(6)
私が「にいさん」の話をぽつぽつと口にするようになると、タイグも自分の話をしてくれるようになった。
ひとは好意を向けられれば好意で応えたくなるものだし、打ち明け話をされたら自分もする気になったりする。返報性と言うらしい。
私がそれを狙っていたかと言われれば、半分は肯定できるし、半分は否定できる。
タイグに私を救ってくれた「にいさん」の話を伝えたかった部分もあれば、ただ自分の気持ちを整理したくて、「にいさん」の話をしていたところもあるからだ。
「にいさん」は出会ったときから、普通とちょっと違う私を否定しなかったし、かといって肯定もしなかった。
私のことを「にいさん」は「変わってるな」のひとことだけで済ませた。
たったそれだけ。それだけの話だが、「にいさん」の態度は一貫していたから、私は安心できた。
一貫した態度を取ることの難しさは、私にもわかる。人間は流動的だ。時間が経ったり、ひととの交わりや、経験を積んだりすれば、考え方やそこから来る態度も変わって行くものだ。
けれども「にいさん」の私への態度は決まっていて、それを私は「優しさ」だと受け取った。
「にいさん」は、自分が優しいだなんて認めなかったけれども。
「タイグは優しい子だね」
「……そんなことはないと思う」
やはり、どこか「にいさん」とタイグは似ている。
私のつまらない身の上話に真剣に耳をかたむけて、相槌を打ってくれる。タイグのそれを、「優しさ」と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。
「おれが優しい子だったなら……きっとかあさんやとうさんもおれを、捨てなかった」
タイグの体にたまに青あざが現れることに気づいたのは、いつだっただろうか。
タイグはこの森を抜けた先にある小さな村で、母方の祖父と暮らしていると言っていた。気難しい祖父だと言う。
六回目にこの木のうろに来たとき、タイグはすぐそばで折りたたんだ両脚を抱えるようにして座って、うつむいていた。
そのこめかみには傷跡があって、出血は止まっていたが、赤黒いかさぶたに、私はぞっとした。
石を投げられたのだと言っていた。「バイタの子」だからと。タイグの言葉は私にはきちんと日本語として聞こえていたが、その言葉の意味を理解するのには少し時間がかかった。
私の中で、ふたつの感情がせめぎ合う。
私は、「にいさん」からもらった愛をタイグに与えれば、「にいさん」がタイグの中に刻まれて、生きて行くんじゃないかと考えた。けれどもそれが、今さらになってひどい大罪のように思えてきたのだ。
だけど、私がそんなことを考えようが考えまいが、死にたい気持ちが高まると、私は夜のベッドから昼の異世界へと飛んでしまう。
そしてそこには必ずタイグがいる。
「これから会うひとの中に、タイグを愛してくれるひとはいる」
この世界が私の知る物語通りの展開をたどるのかは、わからない。既に私という異物が、タイグの過去に紛れ込んでしまっている。
あの物語の中の彼を、気にかけてくれる人間はちゃんといた。いたけれど、彼はそれを信じ切れず、立ち止まることなく「死」という結末へと突き進んだ。
もし与えられる好意や、愛を信じることができていれば、違った結末があったかもしれない……。
「おれには、そんな資格はない」
タイグはうつむいて、緩慢な動きで首を左右に振った。その声には涙がにじんでいた。
タイグは愛されたいのだ。愛を欲しているのだ。一番に欲しいのは、両親からの愛なのだろう。けれどもそれは、私から見ても残念ながら得られそうにない。
そして、愛を向けられない理由は、自分に愛される資格がないからと思って――思い込もうとしている。「優しい子ではない」という否定も、自分の心を守るための発言なのだろう。「優しい子」なら、きっと愛されるだろうとタイグは考えているのだ。
「あるよ」
私は、タイグの否定の言葉を、否定する。
「愛される資格は、だれにでもある」
「そんなことない」
「あるんだよ」
私は「にいさん」の手を思い出し、タイグの左手を取った。
その手の指先を、私の首へと押しつける。
「わかる? 脈打ってる、呼吸をしている」
――「これが、だれもが持っている、愛される資格だよ」。
「にいさん」の優しい声を思い出す。
それをなぞるように、私は同じ言葉を口にする。
「にいさん」は今もあの病院のベッドに物言わず横たわっているのだろう。けれども私の中には、たしかに「にいさん」の言葉が息づいていて。……今さら、タイグに「にいさん」から渡された愛を刻まなくたっていいのだ、と思えた。
タイグの左手の指先が震える。
タイグは呑み込みづらそうな、泣きそうな顔をしていた。
私の首の大動脈には絶えず血が流れて脈打ち、気管を空気が通って呼吸を繰り返す。
やがてタイグは、目の白いところをかすかに赤くして、ぎこちなく微笑んだ。
それはもしかしたら、私がタイグの感情を都合よく解釈しているだけかもしれない。
けれども、今はそれでもいい。
いつかどこかで、「愛される資格がある」と言った人間がいたことを思い出してくれたなら。
だれかに愛を向けられたとき、怯えずに受け取ることができるのなら。
そこに私はいなくてもいいと思った。




