この数字は、装備規格の改定があった年ですら五分しか動かない。三割は、ありえない。

三日かけて、ありえないことを確認した。装備規格の改定、なし。新薬の認可、なし。大型攻略法の発見、なし。ダンジョン側の活性度は、むしろ平年より高い。死傷率だけが、理由もなく下がっている。

数字には必ず理由がある。それが真壁の宗教である。

彼は死ななかった側の記録――生還事案とヒヤリハット報告の山に潜った。そして四日目の夜、自由記述欄に繰り返し現れる、同じ単語群に行き当たった。

『配信で習った撤退基準に従い、交戦前に離脱』

『講座の通り、疲労時はかかとから置いた。転倒しなかった』

『引き解けを練習していたため、片手で脱出できた』

第七支部、C級パーティ四名。中層で挟撃されかけたが、「シン講座第十四回の基準」で即時撤退し、全員生還。第二支部、B級ソロ。滑落して宙吊り、利き腕を負傷――片手で結索をほどき、自力で帰還。その報告書の末尾には、こうあった。『正直、あの講座がなければ、自分はC-3で計上されていたと思う』。

自分の作った分類コードを、現場の探索者が知っていた。そして、そこに入らずに済んだと書いていた。

真壁は数えた。先月の生還・ヒヤリハット事案のうち、自由記述に「講座」または「シン」の語を含むもの、百十七件。同条件の死亡事案に同じ語が現れた件数――ゼロ。

相関は因果ではない。それも真壁の宗教である。だから彼は週末を潰し、自宅で問題の講座のアーカイブを第一回から最新回まで、早送りなしで全部観た。観終わる頃、手元のメモの文体が、いつの間にか報告書のそれではなくなっていることに気付いた。死後に書く文章ではなく、死ぬ前に渡す文章になっていた。

月曜の朝、彼は報告書を書いた。

『中堅探索者死傷率の急減について(原因分析)』。結論部にはこうある。『当該講座は、当庁が十八年分類し続けてきた死因の上位三類型――撤退遅延・転倒・結索不良――に対し、初めて体系的な予防教育を与えたものである。内容に新規性はない。我々が死後に書いてきたことを、死ぬ前に教えているだけである。そして、それをした者は、これまで一人もいなかった』

課長は渋い顔をした。「一介の娯楽配信を、庁の公式文書に載せる気か」

「娯楽配信ではありません」真壁は眼鏡を直した。「数字で言えば、これは公衆衛生です。上水道の整備で疫病が減るのと、同じ型の現象です」

報告書の末尾で、彼は分類コードの新設を提案した。「P-1・教育による未然防止」。十八年、死の分類だけをしてきた男が初めて作った、生きている人間のための分類だった。

「こんばんは、シンです。初見の人がいたら、いつものやつを。ここは初心者向けの講座です。派手な技も、最強装備の話もしません。地味です。多分、びっくりするほど地味です。――第二十六回、『休憩の取り方』」

【今日も地味】

【その地味が先週、俺の隊を生かして帰したんだよなあ】

「先に結論を言うと、休憩は疲れる前に取るものです。疲れてから取る休憩は、回復じゃなくて応急処置です。三層より深く潜る日は、疲れていなくても四十分に一度、座る。座って、灯りと、脈と、残り薬を数える。……はい、いつもの三点です。何回でもやります。基礎とは、そういうものなので」

本編を終えたところで、俺はその日、運営経由で届いた長文のメッセージを一通、選んであった。差出人はC級探索者、三十二歳の男性。本人から、読み上げの許可はもらってある。

「えー、最後にお便りを一通だけ。……『先生は、私の名前も顔も知りません』、から始まってます。読みますね」

『先週、中層で崩落に巻き込まれました。灯り、脈、残り薬。先生の言う三つの基準のうち二つが欠けた時点で、頭の中に先生の声がしました。「二つ欠けたら、戦わずに引き返す」。迷いませんでした。疲労で足が上がらなくなってからは、教わった通り、かかとから置いて歩きました。最後の竪穴は、引き解けで降りました。先生の講座を「地味だ」と笑っていた同僚も、私の結んだロープで降りました』

【おい】

【これ、実話か】

【弾幕やめろ。読ませろ】

『全員、帰ってきました。私は昨日、娘の誕生日に、ただいまを言えました。講座のおかげで、生きて帰れました。それだけを、どうしても先生に伝えたくて』

……最後の一行まで、読んだつもりだった。

読めて、いなかったらしい。自分の声が途中で止まっていることに、コメント欄が静まり返ってから気が付いた。

おかしいな、と思った。教え子が世界一になった夜も、泣かなかったのに。

考えてみれば、初めてだったのだ。「強くなれました」なら、五人分聞いてきた。あれは半分以上、本人たちの才能の話だ。けれど「生きて帰れました」は――俺が二十年やってきた仕事に対する、最初の一通だった。

「……すみません。ええと」

眼鏡を外して、戻した。

「……この仕事、やっててよかったです」

それだけ言うのが、精一杯だった。

【先生……】

【泣くな。俺まで泣くだろうが】

【二十年かかって届いた一通だぞ、これ】

【せ、先生……! 私もです! 私も、先生のおかげで生きてます……!】

【ヒナちゃんまで泣くな】

「……はい。湿っぽいのは終わり。次回の予告です。『地図の描き方』をやります。遭難はね、迷ってから始まるんじゃない。記録をやめた瞬間から始まるんです」

【「地図を渡しただけ」の人の、地図の回】

【伝説の予感しかしない】

その夜のうちに、『シン先生、初めて言葉に詰まる』という切り抜きが世界を駆け巡った。再生数が伸びるにつれ、切り抜きのコメント欄には、生還の報告が一件、また一件とぶら下がっていった。俺も撤退基準で帰れた。私も転ばなかった。うちの隊は全員、靴の中で指を握ってから潜っている――。

数字になる前の統計が、誰の目にも見える場所に、積み上がり始めていた。

同じ週。クラン玄武、本部医務棟。

育成部門が「次の剣条」と呼んで売り出してきた十九歳の若手エースが、集中治療室にいた。中層での撤退判断の遅れ。戦闘継続中の転倒。利き腕と肋骨、全治四ヶ月。――ダンジョン庁の分類で言えば、C-3とD-1の複合。死ななかったのは、ただの運だった。

「育成カリキュラムに問題はありませんでした。本人の判断ミスによるもので――」

報告に来た育成統括の言葉は、最後まで続かなかった。

「先月は二人」戸隠厳の声は、怒鳴り声よりも低かった。「先々月は三人。今月は、エース候補だ。……なぜ、うちの育成は事故ばかりなんだ」

統括は答えられなかった。答えなら、会長室の机に積まれた資料の山の中に、とっくに書かれていた。研究班がまとめた、あの講座の全記録。読めば読むほどそれは、玄武が八年かけて自分の育成棟から切り捨ててきたものの、目録になっていくのだった。

そしてその夜、ネットの片隅で、誰かが二枚のグラフを並べた。下がり続ける講座視聴者層の事故率と、増え続ける玄武育成部門の事故報告。

比較の矢印が――静かに、戸隠厳へと向き始めていた。


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― 新着の感想 ―
戸隠は中途半端だよな 組織の運営至上だってんなら、使えるものはしれっと利用すればいいのに
別にざまぁは無くてもいいけど一般的との違いは大きいな
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