表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/14

第11話 裏アカウント


その火種は、慎一の知らないところで、静かにくすぶり始めていた。

大手匿名掲示板、探索者カテゴリ。

『【検証】シン先生の講座、高評価欄に「最初からいる」謎アカウントの件』

スレ主の主張はこうだ。乱入回以来、解析勢の関心は「残りの教え子四人も講座を見ているのではないか」に移っている。そこで全アーカイブの公開高評価欄を突き合わせたところ、一つだけ、奇妙なアカウントが浮かび上がった。

アカウント名、「m_0」。

・登録日は、講座第一回の翌日

・投稿ゼロ。コメントゼロ。フォローは講座チャンネルひとつだけ

・アイコン未設定。完全な無言アカウント

・なのに高評価だけは、第一回から最新回まで、全部に付いている

・そして高評価の時刻が、確認できる限りすべて、午前四時台

【ただの早起きのファンだろ】

【いや待て。m_0。mと、ゼロ。……「ミオ」って読めないか】

【は?】

【氷堂澪。「夜明けの魔女」。明け方の単独訓練を何度も目撃されてる、あの】

【さすがに飛躍だろ……いや、でも登録日……】

スレは一晩で伸びに伸び、翌日の生放送へと持ち込まれることになる。

「えー、それじゃ最後、いつもの質問コーナーです」

配信も二十二回を数えた。終わり際に視聴者の質問をいくつか拾うのは、第三回あたりからの恒例である。

「『ソロ探索とパーティ探索、初心者はどちらから始めるべきですか』。――いい質問ですね。結論はパーティです。ただし理由は『安全だから』じゃない。初心者のソロは、自分の失敗に気付く手段がないんです。隣で誰かが見ていて、初めて失敗は失敗になる。……まあ、それを仕事にしていたのが俺なんですが」

【さらっと言うけど重い】

【講座の根っこの話だ】

「次。『先生の講座、正座して見てます』。これは質問じゃないな。楽にしてください。膝を壊すと三層で困るよ。それじゃ次――」

読み上げかけて、少しだけ、手が止まった。

『質問です。アーカイブ全部に高評価を付けている「m_0」というアカウントは、氷堂澪さんではないかと言われています。先生は心当たりがありますか』

コメント欄の流れが、目に見えて速くなった。

【来た】

【それ聞くか】

【特定勢の悪い文化を持ち込むなって】

【でも気になってた】

さて。本人かどうかなんて、俺に分かるはずもない。分かるはずもないのだが――「午前四時台」の一行を見た瞬間、答えより先に、懐かしさのほうが来てしまった。

「心当たりというか……本人かどうかは、本人にしか分からないけどね」

俺は、たぶん少し笑っていたと思う。

「澪ちゃんは、明け方の復習が好きな子だったからね。今もそうなら、嬉しいな」

【あっ】

【あーーーー】

【先生それ実質確定では??】

「あの子はね、教わったことをその日のうちに使わないんです。一晩寝かせて、明け方にもう一度、一人でさらう。誰に教わったわけでもないのに、一番身につく復習のやり方を自分で見つけた子でした。だから俺が教えたのは、明け方の訓練場の鍵の借り方くらいです。コーチの仕事なんて、そんなものですよ」

【こんなん本人が聞いたら泣くだろ】

【見てたらどうすんだ】

【見てるんだよなあ(高評価欄を見ながら)】

【えっ、待ってください、私、氷堂澪さんと同じ講座を受けてるんですか……!?】

「ヒナちゃんは課題やりなさい。……まあ、別人だったらすみません。m_0さん、いつも高評価ありがとう。あなたが誰でも、明け方の復習はいいぞ。空気が静かで、よく入る」

見ていた。

それどころか、氷堂澪は生放送開始の三十秒前から、いつものように灯りを落とした部屋で、息を潜めて待機していた。

『澪ちゃんは、明け方の復習が好きな子だったからね』

端末が、手から滑り落ちた。

絨毯の上の画面の中で、配信は何事もなく進んでいく。澪は落ちた端末を拾えないまま、その場にしゃがみ込んだ。心臓の音がうるさい。S級認定試験の最終局面でも、こんな音はしなかった。

――ばれている。

いや、ばれてはいない。先生は何も確定していない。していないが、あの言い方は。あの、声は。

『今もそうなら、嬉しいな』

「〜〜〜〜っ」

声にならない音が出た。人類最強の魔導師、現代魔法理論を三度書き換えた女、氷堂澪(二十三歳)は、そこから先の記憶が曖昧である。気が付けばベッドの上にいて、布団を頭まで被り、足を、ばたばたとさせていた。理性が「やめなさい」と言っている。足は止まらない。魔力制御、S評価。足の制御、E。

十六歳の氷堂澪は、誰とも話せない子供だった。

頭の中には魔法理論の図面が際限なく広がっているのに、口に出すと一行も伝わらない。同期の輪に入れず、教官の所見には「協調性なし」と書かれ、夜が明ける前の誰もいない訓練場だけが、唯一息のできる場所だった。

ある明け方、その訓練場に、地味な中年が立っていた。

「ああ、ごめん。邪魔する気はないんだ」と中年は言った。「ただ……昨日の講習の術式、君、組み替えてたでしょう。あれ、講習のやつより良かった。どういう理屈か、今度ノートに書いてくれないかな。口で言わなくていい。書くだけでいい」

口で言わなくていい。

その一言がどれほどのものだったか、たぶんあの人は、今も知らない。

それから二年、彼女は書き、あの人は読んだ。会話らしい会話のないまま、ノートの往復だけで、落ちこぼれの無口は人類最強の魔導師になった。初めての高難度任務の朝、あの人は不格好な手縫いの小さな袋を寄越した。「お守り。気休めだけどね」。中身は、あの人のノートの切れ端が一枚。

『氷堂澪の強さは、口下手であることではなく、口下手を補って余りある誠実さである。本人だけがそれを知らない』

あの紙は今も袋ごと、机の一番上の抽斗にある。

布団の中で、澪は端末を引き寄せた。この二日、何百回も開いては閉じているスレッドがある。玲からの、二年ぶりの一斉送信。

【先生が一人でいる。お前ら、いつまで気付かないふりをするんだ】

既読は、一分で付けた。あの夜も、ちょうど画面を見ていたから。返信は――まだ、できていない。気付かないふりなんて、していない。毎朝四時に、気付き続けている。ただそれを伝える言葉が、何年経っても、まだ一行も書けないだけだ。

非通知でかけた十一秒の電話は、名前を呼ばれただけで切ってしまった。

言葉は、まだ書けない。電話も、できない。

でも。

澪は布団から腕だけを出し、自分のサブアカウントの設定画面を開いた。それから机の抽斗を開け、古びた手縫いの袋を、世界で一番丁寧に撮影した。

翌日の昼、例の検証スレに、一枚のスクリーンショットが貼られた。

【おい】

【おいおいおいおい】

【「m_0」、アイコン付いてるんだが】

初期設定のままだった灰色の円に、画像が設定されていた。何の変哲もない、不格好な手縫いの小さな袋の写真。古びて、角が擦り切れて、それでも大事に扱われてきたことだけは分かる写真だった。

それが何なのか、特定勢の誰にも分からなかった。

ただ一つ確かなのは、第一回から沈黙し続けてきた無言のアカウントが、初めて何かを「言った」ということだった。

【なんだろうな、これ】

【分かんないけど、分かる】

【触れるな。これは進展だ。静かに見守れ】

【ところでさ、高評価欄、他にもずっと無言の怪しいアカウントが三つくらいあるんだが】

同じ週。霞が関、ダンジョン庁安全統計課。

月例報告の作成中だった若手職員が、グラフの前で首を捻っていた。

中堅探索者――C級からB級帯の、ダンジョン内死傷率。先月から、明らかに下がっている。装備規格の改定はない。大型の攻略法の発見もない。集計エラーを疑って三度回し直しても、折れ線は同じ角度で下を向いた。

「……なんですか、この数字」

原因不明の、人が死ななくなる現象。

その折れ線が下を向き始めた日付が、とある初心者講座の配信開始日と重なっていることに――気付く者は、まだ誰もいなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
中華には古くから伝わる格言がある。「善戦する者は、派手な功績を残さない」。最も有能な人は、問題がまだ目立たないうちに、目立たない方法でそれを解決してしまうのだ。
とても良い! 物語に入り込みやすい文章で読んでいてワクワクする(*´∀`*)
この先生があんまり評価されなかった理由がなんとなくわかってきた 教えていることは本当にド素人でもできるから初心者向けというのは間違いではない が、この教えが本当に役立ち始めるのは三層あたりC級に差し掛…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ